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石狩の空知郡の牧場のバター   

 ある個人的理由もあるのですが鬱鬱として心楽しまない日の多いこの頃です。極寒の監獄にいる100年前の無罪の人々のことが深く心をふさいでいますし、大逆事件とともに拾い読みを始めた石川啄木の歌や日記にみられる心象にも心が冷えることの多い日々でもあるのです。

 そんな啄木の日記ですが、16日の日記は少しほっとする内容のものでした。(全集を借り出す余裕がなく、引用はある本からの抜粋です。)

 一月十六日 晴、寒。
 気持ちのいい日であった。朝には白田に起こされた。
 空知の智恵子さんから送ってくれたバタがとどいた。
 前日の約によって社からすぐ土岐〔哀果〕君を訪ねた。二階建の新しい家に美しい細君と住んでいた。雑誌のことで色々と相談した。我々の雑誌を文壇における社会運動という性格のものにしようという事に二人の意見が合した。十時過ぎに帰ったが風が強かった。


 土岐善麿(哀果)――13日が初対面――と雑誌『樹木と果実』を出そうと意気投合したのだが、この雑誌は不刊に終わっています。
 それより注目したいのが、「智恵子さん」からのバターです。啄木ファンの方ならご存じと思いますが、このバターは遺歌集『悲しき玩具』に、“石狩の空知郡の 牧場のお嫁さんより送り来し バタかな。” と詠まれることになります。その贈り主・北村智恵子(旧姓:橘)は、啄木が函館の弥生尋常小学校の代用教員だった頃の同僚教師でした。その橘智恵子は、啄木が『一握の砂』に「忘れがたき人人」という章題のもとにその後半に、二十二首の歌を捧げた人なのです。
 啄木とこの智恵子さんの交流については、私のようなにわか啄木ファンでも語りだすとかなりの話題を持っているので別の機会にと思います。が、この機会に余談ですが書いておきたいのが、橘智恵子の実家の札幌の橘家は富山県射水郡長慶寺村(現:高岡市)の出であること、智恵子の父・橘仁は越中の地から上京して津田仙に学び北海道にリンゴ栽培を夢として渡ったこと、もう一つ残念なことにそれらに関わる資料を多少は集めたのですが、わたしの不注意で紛失してしまったこと。

 ・・・というわけで、ほっとする話題も私には少し悲しい思いにつながっていってしまうのです・・・。


〔追記〕
 一昨年の11月に、橘智恵子のことを断片ながら書いていました(1日28日)。
 「めぐり逢うことばたち:2009年11月」

〔追記〕
 web上に、啄木の全日記を載せておられるHPを見つけました。残念ながら制作者方の名前がわからないのですが、紹介しておきます。
 《石川啄木日記》

by kaguragawa | 2011-01-16 18:58 | Trackback | Comments(0)

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