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霜川文学の原点『ひとつ岩』を読む(4)   

●前回掲載した二つの文章から、「ひとつ岩」に関わることを整理しておきます。

 まず、押さえておきたいのは、霜川自身が次のように回顧していること。

  “『一つ岩』と云ふのが私の処女作”――公表された最初の作品は『埋れ井戸』だが、“書いたのは『一つ岩』がずっと以前であるから、矢張り真の意味に於て之れが処女作”。“僕の作として最初のものは、「一つ岩」”――であること。

 次に、「ひとつ岩」を中心に,もう少し細かく当時の経緯を追っておきます。

1).明治30(1987)年10月頃、作品としては最初の「ひとつ岩」が書き上げられた。

2).「ひとつ岩」を、某先輩に『新小説』か『新著月刊』に出してもらおうとしたが断られた。
3).「ひとつ岩」の“次に書きかけたのは、長いものであつたが止し”た。
4).「埋れ井戸」を脱稿。桐生悠々のはからいで、『新小説』の懸賞当選の形で公表された。
5).「埋れ井戸」公表の2か月ほど後、「ひとつ岩」を尾崎紅葉に見てもらったらば「面白い」とのことで『世界之日本』に紹介の労をとってもらった。
6).『世界之日本』にすぐ掲載はされなかったが、編集担当だった佐久間秀雄と知り合いになり、「人民」新聞へ就職を世話してもらう。 
 ※はっきりとした日時は不祥だが、明治31年中に霜川は自由党系「人民」新聞社に入社し、32年1月から紙上に作品を発表している。

7).明治32(1989)年4・5月、「ひとつ岩」が『世界之日本』に5回に分け掲載された。
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by kaguragawa | 2014-05-11 18:41 | Trackback | Comments(0)

霜川文学の原点『ひとつ岩』を読む(3)   

 次は、この「ひとつ岩」のことを「薄幸なる我が処女作」というタイトルで書いたエッセイから、『世界之日本』発表当時のことを書いた一節。〔『秀才文壇』明治42(1909)年8月号に掲載〕


 〔明治〕三十年か三十一年の『世界の日本』に出た『一つ岩』と云ふのが私の処女作であるが、それ以前、『新小説』第二巻の、たしか六月か七月の号に載った『埋れ井戸』といふものがある。だが書いたのは『一つ岩』がずっと以前であるから、矢張り真の意味に於て之れが処女作だらう。
 この『一つ岩』といふのは『埋れ井戸』が発表された前年の十月頃作ったもので、其の時分は別にかうと云ふ主張もなければ、またかうしたものを書かうと云ふ深い意味があった訳でもない。若い時分失恋した老人の孤独な生涯を書いたものだ。然しこんな老人が居たわけでは決してなく、ただ自分が十四五の時、磐城の海岸四つ倉と云ふ所に暫く居た事がある。その四つ倉に 大きな巌が一つあって……一つ巌とは言はないが之が後に題となった……その巌の上の櫓に炬火を灯すのを役目にしてゐる老人がゐる。まあいはば昔の燈台守だ。漁夫の古手ともいった 風な独身者の老爺であるが、これが当時少年の私の頭に深く印象されてゐたので、それに感興を持って書いたものだ。作者自身が少年時代の頭で観察しただけのものだから、無論今から見れば欠点だらけのものだが、それでも私自身は一生懸命書いたものだ。
 その時これを某先輩に頼んで、「新小説」か「新著月刊」に出してもらはうとしたが拒絶された。紹介されたのは翌年の三四月だった。さういふ訳で『埋れ井戸』がさきに出た。それから自分の宅へ暫く原稿を寝さして置いたが、紅葉先生の紹介で『世界の日本』へ売ることになった。
 『世界の日本』といったら、その頃の『国民の友』に対抗する位の雑誌だったが、丁度その頃は漸々縮小主義になり、文芸なんかに余り重点を置かなかった結果として、僅々七十枚位のものを五枚、三枚と断れ断れに出した。で世間から何の注意も払はれずに終了ったが、それを稀に 見る人などは幾等か見所のある作だといっていた。また自分でも自信はあった。

