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大逆事件の判決言い渡し   

 1911年1月18日、大審院第一号大法廷で幸徳秋水ら26名に対する判決の言い渡しがありました。

主文

右幸徳伝次郎外二十五名に対する刑法七十三条の罪に該当する被告事件審理を遂げ判決をすること左の如し
被告幸徳伝次郎 管野スガ 森近運平 宮下太吉 新村忠雄 古河力作 坂本清馬 奥宮健之 大石誠之助 成石平四郎 高木顕明 峯尾節堂 崎久保誓一 成石勘三郎 松尾卯一太 新美卯一郎 佐々木道元 飛松与次郎 内山愚童 武田九平 岡本頴一郎 三浦安太郎 岡林寅松 小松丑治を各死刑に処し 被告新田融を有期懲役十一年に処し 被告新村善兵衛を有期懲役八年に処す


 この時の瞬間を、被告の飛松与次郎は次のように書いています。

 意識が断雲のように頭の中で絶えたりつづいたりした。自分が茫然と立っていることを自分の意識がはっきり自覚していた。何ともなかった。何ともないことを自分の心がしきりに意識したがっていた。


 そして石川啄木はこの日の日記に、こう書いています。

 今日は幸徳らの特別裁判宣告の日であつた。午前に前夜の歌を清書して「創作」の若山〔牧水〕君に送り、社に出た。
 今日程予の頭の昂奮していた日はなかった。そうして今日程昂奮の後の疲労を感じた日はなかった。二時半過ぎた頃でもあったろうか。「二人だけ生きる生きる」「あとは皆死刑だ」「ああ二十四人!」そういう声が耳に入った。「判決が下ってから万歳を叫んだ者があります」と松崎君が渋川氏へ報告していた。予はそのまま何も考えなかった。ただすぐ家へ帰って寝たいと思った。それでも定刻に帰った。帰って話をしたら母の眼に涙があった。「日本はダメだ。」そんな事を漠然と考えながら丸谷〔喜市〕君を訪ねて十時頃まで話した。
 夕刊の一新聞には幸徳が法廷で微笑した顔を「悪魔の顔」とかいてあった。

by kaguragawa | 2011-01-18 23:19 | Trackback | Comments(0)

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