夢二と金沢人〔土岐僙、小竹幾久枝〕   

 歴史的事実の「発見」とは、いうまでもなく「発明」ではなく「発掘」でしょう。そういう意味で、歴史のなかに埋もれてしまった事実を見つけ出す作業は苦労もありますが愉しいものです。

 ヒントは「無窮会」にありました。金沢出身の司法官僚・河村善益のことを調べていて突き当たったのが、河村善益の盟友・平沼騏一郎がその基礎をつくった「無窮会」でした。平沼が受け継いだ神道・国学の碩学・上賴囶の遺した膨大な蔵書がこの会の物的基礎であったとすれば、西大久保にあった平沼邸に集まった国運を憂える人たちがこの会の人的・精神的基礎になったと「無窮会」のHPの「沿革」に記されています。
 平沼邸に集まったこの平沼グループともいうべき人たちの一人が、河村善益だったのですが、そのグループには私にとって意外な名前があったのです。《土岐僙》――、上京直後の竹久茂次郎(後の夢二)が寄宿させてもらっていた渋沢系の銀行家です。

 竹久茂次郎(夢二)のこの寄宿時代に「小竹幾久枝」という金沢出身の女性と出逢っていることも、先日書きました。どうも竹久茂次郎が寄宿先の土岐家から頼まれて小竹家に届け物をした際、小竹家の――といっても母娘だけの世帯ですが――幾久枝さんと話をし、次第に親しくなったようなのです。そして茂次郎はその裏面に告白文?を書いた「写真」をその幾久枝さんに贈ることになるのです。

 3週間前この写真の記事を書いた直後、この女性の名前「小竹幾久枝」を検索してみて、予想も期待もしてなかった、いや想像もしていなかった「小竹幾久枝」さんに関する詳細な報告記事を見つけました。幕末維新期の金沢における小竹家に関する興味深い記述がそこには書かれてあったのです。剣町柳一郎さんのHP「剣町柳一郎の本棚」のエッセイ欄です。
 さっそく連絡を取らせていただいて多くのことを教えていただいたのですが、土岐家と小竹家がどのような関係だったのかについて、剣町さんも不明とされながらも、土岐家も金沢の出身ではないかとのサジェスチョンを与えていただいたのです。

 夢二と出逢い妻となった女性・岸たまきだけでなく、はたち前の放浪時代に知り合った小竹幾久枝も金沢の出身だったというだけで私にはショッキングなことだったのに、上京直後の縁故のない東京で寄宿させてもらった土岐僙も金沢の出身だったなどというのは、あまりに話が出来過ぎています。しかし母娘だけで東京に出てひっそりと暮らしていた小竹家とつきあいのあった土岐家が、出身地〔金沢〕を同じくする士族であったと考えることは合理的でもあります・・・。

 しばらく途方に暮れていたのですが、そのとき出会ったヒントが「無窮会」だったのです。その創立期のメンバーにはなぜか金沢出身者が多いのです。先に書いた河村善益のほかにも北条時敬、織田小覚、早川千吉郎 、そして井上友一・・・。
(実は、北条時敬以外、三井系の経済家・早川千吉郎、日露戦争後、地方改良推進運動を推進した内務官僚でのちに東京府知事となった井上友一が金沢の出身であることを今確認して驚いているところなのです。)

 そして、今現在、具体的な資料で確認はできてないのですが、土岐僙も金沢の士族出身であることもほぼ確かとなったのです。ささやかな歴史的事実の発見です。
 (この点の報告は、後日)

 夢二の東京での生活の端緒にあったのも土岐僙、小竹幾久枝という金沢出身の人間でしたし、夢二式美人のモデルともなり夢二を世に出した妻・岸たまきも金沢出身でした。さらに夢二の生き方の一つの転換点になった大逆事件にも土岐僙と親しい金沢出身の河村善益が関わっていたとすれば、夢二の人生は金沢の不思議につながった人脈に彩られていたと言うしかないのです。

 というわけで、ささやかな歴史的事実の「発掘」を愉しんだ次第です。
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by kaguragawa | 2011-01-29 01:26 | Trackback | Comments(3)

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Commented by Atsuko at 2011-02-24 14:51 x
こんにちは
昨年の11月、我孫子市にある白樺文学館に管野すがの針文字書簡展を見に行ったのですが、会場で出会った方に声を掛けて頂き、いろいろ昔話をお伺いすることができました。山手線の目白駅近くにある「ギャラリーゆめじ」での「夢二日記を読む会」に参加されているとのお話でした。添田知道(さつき)が発行していた「素面」の事務方のお手伝いをされていたことなど、いろいろ興味深いお話をお伺いしました。
Commented by kaguragawa at 2011-02-24 23:45

Atsukoさん、ご訪問有り難うございます。このブログにお寄りいただいている酔流亭さんが安孫子市にお住まいでこの針文字書簡のことを教えてくださいました。牧水にも詳しい方なので、牧水の“虚無党の一死刑囚死ぬきはにわれの『別離』を読みゐしときく”(『路上』)の「一死刑囚」が誰なのかご存じかもしれません。
ところで昨年7月、その「ギャラリーゆめじ」での15年かけての夢二日記輪読会(正式には、東京夢二研究会)の、最終日に参加させていただきました。(時間があれば過去のブログ記録ご覧ください。)Atsukoさんが遭われた方にお会いしているかも知れません。
Commented by suiryutei at 2011-02-25 15:35
こんにちは。
我孫子をお知りの方がここに訪ねてこられたとはうれしいです。
Atsukoさん、初めまして(かぐら川さん、横から失礼)。かぐら川さんに親しくしていただいている酔流亭と申します。
ああ、牧水のあの歌、誰を詠んだのでしょう。牧水というと私は彼の酒の歌ばかり口ずさんで、不勉強でした。

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