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上柿木畠の時空散策(2) 上柿木畠の「藤屋」   

 きのう予告?を書いた時点では、柿木畠にちなむ話題として「藤屋旅館」と「みやぼ旅館」のことを書こうと思っていました。「藤屋旅館」は、1917(大6)年、竹久夢二が金沢に来た時なじみになった旅館です。これが、たしか柿木畠にあったはずで、しかも現在の金沢教会(日本キリスト教団)が、「藤屋旅館」の跡地に建っているとなにかで読んだ記憶があって、そういうこともこの『金沢・柿木畠』にはしっかり書いてあるだろう、そのあたりのことを一度きちんと調べて書き記しておこうと思っていたのです。

 ところが、きのう記事を書き終わった後で、資料を片づけていたらばどうした偶然か、以前、中川富女のことを調べていたときの資料の一部が出てきたのです。整理の悪さゆえ所在不明になっていたものですが、そこには中川家の居所が“上柿木畠三十五”と明記されているではありませんか。が、うれしさと同時に、二次資料ゆえのあやうさ・あやしさもありますが、そもそも明治時代の番地を書き記した地図など容易に入手できるのだろうか・・・という懸念も頭をよぎったのです。時間をかけて調べるしかないな、とあきらめて、安眠というわけです。

 (本題の前段が長くなって恐縮なのですが、もう少し余談をお許しください。)

 今朝、『金沢・柿木畠』を開いて、ちょっとあわてふためいてしまいました。きのう引用した富女の句“わが恋は林檎のごとく美しき”が、ちょうどページの最後で、次のページから別の話題に移っているとばかり思っていたのですが、「家は今の芝生さんの裏にありました。」の一文だけが、次ページ〔55p〕の行頭にまたがって残っていたのです。
 “芝生”というのは確か今もある、お店の名前のはずです。そしてそこが“上柿木畠三十五”だったのか・・・というわけです。「地図で、〔芝生〕の場所を探してみよう!」。

 ここで、運良くか、運悪くか、電話。 「そうそう、あわてない、あわてない。芝生を探す前に、藤屋旅館の情報を『金沢・柿木畠』の中から探そう」、というわけで席を立ったのでした。
(続く)

〔追記〕
 夢二と藤屋旅館との接点を、先に整理しておきます。
 (夢二の詳細な年譜(*)にはこうあります。1917年の夢二と彦乃の金沢・湯涌紀行に関するものから藤屋に関するものを中心に並べるとこうなります。)

 1917(大6)年
 8月24日 金沢入り。藤屋旅館滞在
 9月15・16日 西町「金谷館」で「夢二叙情小品展覧会」を開催
 9月24日 夢二・彦乃・不二彦、郊外の湯涌温泉へ。10月15日まで滞在。
 9月25日 藤屋のコックが自転車で湯涌温泉「山下旅館」までバナナと手紙2通を届ける
 10月16日 9時頃、人力車が来て金沢市中に戻り一泊(藤屋旅館か)。
 10月17日 11時頃の汽車で金沢を出立。

 *主に、『夢二――ココアの匂い、里居の朝。――』(金沢湯涌夢二館/2015.4)より


 夢二は金沢入りして約一か月間「藤屋」に滞在したのだろうか。それにしても、 「藤屋のコックが自転車で・・・」というのには恐れ入ります。延々とした登り坂道を自転車で、市内から湯涌までどれだけの時間と労力がかかったのでしょうか。
 

by kaguragawa | 2011-02-13 16:20 | Trackback | Comments(0)

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