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南原繁「歌集形相」から   

 秋聲記念館では、7月31日から「桐生悠々展」。
 『関東防空大演習を嗤(わら)ふ』などの文筆活動で当局と闘い続けた悠々の亡くなったのがアメリカとの開戦を3ヶ月後にひかえた1941年9月10日。
 文学的デビューを語りあいともに金沢から上京した悠々の若き日の友だった徳田秋声の新聞連載中の芸者の一代記『縮図』が、当局からの圧力によって中断したのがその5日後の9月15日・・・。
 このような人生の軌跡をもった二人の出会いと交流はどのようなものであったのか。

 秋声、悠々の人生が東京と名古屋という異地で不思議な交わりをもった1941年、秋。
 ようやく手に入れた南原繁「歌集形相」のなかに、同じ時期に率直に詠われた歌が残る。

    十月十七日第三次近衛内閣倒れ東条内閣つくらる

  一死国に報いむと言挙げし大臣近衛の三月にして去る

  一人に総理陸軍内務大臣を兼ぬこの権力のうへに国安からむ

  権をとれる者ら思へヒットラーといへども四面楚歌は敢えてなさざらむ

  あまりに一方的なるニュースのみにわれは疑ふこの民の知性を

    十二月八日

  人間の常識を超え学識を超えておこれり日本世界と戦ふ

  日米英に開戦すとのみ八日朝の電車のなかの沈痛感よ

  民族は運命共同体といふ学説身にしみてわれら諾(うべな)はむか

by kaguragawa | 2011-06-20 01:08 | Trackback | Comments(2)

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Commented by suiryutei at 2011-06-27 14:07
こんにちは。梅雨空が続きますが、お変わりないですか。
南原繁は歌も詠んでいたのですね。知らなかったです。
Commented by kaguragawa at 2011-06-28 01:24
酔流亭さん、コメント有り難うございます。
南原繁というと戦後の言論人という側面で語られることが多いのですが、彼の政治学者としてのまっとうな研究はその割には読まれていないようですし、大正年間に私の住む射水市の原型である旧射水郡の郡長をつとめている内務官僚として実践(パトス)の人であったことはこの地でも忘れられかけています。以前の記事に少しその辺りのことを書いたので、お暇な折にお読みください。

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