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by kaguragawa | 2014-05-06 21:46 | Trackback | Comments(0)

霜川文学の原点『ひとつ岩』を読む(2)   

 自らの作品について語った文章をほとんど持たない霜川ですが、珍しく「ひとつ岩」にふれたエッセイ風の文章がある――しかもいくつかある――ので紹介をします。最初は、『新潮』〔明治41(1908)年10月〕に「奈何にして文壇の人となりし乎」という与えられたタイトルで書いた文章から。
〔『現代文士廿八人』(中村武羅夫著/日高有倫堂/1909.07)に再録。〕


 それで、その時はもう生活費の方は尽きて、桐生〔悠々〕君の所を出てから、〔明治三十年〕七月ごろ七軒町へ家を持って、翌年の四月まで、約十ヶ月其所に居った。その時一家四人、露骨に云ふと殆んど三度の食事も食ひ兼ねた。それは、僕の最も暗黒時代で、未だ一家を支へるだけの腕はなし、頭は固らず、読んで修養すべき書物はなし、不安恐懼に満ちた生活をして居た。それから、何うしても、書かねば食へないやうになって初めて書いたものが、「一つ岩」である。
 次に書きかけたのは、長いものであつたが止して、そのうちに「埋れ井戸」と云ふものを書いて桐生君の紹介で春陽堂に売った。その売り方が、僕の才の方をば推称せずして文学が非常に熱心でそのため財産を総て蕩尽したとか、何とか云って売り込んだものである。それで、石橋忍月氏が大いに同情して、その年の懸賞小説の中に入れて発表された。僕の作として最初のものは、「一つ岩」なのだが、「一つ岩」はそれから二ヶ月ばかりして、紅葉先生に見て貰った所が、面白いからと云ふので、「世界の日本」に売って貰って、原稿料を二十円得た。「埋れ井戸」の方で三十円貰ったが実に嬉しかった。
「一つ岩」を売った縁故で、佐久間秀雄と云ふ人に二三度会った。そして、佐久間氏に口があったらと頼んで置いた所が、恰度竹越三又氏が人民新聞(東京新聞の改題)をやることになったから入らぬかと云ふ。そこで表面竹越氏の推薦で入社した。
 それが、僕の文学社会に出た初めである。

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by kaguragawa | 2014-05-06 21:36 | Trackback | Comments(0)

霜川文学の原点『ひとつ岩』を読む(1)   

 霜川の実質的な処女作である「ひとつ岩」については、以前から旧ブログにいくつかのメモ書きをしましたし、このブログでもその翻刻を順次掲載することを約束もしました。が、翻刻掲載については、なにより私の怠惰さゆえ、つぎには霜川自身のテキストの復刻の方法について迷いから中断したままになっています。そして翻刻掲載を再開できる準備はできてないのですが、その書誌的なことがらからでも、もう一度「ひとつ岩」の近くまで迫ってみたいと考えています。

 三島霜川「ひとつ岩」 

・〔作品初出〕 「ひとつ岩」は、雑誌『世界之日本』に(一)から(十)までの10節が、次のように分載された。115年前の、季節的にはちょうど今頃、世に出たことになります。

  明治32(1899)年4月8日号・・・(一)(二)(三)
  明治32(1899)年4月15日号・・(四)(五)
  明治32(1899)年4月22日号・・(六)(七)
  明治32(1899)年4月29日号・・(八)(九)
  明治32(1899)年5月6日号・・・(十) 

 掲載誌『世界之日本』については、別の機会にその主筆であった竹越与三郎のことと併せてふれたいと考えています。未見ですが、柏書房から復刻版がでています。下に、その復刻版の紹介文に載っていた雑誌の概要を転記しておきます。  

※『世界之日本』開拓社:主筆/竹越与三郎:明治29(1896)年7月~33(1900)年3月
19世紀末の思想界をリードした総合雑誌の復刻版。陸奥宗光・西園寺公望の後援を得て竹越与三郎が編集。単なる政論雑誌ではなく,文学・美術・教育・科学・社会・経済など社会全般を扱った評論活動を行なったことで知られる。伊藤博文・尾崎行雄・山路愛山・夏目漱石など多彩。
(『世界之日本』復刻版〔柏書房/1992年1月〕の告知文より)
 
