人気ブログランキング | 話題のタグを見る

三島霜川の命日   

 折から、昼の熱を冷まして、そよと吹き立つ夕風は、そっと柳の梢をなぶって、柳の葉は二葉三葉ひらひらと――臆病らしく――大地に散乱る。暑さに萎んでいた夏草は、ほっと一息した風で、勢づいて、是から夜気に、うたれて、しっとりと露でも宿そうという支度のところを、卯之は容赦もなく、蹴飛ばして、踏み躙って、散々な酷い目に逢わせて行く。と、小怜悧な、機敏い赤蜻蛉の群れは、なぶってでも行くのか、ともすると、放心した卯之の頬を掠めて、知らぬ顔をして、ついとどこへか飛んで、素早く仲間の中へ紛れ込んでしまう。中にはやり損なって、草の中へ叩き落とされて、微かな羽音を立てながら、じたばたしているのもあった。
 境の涯の木立は、はや夜の色に染められて、うっすりと煙っていた。見返る町の方は、家並みの軒ランプや電燈に、ひとところ、ぱっと映々しくなって、町の噪ぎはちっとの間底の方へ籠められてしまった。
「お星っ様の瞬きの具合じゃ、明日ぁまた風だろうぜ、……なっ。」


 今日は、三島霜川の命日。といっても亡くなった家が郊外の中野のどこであったものか、臨終に立ち会った水守亀之助の手記はあるものの場所が記されていなくて今になっては特定できないのだ。
 上記は初期の小説「はんけち」(「新小説」所載/明治34)の一節。

by kaguragawa | 2011-03-07 23:53 | Trackback | Comments(0)

名前
URL
削除用パスワード

<< 宮沢賢治の国民高等学校 金沢街歩き――本多町界隈 >>