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06/10/2007〔「三島野」〕   

 ある発行物に書いた「家持の越の歌をたずねて」の《三島野》を転載しておきます。空いたスペースをふさぐために書いたもので、地域ならではの話題ということで「三島野考」になりました。

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 ■■で家持の歌を取りあげましたが、この歌に登場した「三島野」について、少し考えて見たいと思います。
 なぜなら、万葉の時代から「三島野」と呼ばれたこの◆◆周辺の射水平野が、奈良時代にどのようなところであったのかを知る手がかりが、家持の歌に 多く残されているからなのです。

 では、「三島野」が具体的にどのあたりだったか、どのような場所であったのか、家持の歌から探ってみましょう。
 万葉集には、二つの歌に「三島野」が登場します。三島野が登場する一番目の歌は、天平十九年(747)九月二十六日に歌われた長歌で、二番目の歌は、■■にも紹介した天平二十一年(749)三月十六日に歌われた短歌です。

 これらの歌に「三島野」の位置を特定できるヒントがあるのでしょうか。

 二番目の歌から見てみましょう。

    三島野に霞(かすみ)たなびきしかすがに 昨日も今日も雪は降りつつ

 これは「三島野に霞たなびき」という表現からして、“眺められた情景”であることは間違いのないところです。そして歌が作られた事情からしても、当時越中の国庁や国守館があった伏木の高台から家持が、東南の平野部を眺めて詠んだものと考えるのが一番自然です。しかも「三島野」は、霞や雪が見渡せる範囲ですから、伏木高台から ほど近い平野をさすものとも思われます。
 ここから推定されるのは、現在の射水平野の西側(旧大島町・大門町の範囲)が当時「三島野」と呼ばれていたのではなかろうかと言うことです。

 では、もう一つの天平十九年の長歌の方を見てみたいと思います。
 これは、家持が愛用していた鷹狩り用の鷹を老召使いが逃がしてしまい、それを夢のお告げで追いかけるという おもしろい歌です。ここには鷹の逃飛行が具体的に書き込まれています。
 この歌の詳しい紹介は、次回にしたいと思いますが、この長歌の中に家持の愛鷹“大黒”は、

   三島野を脊向(そが)いに見つつ 二上の山飛び越えて 雲隠り翔(かけ)り去りにき

と、三島野を背にして二上山を越えて飛び去ったと歌われているのです。

(続く)

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〔追記〕
 以上、たいしたことは書いてないのと自発的に書いたものではないので、単なる記録として転載しました。が、最後の部分に、雲のかかった二上山の写真を載せたため、引用した「二上の山飛び越えて雲隠り翔り去りにき」のイメージがとても広がったのはうれしいことでした。

by kaguragawa | 2007-06-10 06:48 | Trackback | Comments(0)

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