・〔作品所収
  1.『三島霜川作品集 Ⅰ』(高岡市教育委員会/1977)
    ※初出誌のコピー復刻 (一)(二)(三)のみ
  2.『福島県文学全集〔第1期 小説編〕第1巻 明治編』
    (木村幸雄監修/2001.10/郷土出版社)
  3.『三島霜川文學館(七)』(麻生茂夫:編集復刻/2002.08)  
    ※初出誌のコピー復刻(全篇)

・〔作品に関連する霜川自身のエッセイなど
  「奈何にして文壇の人となりし乎」 『新潮』明治41(1908)年10月
  「薄幸なる我が処女作」 『秀才文壇』明治42(1909)年8月
  「私の文壇に接触した時分」 『新潮』明治43(1908)年12月
  「渦と白い死骸――少年時代の記憶」 『新潮』大正元(1912)年12月
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by kaguragawa | 2014-05-04 21:45 | Trackback | Comments(0)

霜川:いぬを描く   

 三島霜川の初期の作品(実質上の処女作)「ひとつ岩」から、主人公の孤老・治郎兵衛の愛犬・白(しろ)の姿態をいくつか紹介します。

 勢いよく、がらり雨戸を引き啓(あ)けると、白犬が一匹勢いきって外面(おもて)へ飛び出す。主人(あるじ)の姿を見て白犬は悦しさうに尾を掉(ふ)って、跳ね回って、低い声で二度三度甘えるように吠え立てた。
 老爺(おやぢ)はしゃがんで、「白か、うむ、うむ、可(え)いだ、可いだてば。」
 と、向脛へ飛蒐(かか)る白の頭を撫でて与(や)った。白と名づけられた白犬は、名の如く毛色(けなみ)の白い、光沢(つや)のある、肥(ふと)った、頭抜(づぬ)けて体格(がら)の大きな犬であった、
 白は少しく首を傾けて、不平らしく、また怨めしさうに、怩(じつ)と老爺の面(かほ)を向上(みあ)げる。
 老爺は面白さうに笑って……、突然憶い出したやうに、「ほい、失敗(しま)った。汝(われ)の土産(みやげ)買って来るのを忘れてただ。」


 音にびっくりして、白はむっくり飛起きて、伸(のび)をして、一度、不審らしく主人を瞶(みつめ)たまま、これも前足で耳の辺を掻き掻き旧(もと)の如くに突俯(つっぷし)て了(しま)ふ。


 白は老爺の膝の下(もと)で、微(かすか)な寝息を立てて眠っている。老爺は莞爾(にっこり)して、
「畜生、ははははッ、鼼(いびき)をしているだよ、仙太、こねえな畜生がよ。」と、心(こころ)から愛(いと)しさうに白の頭を撫でて与(や)って、仙太の方を振り向いた。

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by kaguragawa | 2014-04-27 07:56 | Trackback | Comments(0)

「ひとつ岩」を読みやすいテキストで   

 三島霜川の作品「ひとつ岩」を、仮名遣いや漢字の字体などをあらため読みやすいテキストにして、このブログに掲載しよういう計画は、私なりの気持ちの一つの区切りであった3月11日までには、ほとんど実行することができませんでした。今は、言い訳もなにも無用なので、引き続き時間をかけてでも少しずつ実行していくことだけを報告しておきます。

 私が霜川の「ひとつ岩」を意識するようになったのはいつからなのか。記憶ははっきりしません。富山県内で『霜川選集』が刊行された時点(1979~80)でもこの作品にはまったくふれられなかったし、富山大学の佐々木浩さんが霜川の作品群を創作順に取りあげた時点でも、この小説の全10節の形は知られておらず言及も不十分なものにとどまっていたのです。私が、この注目されざる霜川第一作の「ひとつ岩」が『福島県文学全集 第1期/小説編 第1巻 明治編』(2001.10/郷土出版社)に収録されていることを知ったのは、かなり以前のことになります。
 しかし、“なぜ、霜川の小説が『福島県文学全集』に?”という疑問に踏み込もうにも『福島県文学全集』が県内のどこの図書館にもなく、数年が過ぎてしまったのです。

