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黒岩比佐子『パンとペン――堺利彦と「売文社」の闘い』   

 黒岩比佐子『パンとペン――社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社/2010.10)

 戦前の社会主義の闘将で売文社主でもあった堺利彦も現代の美人売文業者KUROIWAの手にかかって、おとなしく飼いならされてしまったようである・・・・などと書いても怒らないでニコッと笑って許してくれそうなのが、この本の主人公・堺利彦である。(これは黒岩さんが描き出した堺の人物像に仮借した感想なのですが)
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 売文社開業の時代――「冬の時代」と呼ばれる大逆事件以降の社会主義運動の谷間の時期――の堺利彦が中心に描かれているだけに、 「パンとペン」「売文」がこの本の堺キーワードであるとすれば、「忠臣蔵」、「捨石埋草」、「成行宗」が準キーワードだろうか。
 しかし、「土蜘蛛」「自転車」という片や泥臭い語と片や当時のハイカラ語も、堺を物語る欠かせぬ「ことば」だ。
 (「成行(なりゆき)宗」については、この本のどこかで出会えるはずです。)

 2年間の獄中(1908~1910)に、7歳の娘“真柄”に堺はこのような心温まる手紙を書いている。

 “Magaraヨ、コレワ、ローマジトユウモノダ、セキバンニカイテ、ケイコシテゴラン、トーキョーモユキガフッタノダローネ、ユキワ、サムイケレド、ウツクシクテ、ヨイモノダネ、オマエノウマレタノワ、一ガツ三ジウニチノヨナカデアッタガ、ソノヒワ、ユウカタカラ、ユキガフッテ、オマエガ、ハジメテ、オギャアトナイタコロニワ、一シャクバカリモ、ポッカリト、ツンデイタ、ダカラオマエワユキノコダ”

 カタカナで読みにくいかもしれませんが、――妻宛ての部分の決して読みやすいとは言えない漢字ひらかな交じりでぎっしり書かれた部分に対して――愛娘への語りかけは、娘が自分で読めるように発音通りのカタカナでていねいに書かれているのです。

 この幼かった愛娘が長じて父利彦の死(1933)に遭い――当時真柄は30歳の女性になっている――告別式で語っていることばは、胸を打ちます。
 (この真柄の答辞にも、警官の「中止、解散」の言葉が容赦なく投げられたといいます。)

 “明治三十七年日露戦争当時の非戦論から、今日の世界大戦の危機をはらむ時の戦争反対まで、常に棄石埋草として働きたいとしていた父でありました。今日の父を、棄石とし、埋草として、無産階級の戦争反対運動の肥料たり、口火たり、糸口たらしめていただけたらと私共は思うのであります。”


 作家・国木田独歩が画報など流行雑誌の「編集者」として顕れ、社会主義の闘士・堺利彦が浮世相談にも応じる職業コピーライターとして現われる比佐子マジックのステージも華麗でしたが、遠くて近づきがたい人物を等身大の――生身かつ普通の――人間像に戻して手の届くがごとくに描いてくださる緻密ながらも温もりのある比佐子語りも健在で、うれしく思ったことでした。

〔追記〕
 私事にわたりますが、一週間前に『水守亀之助伝』で再会し、もちろん黒岩さんの堺利彦評伝でも懐かしくも複雑な気持ちで出会ったのが堺の若き盟友・高畠素之でした。30年ほども前のことですが「資本論」の日本初の完訳者高畠素之のことを知りたくて、当時出た評伝を買った記憶があるのです。この本、もうどこを探しても出てこないのですが、田中真人『高畠素之――日本の国家社会主義』(1978)だったようです。


〔追記:11/10〕
 黒岩さんのブログによると、『パンとペン』なんと、刊行一か月にして早くも重版!だそうです。

by kaguragawa | 2010-10-12 23:58 | Trackback | Comments(8)

Commented by suiryutei at 2010-10-16 20:13
こんばんは。
服部之総が何かの文章の中で高畠素之のことに触れているのを読んだとき、まあ複雑な感情(評価しているような、また困った奴だというような)であるらしいのを感じた記憶があります。
Commented by kaguragawa at 2010-10-18 23:51
酔流亭さん、一日遅れの「こんばんは」、になってしまいました。
堺利彦、河上肇、高畠素之こうした名前を並べると、よくこうした人の著作を読んでいたI君のことを思い出します。彼が元気だったらなと思うことしきりです。
秋は人を想わせてくれる季節ですね。
Commented by suiryutei at 2010-10-20 22:09
またまたこんばんは。
半世紀以上生きていると、同世代の友人を喪うことを経験しますね。学生時代もっとも気の合った友人が死んで、じき10年たちます。まだ40代なかばだったのですが。
ところで東京にいらしていたのですね。ミロンガでコーヒーを飲まれたと。私もあの店、大好きです。そして私は今日、飛騨に行った帰りに富山で途中下車しました。駅近くの釜飯屋さんで満寿泉の純米酒を飲んでおりました。
Commented by かぐら川 at 2010-10-20 23:52 x
富山にいらっしゃっていたのですね。
あそこの釜飯はおいしいです。もちろん増泉も!。
ふと、奈良本辰也さんの『日本地酒紀行 』を思い出して、拾い読みしようと思ったのですが、あるべきはずのところに見あたらず・・・。(おかげで探しても見あたらなかった本が出てきたのですが)
Commented by suiryutei at 2010-10-21 10:56
奈良本辰也さんのあの本は面白いですね。私は近所の図書館で借りて読んだので、持ってはいないのですが。
造り酒屋はいわばマニュファクチュア・ブルジョアジー。酒のお好きだった奈良本さんにとって蔵元めぐりは自分の研究にも役立つ愉しい作業だったでしょうね。
Commented by kaguragawa at 2010-10-21 23:24
35年ほど前に内容はまったく覚えていませんが、奈良本さんの講演を聞いたことがあり、あの独特な風貌がありありと思い浮かんできました。
Commented by ろこ at 2010-10-21 23:39 x
かぐら川さん、こんにちは。
 しみじみとしたいい書評ですね。娘真柄に宛てた心温まる手紙と、その娘が長じて父の告別式に読んだ弔辞にスポットをあてたとは感動しました。表紙を飾るあのインパクトが強い三人のセピアの写真はかぐら川さんの書評にも反映していて白眉です。人間としてのやさしさに満ちた堺の側面がよく表れていますね。

>「遠くて近づきがたい人物を等身大の――生身かつ普通の――人間像に戻して手の届くがごとくに描いてくださる緻密ながらも温もりのある比佐子語りも健在で、うれしく思ったことでした」
 まさに言いえて妙とはこの一文に尽きます。

Commented by kaguragawa at 2010-10-23 23:26
拙文の特徴は「がさつさ」にありと自負していますので、「しみじみ」は、誤読です(笑)。いずれにせよ、褒むらるべきは、拙い感想ではなく、黒岩さんの力作の方ですね、言うまでもありませんが。

真柄へのメッセージは、写真版から書き出してみました。
中公文庫の「堺利彦伝」、待ち遠しいですね。
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