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「北陸新報」「石川新聞」・・・(2)   

 昨年は、昨年の100年前――すなわち1909年――の啄木、犀星、賢治の動向(行動)をそれぞれのかなり詳細な年譜にしたがって、追体験しようと試みました。犀星は10代の前半から勤めていた裁判所の下働きのような仕事を金石の登記所を最後にやめた年でしたし、賢治は盛岡中学校に入学した年でした。そういうわけで金沢の外港・金石(かないわ)に足を運んで犀星の下宿跡や詩作の基調音にもなっている浜辺の波音を聞きたいと思っていたのですが、残念なことに果たせませんでした。
 そして今年は、犀星の人生の一画期となる初上京の年なのです。が、犀星は上京の前にしばらくの間、新聞社で職を得るのです。それが2月からなのか3月からなのか、確たる記録もないせいでしょう、年譜によってさまざまなのですが、勤務先の新聞社は「石川新聞」ということで一致しています。そんなわけで、石川新聞とはどんな新聞なのか調べてみようと、年初からぼんやりと考えていたのですが、もう気がついたら3月になってしまっていたというわけです。

 そんなとき、“〔向田虎次郎は〕「北陸新報社」の文撰工(活字拾い)となる(この頃同社には室生犀星が給仕として在職)。”という、筏井虎ノ門の略歴を目にしてあわててしまったという次第なのです。
 
 とりあえず、この「石川新聞」のことや当時の犀星の動向について、手元の資料を書き写して、次の探索のステップにしようと思うのです。

 (続く)

by kaguragawa | 2010-03-10 21:17 | 明治大正文学 | Trackback | Comments(0)

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