 分売していなかったこの『福島県文学全集』の《全巻》を買おう!と、怠惰な私に思い定めさせるには、残念ながら津波の映像の無惨さしかなかったのです。(高岡市の篤志家の麻生茂夫氏がこの作品全10節の印影復刻をされているのを知ったのも、同じ頃でした。)

 霜川が自らがこの処女作を生涯にわたって愛惜していたこと後に知ったのですが、それほどにこの「ひとつ岩」は力のこもった心をうつ作品だったのです。

 「ひとつ岩」の読みやすいテキスト化、しばらくお時間をください。
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by kaguragawa | 2012-03-11 23:43 | Trackback | Comments(0)

三島霜川「ひとつ岩」(三)   

 老爺は次郎兵衛といって、四ツ倉の浜で最も古い漁師仲間の一人である。頭(ず)抜けて色が黒いので、黒兵衛という渾名が付けてあった。
 年は五十何歳とかいっていたが、今でも若い者の三人前位の仕事は苦も無くやってのける。けだし、老爺は漁師としては立派なもので、次郎兵衛は生きている天気予報であった。学理から割り出した天気の予報には往々誤謬があるが、自分の智恵と経験から生み出す次郎兵衛の先見には恐らく、誤りがなかった。そこで次郎兵衛の豪勢(えら)いのはそればかりではなく、櫓を漕ぐことにおいて、楫を綾取ることにおいて、ないし舵の取り方帆の孕(はら)ませ方、または鰯網のかけ方とか、鰹の釣り方とか、すべてこれら、漁師が知っておらねばならぬ、あらゆることは、次郎兵衛は驚くべきほど深く知っていた。精(くわ)しかった。
 で、漁師として実に立派な次郎兵衛は、漁師共にこの上もない便利な道具にせられて、沖へ出る際などに、天気少しでも、怪しいと思うと、この四ツ倉の浜の者で、次郎兵衛にその吉凶を乞わぬ者といってはひとりもなかった。
 殊に若い漁師輩などは小博打に負ける、懐中には三文もなし、そこで多寡が一貫の淫売女(くさもち)だからといっても買えず、自家に帰って寝るのは早し、退屈で堪らぬ。
 と、いったような時には、聞いておいて、決して決して不利益(ふため)でないからといって、よく次郎兵衛のもとへ出掛けて、何か話をしてくれろ、頼む、迫る。そして執拗(しつこ)くいろいろなことを訊ねては、老爺をうるさがらせていた。が、彼等は決して心から老爺に服しているものではなかった。
 ひとり若い輩ばかりではなく、四ツ倉の者共は、よぼよぼの爺も、頑是ない餓鬼も、嬶も、娘も、兄(せなあ)も、亭主も、次郎兵衛を憎んで、嫌って、忌々しがって、鼻ツ摘みにして、陰へ回ると黒兵衛の死に損ないのといって、散々に悪口を吐(つ)いていた。また幾分か馬鹿にしていた傾きもあった。で、道端に寝そべっている斑犬(ぶち)までが、老爺の姿を見ると、がばと跳ね起き、尻尾をぐるり巻き上げて、今にも飛びかからんばかりの勢いで吠えたてる。けれども、目前(まのあたり)、かくばかり老爺を威かすのは、まさしく斑犬(ぶち)とか黒犬(くろ)とか赤犬(あか)とかいったような輩ばかりで、たとい、血気盛りの若い者であろうが、老爺に面と向かっては、そのいつも天(そら)を向けている頭を妙に安値(やす)く下げて、お辞儀を一つするにしてもはなはだしく丁寧であった。しかし丁寧であるだけ老爺は人々に忌々しがられていたのである。


 
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by kaguragawa | 2012-03-05 22:36 | Trackback | Comments(1)

