もうひとつの1911年   

 今年初めての降り続く雪である。

 谷中村と茂呂近助を語る会『谷中村村長 茂呂近助――末裔たちの足尾鉱毒事件』(2001.6/随想舎)

 田中正造でもなく、闘う農民として語られる谷中村にとどまった16人の残留民でもなく、それどころか正造から“地獄に落つるとはこの如き人”と呼ばれた谷中村村長・茂呂近助。離村した近助らは北海道のオホーツクに面する原野に入植し、別の苦闘の歴史を刻んでいくことになる。
 1911年4月。「渡良瀬川沿岸鉱毒被害民66戸、北海道サロマベツ原野に入植」。
 100年前、大逆事件の背面で人知れずおこなわれた鉱毒事件の一つの動きがあったことも忘れてはならない。

 
 由紀さおりの“夜明けのスキャット”がインターネットを通じて全世界に広まり聴かれているという。
[PR]

by kaguragawa | 2011-12-16 23:18 | Trackback | Comments(0)

トラックバックURL : https://kaguragawa.exblog.jp/tb/17074813
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。

<< 少年“霜川”の福島時代(3) お知らせ >>