桜馬場の怪?――藤子不二雄Aさん宅の「右隣」
2010年 02月 27日
この“高岡駅のあんころ”に思いがけず再会しました。といっても、その歴史的なあんころが復元されそれを食したわけではありません。藤子不二雄Aさんのエッセイの中で出会ったのです。『写真で見る昭和の高岡』(文苑堂書店/2005)に寄稿された藤子不二雄Aこと安孫子素雄氏が、「高岡は僕の原点の街…」という巻頭のエッセイで、こう書いておられるのを、今まで読み飛ばしていたのです。
“高岡中学校へ進んだ頃、僕の一家は新横町から駅前の桜馬場へ移った。当時、高岡駅前の広場を右に曲がると素晴らしい桜の並木が続いていた。江戸時代から続いていた桜並木の馬場だ。昔の百科事典の「サ」の部に全国の有名な桜の名所のグラビアがあり、そこに高岡の桜馬場の写真が載っていて、しかもそこに僕たち一家が借りた家が写っている。家の向かいは広場で、その奥に高岡商工奨励館があり、右隣に当時“高岡のあんころ餅”で有名だったお菓子屋さん、そしてその横はセントラル劇場(後の大和劇場)という洋画館。駅のすぐ近くで絶好の場所だった。藤本君も僕もすごい映画マニアだった。”
桜の名所としての桜馬場はもう存在せず、安孫子素雄氏の家跡も空き地になっているのですが、安孫子氏が、「“高岡のあんころ餅”で有名だったお菓子屋さん」と書いておられる安孫子家の「右隣」(注:向かって左側)の地には現在「今庄ビル」という少し古い建物が建っています〔高岡市御旅屋町1028〕。地元の人には「焼き鳥の秋吉」がかつて入居していたビルといえば、「ああ、あそこ」と合点されるでしょう。
それにしても、これは偶然なのでしょうか。かつてあんころをつくり高岡駅などでも商っていた人(今庄商店?)の店があったところに、今高岡駅で麺類を商っている人(「うどん・そば今庄」)と同じ名前を付けた《今庄ビル》が建っているのです。和菓子屋の今庄さんが、めん屋の今庄さんに商売替えをされたものの、その実家は安孫子少年の時代からずっとそこにあるということなのでしょうか。。。
蛮勇をふるって今度は《今庄ビル》にお住まいの今庄さんにお聞きしてみましょうか。
〔追記〕
「高岡の元祖」というページに;
・高岡初の駅構内販売――桜あんころ(今庄)―― 1970(M45)/4
・高岡初の駅構内の「うどん・そば屋」――花より軒(今庄) ――1918(T8)/1
と、あるのを見つけました。(注:年代表記は錯誤があるようです。)
高岡駅のあんころは「桜あんころ」という名前だったようですね。〔桜の名所・桜馬場のあんころ〕の意なのでしょうね。蛇足ですが、高岡駅の現在の「今庄」は、――同じ北陸なので混同されている向きもあるようですが――福井の「今庄そば」とは関係がありません。さらに蛇足ですが、「うどん・そば今庄」の謎のチャンポンはお薦めの一品です。
by kaguragawa | 2010-02-27 20:59 | Trackback | Comments(0)