金沢街歩き――秋声記念館~中也の遊んだ幼稚園   

 秋声記念館の企画展「三島霜川展」をゆっくり見たくて、急きょ予定を変更。しごとは横に置いておいて、金沢に足を運びました。あらためて展示物に付された解説を読んだりメモしたりしながら、霜川の文学者としての人生を想いました。

 ちょっと余徳?もありました。同館の常設展で秋声会の会報「あらくれ」に寄せた尾崎士郎の原稿を見て、尾崎士郎がこの会の同人だったことを思い出しました(正確に言うと、――阿部知二、井伏鱒二、榊山潤、中村武羅夫、楢崎勤、舟橋聖一、室生犀星らと並んで名前が記されているのを何度も見ているのですが、秋声と尾崎士郎を結ぶものに思いいたらず、尾崎士郎=あらくれ同人ということがまったく頭にはいっていなかったうかつさに、気がついた――ということです。)
 文人堺利彦と秋声のあいだにこのようなかすかな縁があったのです。

 それはそうと、尾崎士郎は黒岩比佐子さんの『ペンとパン』で、堺利彦の“売文社”のやんちゃ社員?であったことも初めて知ったくらいで、『人生劇場』の著者であること以外なにも知らない人だったのです。


 秋声記念館を出て金沢ふるさと偉人館へ。企画展の「百年ぶりに中也がかえる――中原中也展」が11月7日までなので今日しか行ける日がないのです。中也と金沢にどんなつながりがあるのとおっしゃられる方がおありかも知れません。ひと言で言うと中也は幼年時代を金沢で過ごしているのです。中也と金沢については、私も以前何度か書いていますが、、この金沢ふるさと偉人館こそが、中也の通った「北陸女学校附属幼稚園」の跡地に建っているのです。この企画展のサブテーマが「中也が遊んだ金沢の幼稚園にて」である所以です。
 (追記:中也と金沢については、実は、中也が母親の胎内に宿った地が金沢であったという推論を、2年前おそるおそる書きましたが、その地をpucciniさんが紹介してくださっています。)

 この企画展、感想は割愛しますがとても充実しています。ただ現在の私には中也を胸の内にいれるこころの余裕がなく、それはわかっていたことでそれゆえに今回の企画展の参観は見送ろうとも思ったのですが、それでも中也の詩の力は大きくて、生原稿にのせられたいくつかの詩句が透過性のある放射線のように飛びこんで焼きつきました。

 そんなことより目にとまった資料で記録しておきたいのは、展示されてあった中也の幼稚園時代――――の「通信簿」(連絡簿のようなもの)?と「保育料受領証」。
 通信簿の内容を書きとることは断念しましたが、受領証の方には“束脩 金五拾円 柏村中也 仝亜郎”と書かれていました(「仝」=「同」)。
 当時、中也は中原中也ではなく、柏村中也だったのです。なお、弟の亜郎は兄・中也と一緒に幼稚園に行くと言い張ったのでは仕方なく?受け入れられたのではなかっただろうか。
 なお、犀川向こうの野田寺町からこの下本多町の幼稚園に通った道は、どこだったのでしょう。以前にこんなことも疑問として書きましたが、展示の地図には大胆にも?その経路を推測して地図に色付けしてあるのです。

 さらに予定変更して、金沢の街歩きを続けることとしました。

 (つづく)
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by kaguragawa | 2010-10-23 20:06 | Trackback | Comments(0)

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