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ウィン~ヘッセル~たまき~夢二   

 6月29日は、トマス・ウィン(ThomasClayWinn)の誕生日でした。といってもウィンって誰?と聞かれそうです。
 明治時代、北陸の中心であった金沢に来て、初めてプロテスタント派キリスト教の伝道をおこなった宣教師です。来日したのが1877(明10)年、金沢に来たのが1879(明12)年。石川県中学師範学校の英語教師などを務めた後、1881(明14)年、私塾に近い形の愛真学校(のちに北陸英和学校)をつくり、布教の地歩を固めました。
 彼はキリスト教による女子教育の必要性も説き、ふさわしい人材の金沢への派遣を教会本部に求めていました。彼の願いに応えるように伝道の熱意をもって金沢にやってきたのがメアリー・K・ヘッセルでした(来日1882(明15)年、来沢1883(明16)年)。彼女が、ウィン夫妻や、ミス・ポーターなどの協力でやはり私塾のかたちで開校したのが1884(明17)年。正式に「金沢女学校」として創校したのが翌年の1885(明18)年でした。

 この金沢女学校への入学を憧れたのが、先日来このブログに登場している岸他万喜(きし・たまき)、のちに夢二の妻となり独自な美人画を誕生させる媒介ともなった女性です。結局、他万喜は父親の強い反対でキリスト教系の女学校には入れず、新設の市立の金沢市高等女学校へ進むことになりますが、のちに夢二との離婚後ふたたびキリスト教とさまざまな形で接していくことになるのです。

 ウィンによって金沢に芽生えたキリストの教えが、ヘッセルの女性教育思想を介して他万喜に流れ込み――この二人の間に直接の交流はありませんでしたが、――彼女の生涯に、さらには夢二の思想にも深い影響を与えているように思えてなりません。そういったことがらについても少しずつ確認をしながらおいおい書いていきたいと思っています。(ウィンに始まる金沢のプロテスタント派キリスト教の流れが泉鏡花や室生犀星、中原中也にも、広くは堀田善衛にも関わっていることは、折々書いてきましたが、なんらかもう少しまとめたいとも思っています。)
 
 余談ですが、他万喜の生まれたその年に、ヘッセルが深い思いを秘めて来日していること、ヘッセルが病をえてアメリカに帰りながらも最期まで“Dear KANAZAWA!”と繰り返してこの世を去った年の翌年、たまきはキリスト教の教えに魅かれながらも金沢女学校への進学を断念し、金沢教会の日曜学校に通うことになること、そうした経緯になにか目に見えない因縁を感じてしまうのです。

 *トマス・C・ウィン   1851.06.29~1931.02.08
 *メアリー・K・ヘッセル 1853.07.27~1894.09.01

by kaguragawa | 2010-07-01 23:35 | Trackback | Comments(0)

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