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コーヒーブレイクの落書き――滝廉太郎、管野すが、朝倉文夫   

 後に作曲家となり夭折した滝廉太郎と、後に大逆事件で刑死することになる管野すが(須賀子)が大分県直入郡竹田町(現:竹田市)の直入郡高等小学校でニアミスをしています。おもしろいものです。
 1892(明25)年1月にこの小学校に転入した滝廉太郎は、1894(明27)年4月に16歳で卒業し東京へ、1年後の1895年9月に15歳の菅野が転入し、翌年卒業しています。

 後に彫刻家となる朝倉文夫は、1893(明26年)から1897(明30)年までこの高等小学校にいたはずですから、廉太郎ともスガとも顔見知りだったことになります・・・。滝と朝倉については同窓生として語られることが多く、朝倉の廉太郎像も有名ですが、朝倉と管野はどうなのか。
 清水卯之助さんの『管野須賀子の生涯』(和泉書院/2002)には、この辺りのことが書かれているのだろうか?。


  *瀧廉太郎  1879.08.24~1903.06.29
  *管野すが  1881.06.07~1911.01.25
  *朝倉文夫  1883.03.01~1964.04.18

by kaguragawa | 2011-11-02 22:14 | Trackback | Comments(0)

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