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ルソーの「ヴィヴァルディの春」   

 Rousseau: Le Printemps de Vivaldi
        arrangé pour une Flûte sans accompagnement (1775) in D Major


 先日の《ルソー:2つのクラリネットのための4つのエール》に続いて、《ルソー:ヴィヴァルディの春》のCD(*)が届きました。偶然、3日前最初に見つけたCDをさっそくamazonで購入したもの。
 この曲もずっと気になっていたのですが、聞くのは初めて。
(今あらため検索してみたら、この曲はけっこうフルート奏者のCDに入っていますね。)

 *ヴィヴァルディ:フルート・ソナタ全集〔Vivaldi: Complete Flute Sonatas / Mario Folena〕
  ルソーの「ヴィヴァルディの春」_e0178600_0143721.jpg
 が、このルソー編曲の曲を聴く前に、このCDに収まっているヴィヴァルディのオリジナルのソナタに、ほとほと参ってしまいました。実はある時期からヴィヴァルディはまったく聴かなくなってしまっていて、早い話が、あるきっかけでヴィヴァルディがきらいになってしまって、顔を見るのも曲の第1音を聞くのさえいやになってしまっていたのです。
 ルソーのおかげで素敵なヴィヴァルディが聴けたのですから一曲両得?。

 それにしても、ルソーはどういう思いでヴィヴァルディの室内楽用の曲――あの有名な「四季」の《春》である――をソロのフルート(トラヴェルソ)向けに書きなおしたのだろうか。私にとっては新鮮で感動的なヴィヴァルディのオリジナルのフルートソロを聴きながら、イタリア音楽とフランス音楽の優劣が争われた「ブッフォン論争」のことなど思い出して、いろんな想いが湧いてきました。

 以下、9年前に書いたもの。

 「ルソーと音楽」というテーマを論じようとすれば避けて通れないのが、敵対する“ルソーとラモー”という問題です。
 1753年という“音楽家ルソー”にとって一つの頂点でもあった年、ルソーの幕間劇「村の占い師」がパリのオペラ座で上演され(前年にフォンテンブロー宮で御前演奏され、ルイ15世やマリー・アントワネットにも愛唱されていました)、さらにイタリア音楽とフランス音楽の優劣を国論を二分して争われた「ブッフォン論争」が巻き起こった年でもありました。
 この論争の火付け役?でもあったルソーは、イタリア音楽派のリーダーとして論陣を張る一方、ラモー音楽理論への批判を精力的に書いています。
 (ここまで書くと、そのラモーとはいったいどんな人物だったのかということを書かねばならなくなるのですが、当代のフランスを代表する音楽家であったという辞書的な説明しか、今の私にはできません。)

 この「ラモー対ルソー」の因縁的とも言える対決も、出発点はルソーの音楽修行時代のラモー和声論の独習から始まっているように思われます。
 どう公平に見ても音楽の天才的な才能に恵まれていたとは言えないルソーでしたが、ヴァランス夫人のもとでひとたび音楽にとらわれて以来、情熱的ともいえる打ち込み方で音楽を自分のものとしていきます。
 その時ルソーが私淑したのが、宮廷音楽家の出ではなく、しかもデカルトの哲学を踏まえた音楽理論家でもあったラモーでした。難解なラモー理論を、ルソーは必死に吸収しようと努力を重ねています。

 そのラモーの3作目のオペラ「カストルとポリュクス(Castor et Pollux)」が初演されたのは、いまから266年前の今日、1737年の10月24日でした。
この年、ラモーは1722年の『和声論』に次いで、『和声構成論』も出版していますし、ルソーはラモーに学びつつ、初めて自作のシャンソンを『メルキュール・ド・フランス』に発表しています。
 この時期こそが、お互いまだ顔を知らないラモーとルソーの出逢いの時期でもあり、音楽家ルソーの誕生のときでもあったのです。

 *最近、久しく眠っていたラモーのオペラの上演がさかんで、CDでも聴けるようなりました。ただしほとんどが長大なものなので、1時間弱のオペラ「ピグマリオン(Pygmalion)」が、おすすめです。
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by kaguragawa | 2012-01-21 23:59 | Trackback | Comments(0)

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