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「越の彼岸桜」ちらほらと   

 朝早く特急に乗り込む家人を高岡駅まで送っていったので、ついでに高岡古城公園の北口である小竹藪に車を停め公園を散策しました。早くから散策やジョギングの人のいるものだなと驚いていると、シジュウカラ(四十雀)がツツピー、ツツピーとあいさつを送ってくれました。小竹藪にある筏井竹の門・嘉一の句碑と歌碑を見ることも目当ての一つだったのですが、コシノヒガンザクラの碑というかその説明書きを読みたかったのです。

 以前、高岡駅前の「桜馬場の名称の由来」を紹介したとき、次のような説明がありました。“明治35年(1902)市はこれ〔=桜馬場〕を公園に指定。戦後、増加する自動車の往来に樹勢が衰え、同30年(1955)公園を廃して、残った越の彼岸桜を古城公園に移植した。”
 要は、江戸時代初めに桜馬場に植えられた「越の彼岸桜」は、戦後、古城公園に移植された――ということなのです。その「越の彼岸桜」をどうしても見たかったのです。そしてもう一つ確認しておきたかったのは、この小竹藪のコシノヒガンザクラのなかにさらにその異種で新たに“タカオカコシノヒガンザクラ”と命名されたサクラがあるという昨年聞いた話題についてでした。
 驚いたことに、コシノヒガンザクラはソメイヨシノより早咲きらしく、まだつぼみの固いソメイヨシノの奥にコシノヒガンザクラはちらほらと幾本も開き始めているのです。そしてそのコシノヒガンザクラの中に緑色の識別札をつけられた「タカオカコシノヒガンザクラ」が確かにあったのです。

 富山県中央植物園の説明によれば「コシノヒガンザクラは、エドヒガンとキンキマメザクラの雑種。花は美しい淡紅色で、葉より先に開くのが特徴。「タカオカコシノヒガン」は普及タイプに比べ、花はやや小型ながら数が多く、枝に雪が降り積もるように咲く。花の裏側にある萼筒の膨らみが小型であることも特徴だ。また、葉縁の鋸歯が細かいという特徴も見られる。小竹薮には、幹の直径が15cm以上の古木の「タカオカコシノヒガン」が数十本ある。目印が付けられているので、花見のときに観察してみたい。」ということになるのです。

 最後に、「越の彼岸桜の碑」裏面の解説を書き写しておきます。
 ――越の彼岸桜は、慶長15年(1610年)、砺波郡太田村の宗右衛門(現在の金子家)が高岡城の馬場に献納したものと伝えられています。爾来桜馬場と呼ばれて、北陸随一の桜の名所となりました。この桜は、昭和4年、植物学者の小泉源一博士がコシノヒガンの中間種として、学会に紹介された当地方特有の品種であります。ここに開町360年市制80年の年にあたり市の花木に指定し、広く後世に伝えるものであります。
    昭和44年5月 高岡市長 掘健治


〔追記〕
上記の「小泉源一博士がコシノヒガンの中間種として」の部分は意味がよくわからないのですが、「コヒガンザクラとエドヒガンザクラとの中間種として」とあったのを私が写し間違えたのかと思います。

by kaguragawa | 2010-03-28 23:55 | 樹と花/植物誌 | Trackback(1) | Comments(1)

Tracked from ローカルニュースの旅 at 2011-02-05 06:50
タイトル : ヒカンザクラ鮮やか 徳之島山間部で見ごろ
徳之島の山間部でヒカンザクラが満開となり、見ごろを迎えている。薄紅色の下向きに咲く花が目にも鮮やかで、見る人の心を癒やしてくれる。... more
Commented by kaguragawa at 2010-03-29 01:36
3/2の「北日本新聞に、越の彼岸桜の原木が見つかったという記事がありました。
“「コシノヒガンザクラ」の“元祖”は、南砺市城端の民家にある1本の古木であることが、とやまさくら守の会長の小原耕造さん(69)=同市城端=と県中央植物園(富山市)の調査で分かった。増殖のため、日本花の会が茨城県結城市の日本花の会結城農場で栽培しているコシノヒガンと、城端のサクラの花びらやがく片の形が同じだった。昭和55年に、城端から農場へ苗木を送ったことを記した新聞記事があったことも決め手となった。(中略)小原さんは自宅近くの越村勲さん宅にあるコシノヒガンが、結城農場から広がったサクラと特徴が似ていることに気付いた。昨春、越村さん宅のサクラを採取し、同農場のサクラと比較したところ、花びらとがく片の長さや幅などが一致し、同じ種類であることが分かった。”
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