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《ことばの作家棟方志功展》 南砺市立福光美術館   

 Y先生へ

 ようやく福光美術館に行くことができました。福光美術館は久しぶりで、福光町もさらに久しぶりでした。そして福光との久闊は、そのまま棟方志功との久闊だったのですが、再会したいくつかの志功作品の久しぶりという思いは懐かしさを通り越して、はじめて見るいくつもの大作や多くの装丁本に、未知の志功世界への興味も覚えながら、心を清められるような想いに到り、ゆたかな気持ちで帰ってきました。

 今改めて調べてみると福光美術館が開館したのは平成6年ですので、私が志功をふくむ福光の文物に魅かれて福光町に足繁く?通ったのはもっと前のことになります。志功を福光に訪ねようと思ったのは、志功が宮沢賢治の「グスコーブトリの伝記」の初出誌(季刊誌「児童文学」)にこの作品の挿絵を書いていることを知ったことがきっかけでしたので、あえて言えば賢治散策の一環のなかで志功と出会うことになったのです。
 幸いなことに?、私の志功との出会いは板画作品そのものとの出逢いというよりは、志功が共感した物語性ある事物との出逢いという形をとったのでした。佐藤一英の「大和し美し」、吉井勇の「流離抄」、前田普羅主宰の「辛夷」――こうした作品と私の中の志功は、一体となっているようなのです。

 が、実は私の知っていたのは志功と文学の出逢いのほんの一部に過ぎなかったのです。企画展のガイドペーパーによれば、志功は“一四四冊の文学関係の本の挿絵や装丁を手がけて”いるよし。この企画展にならべられた多くの装丁本は、志功の文学世界への広い志向をだけではなく、私が「志功らしい」として知っている作品と異質とも思われる多様な創作のありようを示して示しているように思われるのです。

 残念ながら、1時間で見切れる展示会ではなかったのですが、閉館時間になってしまいました。時間かまわずで見たい思いが強いのですが、さらに残念ながら会期は今度の日曜日まで。この企画展「ことばの作家棟方志功展」の情報を見逃していた私にこの企画展を知るきっかけを与えてくださり、この企画展に携わられたY先生を紹介していただいたOさんと、志功にあらためて出逢う機縁をつくっていただいたY先生に、最後になりましたが、深く感謝の気持ちを書き記して、志功展訪問のとりあえずの報告とさせていただきたいと思います。あらためてお話をお伺いできる機会があれば、と思います。ありがとうございました。

 そういえば未完だったと思いますが、賢治の「なめとこ山の熊」の本文を彫り込んだ板画作品がありましたね。コピーしたものが家捜しすればどこかにあり、久しぶりに見たいと思うのですが、すぐには出てこないでしょうが・・・。

〔追記〕
 かつて、「賢治が晩年、佐藤一英の季刊誌「児童文学」に「北守将軍と三人兄弟の医者」「グスコーブドリの伝記」などの童話を書くきっかけになったのは石川善助が佐藤一英に賢治を紹介したゆえらしいのですが」と書きましたが、この企画展のガイドペーパーによると、志功の側の事情は次のようなものだったのですね。“昭和六年の初めころ、棟方の郷里である青森の先輩で、詩人の福士幸次郎が棟方に「児童文学」という雑誌の挿絵の仕事を依頼しました。”
 つまり、〔賢治側〕佐藤一英・石川善助・宮沢賢治〔志功側〕佐藤一英・福士幸次郎・棟方志功となるようですが、佐藤一英、石川善助、福士幸次郎の3人が親しかったことは、石川善助が行方不明になったときの捜索網でわかりますね。

by kaguragawa | 2010-09-23 22:15 | Trackback | Comments(0)

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