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霜川の「解剖室」のモデル都市(3)暫定   

 まとまった時間が取れないので、後日書きなおすことにして、とりあえずメモ風に

 長い土塀のある屋敷町。この描写からはこの町が城下町であることは確かです。
そして、S……川。

 ここまでくれば、この北国の町は「金沢」だと即断される方も多いと思います。「S……川」は、「さい川(犀川)」のことだろう、と。私も、ほぼそう思います。

 明治時代、医学校のあった城下町、それは金沢だけではありません。そう、(1)で最初に候補として挙げた仙台も、仙台伊達藩62万石の城下町なのです。(2)の引用には含まれていませんが、この町が「連隊長」や「士官」の闊歩する軍都であり、その点も金沢、仙台に共通するところです。仙台にはイニシャルこそ違え「広瀬川」という町を象徴する川もあります。

 決め手は、きちんと書き込まれた人口――「十万に近い街の民」――です。明治22年の市町村制の施行以来の都市で、明治30年代の後半に「十万に近い街の民」は、金沢だけなのです。

by kaguragawa | 2010-09-04 20:11 | Trackback | Comments(0)

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