人気ブログランキング | 話題のタグを見る

めぐり逢うことばたち(exblog版)   

・2003年5月以来の日記版「めぐり逢うことばたち」  (web上から消滅)
・2009年6月29日までのブログ版(cocolog)「めぐり逢うことばたち」

      
  “伝記研究に際しては、いかなる調査も中途で放棄することこそ戒心すべきであろう。”
                              野口冨士男

  “身ビイキなしに特定の古典について何がなし得るか。”
                              堀田 善衞

 *右上の写真は、二上山(高岡市)

〔追記〕
三島霜川について旧日記上に書いた記事は、閲覧できなくなりましたが、近いうちにこのブログに移す予定です。(2011.75)

●このexblog版「めぐり逢うことばたち」上の三島霜川関連記事は、〔ここ〕です。

★かぐら川が管理人となっているブログ「夢二を歩く」は、〔ここ〕です。
★かぐら川が管理人となっているブログ「堀田善衞の会 」は、〔ここ〕です。

# by kaguragawa | 2021-12-31 23:55 | Trackback | Comments(21)

佃天台地蔵尊   

もうほんとにきれいさっぱりと忘れていたのですが、今、NHK「ドキュメント72時間」で、ああ、あれは!・・・と驚いた。

“佃天台地蔵尊”。三島霜川の足跡を追って佃島を訪れた時に、これは何だろうと、ふらりと惹かれるように細い路地を入りさらに路地をはいった。密室なように周りを多くの赤い奉納提灯で飾り囲まれ、地蔵尊がある異空間。たしかにそれはあった。閉ざされた室内空間の天井を貫いて存在する銀杏の木も。周囲の路地の記憶も鮮明に。

閑話休題。そう、誰も踏み込んでいない三島霜川の世界の一端がたしかに、短い時間ながら霜川が住んだ佃と築地の一帯にあるのだ。

# by kaguragawa | 2021-06-11 23:05 | Trackback | Comments(0)

イタイイタイ病を語り継ぐ会 特別講演会   

イタイイタイ病裁判患者勝訴50周年

■講演会「患者とともに歩んだ40年を顧みて」 萩野病院院長 青島恵子さん
■対談 青島恵子さん & 向井嘉之さん
(2021年6月5日(土) 富山県民共生センター サンフォルテホール)

主催  イタイイタイ病を語り継ぐ会

イタイイタイ病を語り継ぐ会 特別講演会_e0178600_12191019.jpg

# by kaguragawa | 2021-06-09 12:21 | Trackback | Comments(0)

安孫子久太郎さんのこと   

 今日から85年前の1936年5月31日、安孫子久太郎が亡くなった。「アメリカ移民の父」とも呼ばれた人。サンフランシスコのカリフォルニア州立大学病院において、享年七十三〔70歳〕。

 安孫子久太郎の名は、カリフォルニアの「日米新聞」(he Japanese American NewsのちJapanese American)や当地リヴィングストンの「大和(ヤマト)コロニー」に結びつけられて想起されることだろうし、アメリカでのいわゆる排日移民法への闘いにおいてであろう。が、私が安孫子久太郎の名を知ったのは、幸徳秋水の渡米にちなんであり、また、竹久夢二と翁久允が企てた欧米周遊旅行にちなんでであり、また、久太郎夫人となった津田仙の五女・津田余奈子にちなんでであった。それゆえにといっては久太郎さんには失礼ながら、また“安孫子久太郎”さんに出会ったぞ、とたびたび思うだけで、古代の越(コシ)の地に根づいたアビコ一族の末裔なのかという程度の関心で、深い興味を持っていたわけではない。
 というわけなのだが、今現在は少し事情が違う。といっても今、それ以上のことを書く余裕はないので、後日にゆずることにする。

 亡くなった日のことを書いたので、彼の生まれた時のことだけを少し、メモ書きしておきます。

 久太郎が生まれたのは、幕末・慶応元年六月二十三日(1865年8月14日)、越後蒲原平野の北蒲原郡水原町西外城(現在の新潟県阿賀野市外城町:白鳥飛来の瓢湖で知られる)である。久太郎(小林久太郎)の生後七日にして母が亡くなったため、母の生家の祖父母(祖父は安孫子堂)の愛育を受け、安孫子姓を名乗ることになった。

 追記:
 「安孫子久太郎」はWikipediaに立項はされているが、たいへん悲しい?状態である。生没年月日の記述もなく、「アメリカ合衆国で活躍した起業家かつ新聞編集者」の説明もおざなりで、続く「1865年(慶応元年)に、のちの中頸城郡水原村(現在の新潟県妙高市)で生まれる。母が出産の際に死亡したため、母方の祖父母のもとで育つ。14歳の時に家出して上京し、キリスト教の影響を受けた。後にキリスト教に改宗している。」もお粗末である。誰がどのような目的で書いたものだろうか。
 上に書いたように、久太郎は、維新後に水原県を経て新潟県域となった蒲原平野の水原町(現:阿賀野市)の生まれだが、正確には北蒲原郡水原町で、これを「現在の新潟県妙高市」としたのは、「北蒲原郡の水原(すいばら)町」を「中頚城郡の水原(みずはら)村」と取り違えた錯誤である。二つの「水原」は、まったく違った場所である。また、友人らと故郷を出奔?したのは18歳のときである。

# by kaguragawa | 2021-05-31 22:59 | Trackback | Comments(0)

早朝の検挙(1943.5.26)   

 78年前の今日(1943年5月26日)の早朝、西尾忠四郎、木村亨、加藤政治、相川博、小野康人の5名が、それぞれの居所において神奈川県特高により検挙される。治安維持法違反容疑。

 この5氏の検挙に至るいきさつは、このブログに昨年書いた【泊・横浜事件端緒の地(1942.7.05)】 を読んでいただきたい。
 
 違法検挙とそれに続く拘禁・拷問の様子は、本人や親族の手記・木村亨『横浜事件の真相――つくられた「泊会議」』(1982.12)、小野貞・気賀すみ子『横浜事件・妻と妹の手記』(1987.11)が状況を彷彿とさせてくれる。

※なお、この3日後の5月29日、アジア・太平洋戦争の北方戦線においてアリューシャン列島西部のアッツ島の日本軍守備隊が壊滅(日本軍の死者は2638人、生存者わずか27人という。事態を隠蔽美化する「玉砕」の語が使われた最初とのこと。)


# by kaguragawa | 2021-05-26 19:35 | Trackback | Comments(0)