人気ブログランキング |

昭和初期の作家群が・・・   

 ちょっと片づけをしてましたら、半年以上も前にコピーをとったある本の一部が出てきました。おもしろいものなので書き写しておきます。

 “1927年(昭和2年)の秋、上京した私たちは、版画家の織田一磨氏の世話で、雑司ヶ谷に6、3畳の家を借りて住んだ。生活がたいへんなので、示野は、建築の経験のある内藤辰雄と組んで、長谷川如是閑や徳田秋声などの家の修理などに通い、私は家庭教師をしながら、婦人雑誌などに投稿したりして、やっと生活をささえた。
 東京に出るとき、私たちには石川県の警察から特別要視人の荷札がついていたので、管轄の大塚警察署の私服や警官が、毎日家のまわりをうろついていた。いつだったか、ひとりの私服は私に、「大塚署の管内から、あんたたち夫婦と藤森成吉を追っぱらえば、わしらは枕を高うして寝られる」、そう言ったことがある。
 小川未明の家も近くて、ここでは家族あげて親しめる人たちだった。未明が、自分の幼い子どものあたまをなでながら、やがて成長して兵隊にとられて、殺されるのかと思うとたまらないね、と言っていたことは、私の胸につよくたたみこまれた。
 坂井徳三という青年も、すぐ近くの下宿にいて、早稲田を出て、新聞社に入ったばかりだったが、よく三合瓶をぶらさげては、うちにやってきた。明るくて、勘のするどい男で、酔っぱらうと、童謡など大きな声でうたいだした。
 石清水のようなにごりを知らない男で、東京にもこんな青年がいるのかと頼もしかった。この青年が連絡がかりで、小川未明、秋田雨雀、織田一磨、内藤辰雄、新井紀一などの文化人で、雑草の会という、一種のしゃべる会ができていた。”


 これはある女性(1894~1984)の半生記の一部なのですが、徳田秋声や小川未明に関わる知られざる文献ではないかと思うのですが、どうでしょう。
 文中に登場する小川未明の男の子は、翌年に亡くなる長男哲文さんでしょう。徳田秋声については、もっとおもしろい話がこの後にいくつもでてくるのです・・・・。

by kaguragawa | 2011-11-06 18:48 | Trackback | Comments(2)

トラックバックURL : https://kaguragawa.exblog.jp/tb/16512008
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by jyunku at 2011-11-08 07:06 x
『秋田雨雀研究』の年譜に記載はないですね。日記は全部見ていられないので、昭和2年~5年を見ましたが、残念ながら出てきませんでした。
Commented by kaguragawa at 2011-11-08 19:35
jyunkuさま、はるばる来訪、有り難うございます。「雑草の会」は、リジッドな会(組織)でなかったような気がします。ただ、こうした人々の不定期な集まり、まさに“おしゃべりの場”があったことは、記憶にとどめておきたいと思います。

<< 徳田秋聲墓前祭 コーヒーブレイクの落書き――滝... >>