タグ:イタイイタイ病 ( 9 ) タグの人気記事   

イタイイタイ病を語り継ぐ会   

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 イタイイタイ病を語り継ぐ会設立記念シンポジウム「イタイイタイ病 これから語り継ぐこと」

 小松雅子さんの講演「父・小松義久を語る」と、パネルディスカッション
〔パネラー:小松雅子さん、青島恵子さん(萩野病院院長)、雨宮洋美さん(富山大学経済学部准教授)、コーディネーター:向井嘉之さん(イタイイタイ病を語り継ぐ会代表)〕


 いろんなことの整理がついてないので、今は「耳にした一言一言を、老化しつつある心に、刻ませていただきました。」とのみ。
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by kaguragawa | 2014-08-30 19:22 | Trackback | Comments(2)

カドミウム被害救済の一里程標   

 日曜日の地元新聞に「イタイイタイ病全面解決へ」の文字が踊った。「原因企業と被害者との全面解決が図られる。」というのである。しかし、そうなのだろうか。三井資本がおこなったカドミウムの河川への廃棄がもたらした健康被害はいまも沈潜しながら続いているのだ。

 そして、今日、神通川流域カドミウム被害団体連絡協議会と三井金属鉱業との間で、合意書が取り交わされた。三井との交渉の前面に立ってこられた高木勲寛さんが、三井金属との「緊張関係ある信頼関係」を語られるのをつらい思いで飲みこみつつも、ここが幕引きとなってはならないのだとあらためて思う、強く思う。
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by kaguragawa | 2013-12-17 21:54 | Trackback | Comments(0)

立ち入り調査   

 イタイイタイ病の原因企業である三井金属鉱業株式会社(現:神岡鉱業株式会社)への立ち入り調査がきょう、おこなわれました。

 1972年の被害者側勝訴となったイタイイタイ病控訴審判決後に結ばれた公害防止協定にもとづくもの。今年で41回目。40年の歳月は長く、41回の積み重ねが築いた成果は貴重である。
 が、足尾・渡良瀬川の鉱毒事件も、神岡・神通川の鉱毒事件〔イタイイタイ病〕も決して過去のできごとではない。

  かの天然を征服して余りに傲れる文明の進歩
  鬼の業か魔の業かわれ知らず
  奢侈はこゝに満ち、競争はこゝに踊り
  貧しきは泣く間、など富みたるは益々富めるは奈何

 自分なりに、こうしたことどもを振り返り整理してみたいと思う。
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by kaguragawa | 2012-10-14 19:22 | Trackback | Comments(4)

県のカドミウム汚染田復元事業、終了   

 神通川流域に広がったカドミウム汚染田の復元事業完工の式典が、きのう、富山市婦中町砂子田――ここも汚染地――「婦中ふれあい館」でおこなわれたことが、県内のどの新聞にも大きく取り上げられている。

 三井金属の神岡鉱業所からたれ流されたカドミウムによって汚染された農地の土を客土の手法で入れ替える復元工事は、富山県が汚染田に指定した約1500ヘクタールを対象に県営の「公害防除特別土地改良事業」として1979年度から始められたもの。30年以上にわたる営々としたこの事業には、頭が下がる。が、今年度で終了するこの事業の完工を祝する式典を報じる記事には、私の気持ちにそぐわないものが多い。
 加害企業が存在したという当然の事実が、控えめにしかふれられてないことは共通で、「復元」の具体的意味(食品衛生法のカドミウム基準値など)がほとんど明記されていないだけでなく、その手法や費用負担についての記述も明晰さを書いている。農地として復元されたのが汚染農地の約6割で、あとは農地以外に転用されていることもふれられていないなど、報道の姿勢には疑問が残る。
 こうした基本情報の伝達を欠如させたまま、放射能による土壌汚染とその除染にまで言及するのはいかがなものかとも思う。

