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8月最後の土曜日   

 午後から、徳田秋声記念館へ。学芸員の大木さんと密談?。6日から始まる「三島霜川展」のポスターとチラシをいただく。

 古書カフェ「あうん堂」さんへ。くつろごうと思ったところ、突然、奥さんに「はよ行かんと始まるよ!」と追いたてられて近江町「いちば館」へ。きれいさっぱりと忘れていたのですが、きょうは南陀楼綾繁さんのトークショーの日だったのです。
 綾繁さんのトークは、金沢の古本屋で叱られた思い出から始まったのですが、私にも同じような経験があります。20年以上も前のこと、「ここはあんたが来るようなとこじゃない!」と一喝されたのです。たしか「平凡パンチ」かなにか雑誌を読みふけっていたような記憶があります。不思議とこれがA書店なのか、B書店なのか、C書店なのか、はっきり覚えてないのです。どの書店でもありえた話だと思うのです。
 (以下、続く綾繁さんのトーク、小野寺さんとの対談は、書き出すときりがないので割愛します。あうん堂さん、ありがとうございました。)

 ところで、221年前の今日も、暑かったようです。きょう、8月28日は家人の誕生日でもあるので忘れることがないのですが、おくの細道紀行中の芭蕉一行が、我が射水市をとおった日なのですが、芭蕉に連れ添った曾良が毎日記録を残しているので、仔細がわかるのです。

 過去何度も引用していますが、今年も、元禄二年七月十四日〔1689年8月28日〕の、「曾良随行日記」を写しておきます。旧暦のお盆の前日です。

 十四日 快晴。暑甚シ。冨山カヽラズシテ(滑川一リ程来、渡テトヤマヘ別)、三リ、東石瀬野(渡シ有。大川)。四リ半、ハウ生子(渡有。甚大川也。半里計)氷見ヘ欲行、不往。高岡ヘ出ル。二リ也。ナゴ・二上山・イハセノ等ヲ見ル。高岡ニ申ノ上刻、着テ宿。翁、気色不勝。暑極テ甚。少◆同然。

 文中の《ハウ生子》は「放生津」、日本海に面した現射水市域の街です。最後の◆は、判読不明とされてきた文字です。(引用は岩波文庫)

by kaguragawa | 2010-08-28 23:56 | Trackback | Comments(0)

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