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小松さんゆっくりとお休みください   

 小松義久さんが亡くなられた。といっても「小松義久さんって誰?」って言われそうですし、かくいう私も小松さんを自分のことばで語れるほど、小松さんのことを存じ上げているわけではありません。

 このブログで(というより旧日記で)、私のイタイイタイ病との関わりは断片的ながらいく度か書いてきました。にもかかわらず、小松さんのことはほとんど知らずにイタイイタイ病のことを語ってきました。が、さらに、もう一度、にもかかわらず、と言わせてもらうとすれば、読売新聞の訃報記事に「四大公害病裁判で初勝訴」と題され、次のように紹介されると違和感を覚えます。

 “イタイイタイ病協議会が設立された1966年に初代会長に就任し、四大公害病裁判で初めての勝訴判決を勝ち取った。2003年まで会長を務めた。”

 このような記述から誤った認識をもつ人がいるかも知れぬので蛇足ながらつけくわえるならば、あらためて言うまでもないことながら、イタイイタイ病の闘いは、小松さんが一人で闘い抜いたものではありません。むしろ、ふつうの人であった小松さんにとって先頭に立つ者として、みずからも鉱毒のカドミウムに蝕まれながら、その重責を担うことは苦労の多かったであろうことを思います。

 net上の「コトバンク(デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説)」には小松さんの基礎資料が記載されているので、その項を写しておきます。「農民」の二文字が私にはしみじみとうれしく思われます。

小松さんゆっくりとお休みください_e0178600_0192178.jpg 1925‐
 昭和後期-平成時代の農民。
 大正14年1月2日生まれ。祖母、母がイタイイタイ病患者であったことから、昭和41年イタイイタイ病対策協議会会長となる。43年三井金属鉱業を相手に第1次損害賠償請求訴訟をおこし、47年勝訴が確定。のち富山県公害被害者連絡会議代表幹事、婦中町(ふちゅうまち)町会議員。富山県出身。婦負(ねい)農学校卒。
 

 ここに「平成22年2月11日、呼吸不全で死去。85歳」の数文字をくわえなければいけなくなりましたが。

 小松さんゆっくりとお休みください。

〔追記〕
 net上の2007年6月9日の毎日新聞の大阪夕刊記事から上の写真をお借りしました。ぜひ、この記事はお読みください。

by kaguragawa | 2010-02-12 23:51 | Trackback | Comments(0)

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