 なお、来月4月の29日には、「県立イタイイタイ病資料館」(富山市友杉151/富山県国際健康プラザ内)が開館する。


 余談ながら、足尾鉱毒事件のレポートの一つ110年前の松本英子の「鉱毒地の惨状」(明治35〔1902〕.3/教文館)――原型は「毎日新聞」に1901.11.22から1902.3.23まで連載されたもの――が、“女性のみた近代”シリーズの一環として復刻されている(2000.6/ゆまに書房)ことを最近知りました。時間をつくって、読みたい。
 
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by kaguragawa | 2012-03-18 13:13 | Trackback(1) | Comments(0)

小松義久さんの一周忌   

 きょう2月11日は、小松義久さんの一周忌になります。

 そう言えば、島林樹さんの『公害裁判――イタイイタイ病訴訟を回想して』の紹介も書かないままになってしまいました。

 この三連休、時間がゆるせば、カドミウムの汚染地であったもと婦負郡婦中町(現在は富山市婦中町)の一帯に久しぶりに足を運んでみようかと思っています。
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by kaguragawa | 2011-02-11 00:34 | Trackback | Comments(0)

吉岡金市の二つの先駆的遺産「森近運平」と「イタイイタイ病究明」   

 きょうが、吉岡金市氏の命日であることを、webで調べ、今知ったばかりです。そして吉岡金市氏が、大逆事件で刑死した岡山の農学者・森近運平の復権に向けての研究を半世紀も前に始めた人であること、『森近運平―大逆事件の最もいたましい犠牲者の思想と行動 』(日本文教出版/1961)という著書も残しておられること、そうしたことを、今日読み始めた『大逆事件』(田中伸尚/岩波書店/2010.5)の「プロローグ:凍土の下」で知りました。

 初めて尽くし――それも今日の――のことがらばかり並べましたが、吉岡金市さんの名前を私が知ったのは今日ではなく、何十年も前になります。 イタイイタイ病のことをようやく調べだしたときのことです。
 イタイイタイ病の原因が三井金属の排出(たれ流し)のカドミウムであることを探る第一歩となった「農業鉱害と人間公害(イタイイタイ病)」という副題をもつ吉岡論文「神通川水系鉱害研究報告書」(1961.6)のコピーを入手して読んだとき、すなわち、30年ほどまえのことだと思うのです。
 それだけに、大逆事件に関する文献のなかで吉岡金市という名前をみたとき、我が目を疑ったのです。

 イタイイタイ病の原因究明に先駆的に乗り出した吉岡金市氏。森近運平の復権に向けての研究を始めた吉岡金市氏――。 同姓同名の別人かとも思いましたが、そうではありませんでした。
 いうまでもなく今年は大逆事件発生100年の年である。そしてイタイイタイ病の患者が発生してから100年だといいます。ともにその100年は、国家というもの正体を知らしめてくれたとはいえ、関わった人々には苦渋の100年だったと言えるでしょう。
 その半ばの50年の時点で、勇気ある発言と行動で2つの大きな巌を動かし、さらに私達の蒙をひらく役割をすでにされていたのが、森近運平と同郷の農業経済学者・吉岡金市氏だったのです。

 田中氏の前掲書によると森近運平の墓標も墓石も無かった森近家の墓地に、運平の墓標が建立されたのは死後50年の記念の年だったという。そしてその碑銘は吉岡氏によるものだという。

 今から学び始めなければいけないことのなんと多いことか。多くの人の生命とひきかえになった遺産から少しずつ、学びの一歩を始めるしかないという思いを、黒岩比佐子さんの死ときょうの吉岡金市氏の命日を機に新たにしています。

 *森近運平  1881.01.20~1911.01.24
 *吉岡金市  1902.07.26~1986.11.20

参照:
「農と医の連携を心したひとびと:2.吉岡金市」(北里大学学長通信)
http://www.kitasato-u.ac.jp/daigaku/noui/newsletter/noui_no06.html
「森近運平(井原市) 悲劇の社会主義者」(山陽新聞/先人の風景)
http://www.sanyo.oni.co.jp/kikaku/senjin/news/2009/11/17/20091117114439.html
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by kaguragawa | 2010-11-20 18:54 | Trackback | Comments(0)