少年“霜川”の福島時代(1)   

 三島霜川が、少年時代――ですから霜川と言うより本名の“三島才二”がと言った方が良いのですが――福島県に一時住んでいたことがあることは、ずっと知識としては知っていたのですが、最近あらためて、“霜川の福島時代”の重みを感じ始めています。

 このことは、今年の大震災を機に、福島の漁村が舞台となっている霜川の実質的な処女作「ひとつ岩」を通読したことで、福島=霜川という結びつきが尋常のものではないと感じたことに端を発しています。そして、あらためて霜川の作品のいくつかを私なりに読みひろげた感想でもあります。

 霜川の作家歴が紹介される場合、処女作として「埋れ井戸」の名が挙げられることが通例で、「霜川選集」にも収録されていない中編「ひとつ岩」の名は広く知られておらず、目にふれるテキストもないので、ほとんど読まれていない作品であろうと思います。
 文学に縁もなくそれを語る素養もない私の発言など、まゆつばものであると思っていただいて結構なのですが、しかし、「ひとつ岩」はすぐれた作品です。この作品が読まれないまま霜川が語られてきたことは、霜川にとって大きな不幸であったとさえ言えるのではないかと思うほど、この作品には、その後に展開される霜川文学のエッセンスがつまっています。
 その大切な作品の舞台が、霜川の生誕地である北陸ではないという事実を、「霜川は富山の作家なり」と揚言する者として、複雑な思いは胸にしまって、肝に銘じなくてはいけないと自戒しています。

 だが、これで驚いてはいけないのです。上に挙げた霜川の処女作とされる「埋れ井戸」の舞台も、福島なのです。「ひとつ岩」が、現在の福島県の南部、いわき市四倉を舞台にしている一方で、「埋れ井戸」は福島県の北部、――これは私の想定ですが、――相馬地方のもと城下町近くの山麓の村を舞台にしているのです。霜川の文学人生のスタートにおかれた“兄妹作”ともいえる二作品「ひとつ岩」「埋れ井戸」が、福島の海と田園のロマンと不条理を描いているのです。

 たいせつな事実なので、繰り返し言っておきたいのですが、霜川はみずからの文学生活の始めに、生地である北陸ではなく、少年時代の福島を、作品の舞台に措定した事実を、重く受け止めなければならないのです。極言すれば、福島の地から見る目をもたずして霜川の像をきちんと再現することはできない、とも言えるのです。

 このことは、霜川は故郷を棄てた作家であるなどと短絡的に言おうとするものではありません。あくまで試論として述べるならば、霜川の文学世界の根は富山を超えて広く、深浅はあるもののその文学果実も深く豊かなものなのです。

 話が飛躍しましたが、霜川の福島時代の一端を彼のエッセイ「渦と白い死骸」から読みとってみたいと思います。

〔追記:2012.05〕
 「埋れ井戸」の舞台(この作品が書かれたとき念頭においていた場所という意味ですが)を、上に「相馬地方」と書きましたが、これは作品中の作男「六」が“相馬二遍返し”という相馬の民謡を口ずさんでいることによったのですが、今は、「三春地方」であろうと考えています。その根拠についてはあらためて書く機会をもちたいと考えています。
六が相馬出身であるとしても、作男には出稼ぎも多く必ずしもこの作品の舞台の土着の農夫である必要はないのです。
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by kaguragawa | 2011-10-20 22:32 | Trackback | Comments(0)

三島霜川「ひとつ岩」(二)   

