富山ルーツの北海道の“鉢呂さん”
2011年 09月 03日
きのう帰宅しておどろいた。新内閣の初入閣者に富山関係者の名前があるではないか。今度は、なぜか騒がれないが富山の人ならアレッと思われる名前だ。そう、鉢呂吉雄さんの「鉢呂姓」だ。
“鉢呂”“鉢蝋”は五箇山にある特異な姓であり、“鉢呂”姓は入植にともなって北海道にも多いようだ。何人か県内で存じあげている方もあるが、忘れられているが、忘れてはいけないのが農業研究者で「農林1号」の鉢蝋清香だが、話がそれてしまうので鉢呂さんに戻ります。
鉢呂吉雄さんの出身は、北海道新十津川町――。「十津川」というと奈良県吉野の地で、私などは幕末の十津川郷士のことを思い出すし、あることを調べるために「十津川」のことを一から勉強してみようと思って帰宅したばかりだったので、この偶然に驚いて、この項を書き始めたのだ。
北海道樺戸郡新十津川町の方は、〔Wikipedia〕によると “1889年に起きた奈良県吉野郡十津川村での十津川水害の被災民がトック原野に入植し新十津川村と称した。この関係で十津川村とは同じ町(村)章を用いている。”とのこと。
なぜ、ここに富山出身姓の鉢呂さんがおられるのかわからないが、新十津川町無形文化財になっている「新十津川町獅子神楽」の解説に、“新十津川町は、元々奈良県十津川村から移住開拓した人々が開いた町である。しかし明治期の若者衆が娯楽を求めていたときに、中川三之丞氏、山本十吉氏、高桑伝次郎氏らが中心となって、彼らの出身である富山県の獅子舞を伝え、現在に至っている。”とある。彼らは、富山県の利賀村栃原(現在は南砺市)というから、ここで五箇山と結び付く。こういったあたりが“新十津川町の鉢呂さん”のルーツなのではなかろうか。(追記:鉢呂吉雄氏のご先祖は五箇山旧平村〔現南砺市〕とのこと)
いずれにせよ首相と経済産業大臣のルーツが富山県という野田内閣。そのルーツが、谷筋を二つ越した八尾と五箇山という民謡の里であるのも不思議だ。
「どじょう内閣」を「富山ルーツ内閣」と呼び、あたたかくきびしく見守りたいが、私は幕末の十津川のことを、調べねば。。。。
〔追記〕
鉢蝋清香については、――「鉢蝋清香」をgoogleで検索すると、なんとこのブログが?!――、〔kotobank〕からコピーしておきます。
鉢蝋清香 はちろう-せいこう
1902-1942 昭和時代前期の育種技術者。
明治35年4月29日生まれ。大正14年東京農大を卒業。新潟県農事試験場で水稲の品種改良にとりくむ。昭和6年並河成資(しげすけ)とともに,極早生(ごくわせ)で,良質,多収性の農林1号を育成した。昭和17年1月10日死去。41歳。富山県出身。
by kaguragawa | 2011-09-03 09:29 | Trackback | Comments(8)
新十津川は産炭地ではありませんが、北海道空知管内で、多くは炭産地、いまはどこも炭鉱はだめになりましたが、北海道へ入植してきたのは、東北、北陸の人が圧倒的に多く、富山が最も多く、内地(北海道以外)を故郷にしています。
私の父方も、母方は秋田です。
御神楽は厳しい炭鉱での生活を守ってくれる、大事なお祭りの行事に使われたと聞いております。
私の故郷夕張では御神楽は聞いてはいませんが、やはり、空知の茂尻炭鉱には御神楽が残っていますし、新十津川のお御神楽同様もとは富山だったようです。
本家の奈良県十津川は今回の台風で被害が甚大で痛ましいです。
冬の寒さに慣れている北陸の方たちが、入植しやすかったのでしょうか。
小さいころ、富山の薬売りの方が家に置薬を運んでくれると祖母などは富山のことを一生懸命聞いていたことなど思い出します。
新政権、頑張ってほしいです。野田さんは千葉県船橋が選挙区、地元です。
「空知」は独歩ファンの私には、たいせつなところです(訪れたことはありませんが)。あっ、そうそういろんな文学作品に登場する「売薬さん」を拾いだした一覧表をつくろうと思ったこともありましたが、私には無理な計画でした。。。
十津川に“玉置山”“玉置神社”というのがあるのですね。吉野熊野は謎と憧れの地です。
マスコミが煽りすぎる風潮は昨今に限ったことではありませんが、それにしても残念でした・・orz
野田政権にとっての最初のつまずきになりましたが、この政権に対し興味本位の期待感ではなく切実な思いでの期待感があるだけに、――そしてこの思いは多くの人に共通するものではないかと思うのですが――外野席に身を置くのではなく、政治に関わっていきたいと思っています。