『公害裁判――イタイイタイ病訴訟を回想して』   

 島林樹『公害裁判――イタイイタイ病訴訟を回想して』(紅書房/2010.10)

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 700ページの大冊。何よりも。「公害裁判」の文字のバックに、島林さんが撮った写真の立山の峰々と神通川の清流があって、ここをカドミウムが白濁して流れていたことを思い、胸をつかれる。
 今読んでいるいくつかの本は通勤分に回して、これから、一気に読みたいと思っています。
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by kaguragawa | 2010-11-05 00:07 | Trackback | Comments(0)

小松さんゆっくりとお休みください   

 小松義久さんが亡くなられた。といっても「小松義久さんって誰?」って言われそうですし、かくいう私も小松さんを自分のことばで語れるほど、小松さんのことを存じ上げているわけではありません。

 このブログで(というより旧日記で)、私のイタイイタイ病との関わりは断片的ながらいく度か書いてきました。にもかかわらず、小松さんのことはほとんど知らずにイタイイタイ病のことを語ってきました。が、さらに、もう一度、にもかかわらず、と言わせてもらうとすれば、読売新聞の訃報記事に「四大公害病裁判で初勝訴」と題され、次のように紹介されると違和感を覚えます。

 “イタイイタイ病協議会が設立された1966年に初代会長に就任し、四大公害病裁判で初めての勝訴判決を勝ち取った。2003年まで会長を務めた。”

 このような記述から誤った認識をもつ人がいるかも知れぬので蛇足ながらつけくわえるならば、あらためて言うまでもないことながら、イタイイタイ病の闘いは、小松さんが一人で闘い抜いたものではありません。むしろ、ふつうの人であった小松さんにとって先頭に立つ者として、みずからも鉱毒のカドミウムに蝕まれながら、その重責を担うことは苦労の多かったであろうことを思います。

 net上の「コトバンク(デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説)」には小松さんの基礎資料が記載されているので、その項を写しておきます。「農民」の二文字が私にはしみじみとうれしく思われます。

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 昭和後期-平成時代の農民。
 大正14年1月2日生まれ。祖母、母がイタイイタイ病患者であったことから、昭和41年イタイイタイ病対策協議会会長となる。43年三井金属鉱業を相手に第1次損害賠償請求訴訟をおこし、47年勝訴が確定。のち富山県公害被害者連絡会議代表幹事、婦中町(ふちゅうまち)町会議員。富山県出身。婦負(ねい)農学校卒。
 

 ここに「平成22年2月11日、呼吸不全で死去。85歳」の数文字をくわえなければいけなくなりましたが。

 小松さんゆっくりとお休みください。

〔追記〕
 net上の2007年6月9日の毎日新聞の大阪夕刊記事から上の写真をお借りしました。ぜひ、この記事はお読みください。
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by kaguragawa | 2010-02-12 23:51 | Trackback | Comments(0)

普羅忌   

 夏山や釣橋かけて飛騨に入る  前田普羅

 普羅とは無縁の話ですが、私の飛騨行き――神岡鉱山跡詣で――は、夏の恒例行事だったのですが、行かぬ年が続いています。

〔追記〕
 9日、「神通川流域カドミウム被害団体連絡協議会」による神岡鉱業(岐阜県飛騨市)に対する恒例の立ち入り調査が行われました。この調査は1972(昭47)年8月のイタイイタイ病訴訟〔第一次訴訟・控訴審〕で、住民側が勝訴し三井金属鉱業と結んだ「公害防止協定」を基づいて毎年この時期に行われている。
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by kaguragawa | 2009-08-08 20:15 | メモ ひとこと | Trackback | Comments(0)