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06/12/2005〔「菊の湯」と「菊水湯」〕   

昨日、“本妙寺境内地跡に銭湯があります。”(『古地図・現代図で歩く 戦前昭和東京散歩』からの情報)と書きましたが、近藤富枝『本郷菊富士ホテル』を探し出して巻末の地図を見てみたところ、なんと「菊坂付近略図」(羽根田富士雄氏の回想図)に「赤心館」の細い道をはさんだ向かいに、たしかに「菊の湯」という浴場が書き込まれていました。

菊坂の銭湯と言えば菊坂の下道にある「菊水湯」が有名?ですが、内湯の無かった当時、こうした銭湯は数多くあったのでしょうね。(その創業者の多くが富山県や新潟県の出身者だと聞いたことがありますが、未確認です。〔追記:その7~8割が、石川・富山・新潟県出身者だとあるサイトにありました。〕)

『アルビレオ』第3号〔特集:賢治TOKIOを行く〕(1995.4)に福島泰樹さんの「鴬谷から菊坂へ~東京の賢治を歩く」という小紀行――氏の『宮沢賢治と東京宇宙』の前哨となったもの――が載っているのですが、そこに「菊水湯は80年前に建ったんですって。ならば賢治は当然、入浴している。一葉はどうだったのだろう。啄木はいかに・・・。」とありますが、残念ながら一葉はすでに世になく、啄木は「菊水湯」ではなく「菊の湯」を利用したでしょうね。

なお、『古地図・現代図で歩く』は、もっぱら「明治大正東京散歩」の方を利用していて「戦前昭和東京散歩」は見ることはほとんどなかったのですが、後者には「浴場」が、煙突の記号で書き込まれているということも大きな発見でした。

〔後期:1〕
本妙寺の境内の番地が82で、墓地が94と飛んでいますが、その間の番地は本妙寺門前にあった正立院とか雲妙院とかの子院に割り当てられています。
(明治20年刊行内務省地理局編「東京五千分一図」)

〔追記:2〕
済生学舎に関する記述を近藤富枝『本郷菊富士ホテル』の中でみつけました。“済生学舎は明治九年に開かれている。明治十七年以降医者になる道は、大学を卒業して無試験で資格を得るか、どこかの病院で長い間代診をして医学と臨床の研究をするか、済生学舎に通学して、ニ期の医術開業試験を受けるか、三つに一つの道を選ぶよりなかった。”
:医術開業試験と済生学舎
http://www.nms.ac.jp/nms/kaibou1/Ihistory.htm
http://www1.linkclub.or.jp/~yosihide/kuba-7

by kaguragawa | 2005-06-12 07:41 | Trackback | Comments(0)

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