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三島霜川「ひとつ岩」(二)   

 とある物陰に寄り集まって、七人の腕白盛りが、なにかわいわい喚きあっていたが、その中の一人がふいと、砂場から上がってくる次郎兵衛に目をつけた。
「やぁ、黒爺か。」とつぶやき、ややしばらく次郎兵衛の方を眺めていて「おい、おい。」と、小声に仲間を呼んで、何か密々(ひそひそ)ささやく。腕白盛りのわめき声はぱったり止んで、その眼は一斉に老爺の方へ振り向けられる。だしぬけに、仲間の二三人が、「黒兵衛さん」と呼んで、どっと笑いをどよめかして、ばらばらと駆け出す。
「何だっ、餓鬼め、うぬっ……。」と、次郎兵衛はかっとして、地団駄踏む。逃げ出した腕白盛りは遠くからしきりに悪口する。
  次郎兵衛はやっきとなって、勢い込んで駈け出そうとすると、残っていた腕白盛りが、「爺っ、爺っ。」と殊勝らしく同音に呼びかけた。 次郎兵衛は立ち止まって言葉せわしく、「何だ。」
 腕白盛りはばらばらと老爺を囲んで、甘えるように、「白ぅ、あじょにしただ、いるだか。」
「うむ、いるだァ。」と、老爺はにっこりする。
腕白盛りはいずれもしめた「という顔つき。
 中に勇太という曲者痴れ者は、素早く気を変えて、「いるだぁ?。」と、仔細らしく首を傾げる。
「いるだァよ。」
「え、どこに、俺ぁ、俺ぁな、え、爺っ、さっきな山八の赤ン畜生と噛け合わせてくれべえと思って、えらく探しただが、畜生、いねえだ。」
 老爺は快げに笑い出した。「はははっ、汝らがには解(わ)かんめぇ、家にいるだぁもの。」
「家に?。」
「家にいるだぁよ。」と老爺は大仰に頷いて、
「俺がいるとえいだがな、俺がいねちうと、汝らが寄ってたかって、白を痛しめるだかんな。そんで汝らが目に入ぇんねいように、家さいれておくちうだ。なぁ、餓鬼めら、弱(がお)っただっぺえ」と、言い捨て、さっさと歩みだす。勇太はうろたえて、「爺ッ、ま…待ってくんろ、待てってば、よ、なぁ、爺ッ、俺達が白を痛しめるだってよ?、……そんな事ぁ無えだ、うそだ、はぁ、俺たちぁ、爺ッ、白が噛合いするたんびに、白ぅけしかけるだ、白ン畜生、えらく強えだかんな、ほんに強えだかんな、強えだで面白いちうだ、真実(ほん)のことだがな、爺っ!、俺達ぁ白に加勢するだが、なぁ勘ッ、俺達ぁほんに白に加勢するだな、なァ。」
 老爺は振り向いて、「ほんにか。」
「ほんの事(こ)んだよ、爺ッ、ウソでねえだ。」
 腕白盛りは、ことごとく、一生懸命にまことしやかにうなずいている。老爺は。ふところを探って、いくらかの鳥目を取り出して、三人にわけてやった。そうして更に念を押した。
「なぁ、えいか。忘れただちうても白を痛しめてくれるでねえぞ。」
 腕白盛りは、てんでに引ったくるように、老爺の手から鳥目を取ってしまった。鳥目さえ取ってしまえば、彼らは老爺に、何のはばかることことがあろう。何の心にもない追従などをいうことがあろう。不意にばらばら駈け出して、
「わァい、わァい、ははははッ、黒ッ、やいッ、黒来い黒来い黒爺のこけ、やァい――、黒兵衛汝が家の白に誰が加勢すべえ、畜生、やたらに吠えるだもの、今に叩き殺して、煮て食うだ……。」
 口巧者の勇太までその音頭をとって、後の輩(てあい)も思いきった大声で、口々に喚く。老爺は逆上せ上らんばかりに怒った。覚えず五歩六歩駈け出して、ふっと気がつく。駈けることと来ては彼よりは子供の方がまさしく上手である。巧みである。そこで老爺は長追いしていたずらに息を弾まして重ね重ねの馬鹿を見るよりはと思って、無念を忍んで、と、立ちすくんだ。
「畜生ッ、餓鬼ッ、うぬ、また?、覚えてろッ、えッ、ひんねじってくれるだっけ………。」
 と、拳を握って、歯噛みをならす。腕白盛りは弱みへつけこんで、眼をむき尻を叩き、顔を傾げ足を踏ん張り、さまざまな真似して、老爺をいらだしていたが、やがて、誰も彼も振り返り、狐の如く駈け出して、たちまち苫屋の陰の暗いところに見えなくなってしまった。老爺は茫然した顔で、その後ろ影を見送りながら、
 「えっ、餓鬼めらァ、いつでもはァ、こうだっけものなァ、何だちて銭なんぞくれる気になったっぺえ。何で。」
 と、一心に考えつめて、口の中でぶつぶつ言って、おのれの愚をたしなめていた。
 老爺の足下に――路上に――牡蠣の殻や、蛤の殻や、鮑の殻や、さまざまな貝殻が散らばっていて、それには月影が映(さ)して、きらきらと寂しく光っている。月は隈なく照りわたっていた。苫屋苫屋の軒は一続きに靄を吐いて、家並みのはてはぼんやりして家の影さえはっきりと見えぬ。
 屋根は濡れて、煙って、そして蒼みがかった光をはなっていた。
 子供の影を見失って、老爺はとみに張り合いを抜かした。しかたなしに、唇をかみしめて、ゆったりゆったり歩み出す、姿は悄然(ひっそり)していた。老爺のかかる目にあわされたのは。あながち今日に限ったことではない。が、その場でこそ、全身の血を頭へ上らして憤激しているものの、怒りはすぐに鎮まって、怨みも忘れて、彼は幾度となく同じ腕白盛りに同じ手をくらって、その度ごとに怒ってあがいて、後悔して、馬鹿馬鹿しく業を煮やしていた。
 首をたれて、折々ため息ついて、憤々しながら老爺は家の戸口まで来た。と、残酷に自分を苦しめていた妄念は煙のごとく消え去って、気がのんびりする……、何か知らず可笑しくなって――危うく吹き出そうとして、勢いよく、がらり雨戸を引きあけると、白犬が勢いきって表へ飛び出す。主の姿を見て白犬は嬉しそうに尾を振って、跳ね回って、低い声で二度三度甘えるように吠えたてた。
 老爺はしゃがんで、「白か、うむ、うむ、えいだ、えいだてば。」
 と、向こう脛へ飛びかかる白の頭を撫でてやった。白と名づけられた白犬は、名のごとく毛色の白い、つやのある、肥った、図抜けて体格(がら)の大きな犬であった。
 白は少しく首を傾けて、不平らしく、また怨めしそうに、じっと老爺の顔を見上げる。老爺は面白そうに笑って……、突然、思い出したように、「ほい、しまった、汝のみやげ買ってくるのを忘れてただ。」
 と、叫んだ。ひょいと立ち上がって、そそっかしく内庭へ入って、抛り出すように、担ぎ物をおろして、そして、自分に尋ねてみた。
「なぜ、忘れて来たっぺえ、いつだって忘れてきたことがねえだに。」
 そよそよと吹き渡る夜風に、門(かど)の一本柳はちらりちらり絶え間なく枯れ葉を散らす。後ろの山からは松韻颯々と、昔ながらの微妙な音楽が送られる……。

by kaguragawa | 2011-04-15 22:43 | Trackback | Comments(0)

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