 とある物陰に寄り集まって、七人の腕白盛りが、なにかわいわい喚きあっていたが、その中の一人がふいと、砂場から上がってくる次郎兵衛に目をつけた。
「やぁ、黒爺か。」とつぶやき、ややしばらく次郎兵衛の方を眺めていて「おい、おい。」と、小声に仲間を呼んで、何か密々(ひそひそ)ささやく。腕白盛りのわめき声はぱったり止んで、その眼は一斉に老爺の方へ振り向けられる。だしぬけに、仲間の二三人が、「黒兵衛さん」と呼んで、どっと笑いをどよめかして、ばらばらと駆け出す。
「何だっ、餓鬼め、うぬっ……。」と、次郎兵衛はかっとして、地団駄踏む。逃げ出した腕白盛りは遠くからしきりに悪口する。
  次郎兵衛はやっきとなって、勢い込んで駈け出そうとすると、残っていた腕白盛りが、「爺っ、爺っ。」と殊勝らしく同音に呼びかけた。 次郎兵衛は立ち止まって言葉せわしく、「何だ。」
 腕白盛りはばらばらと老爺を囲んで、甘えるように、「白ぅ、あじょにしただ、いるだか。」
「うむ、いるだァ。」と、老爺はにっこりする。
腕白盛りはいずれもしめた「という顔つき。
 中に勇太という曲者痴れ者は、素早く気を変えて、「いるだぁ?。」と、仔細らしく首を傾げる。
「いるだァよ。」
「え、どこに、俺ぁ、俺ぁな、え、爺っ、さっきな山八の赤ン畜生と噛け合わせてくれべえと思って、えらく探しただが、畜生、いねえだ。」
 老爺は快げに笑い出した。「はははっ、汝らがには解(わ)かんめぇ、家にいるだぁもの。」
「家に?。」
「家にいるだぁよ。」と老爺は大仰に頷いて、
「俺がいるとえいだがな、俺がいねちうと、汝らが寄ってたかって、白を痛しめるだかんな。そんで汝らが目に入ぇんねいように、家さいれておくちうだ。なぁ、餓鬼めら、弱(がお)っただっぺえ」と、言い捨て、さっさと歩みだす。勇太はうろたえて、「爺ッ、ま…待ってくんろ、待てってば、よ、なぁ、爺ッ、俺達が白を痛しめるだってよ?、……そんな事ぁ無えだ、うそだ、はぁ、俺たちぁ、爺ッ、白が噛合いするたんびに、白ぅけしかけるだ、白ン畜生、えらく強えだかんな、ほんに強えだかんな、強えだで面白いちうだ、真実(ほん)のことだがな、爺っ!、俺達ぁ白に加勢するだが、なぁ勘ッ、俺達ぁほんに白に加勢するだな、なァ。」
 老爺は振り向いて、「ほんにか。」
「ほんの事(こ)んだよ、爺ッ、ウソでねえだ。」
 腕白盛りは、ことごとく、一生懸命にまことしやかにうなずいている。老爺は。ふところを探って、いくらかの鳥目を取り出して、三人にわけてやった。そうして更に念を押した。
「なぁ、えいか。忘れただちうても白を痛しめてくれるでねえぞ。」
 腕白盛りは、てんでに引ったくるように、老爺の手から鳥目を取ってしまった。鳥目さえ取ってしまえば、彼らは老爺に、何のはばかることことがあろう。何の心にもない追従などをいうことがあろう。不意にばらばら駈け出して、
「わァい、わァい、ははははッ、黒ッ、やいッ、黒来い黒来い黒爺のこけ、やァい――、黒兵衛汝が家の白に誰が加勢すべえ、畜生、やたらに吠えるだもの、今に叩き殺して、煮て食うだ……。」
 口巧者の勇太までその音頭をとって、後の輩(てあい)も思いきった大声で、口々に喚く。老爺は逆上せ上らんばかりに怒った。覚えず五歩六歩駈け出して、ふっと気がつく。駈けることと来ては彼よりは子供の方がまさしく上手である。巧みである。そこで老爺は長追いしていたずらに息を弾まして重ね重ねの馬鹿を見るよりはと思って、無念を忍んで、と、立ちすくんだ。
「畜生ッ、餓鬼ッ、うぬ、また?、覚えてろッ、えッ、ひんねじってくれるだっけ………。」
 と、拳を握って、歯噛みをならす。腕白盛りは弱みへつけこんで、眼をむき尻を叩き、顔を傾げ足を踏ん張り、さまざまな真似して、老爺をいらだしていたが、やがて、誰も彼も振り返り、狐の如く駈け出して、たちまち苫屋の陰の暗いところに見えなくなってしまった。老爺は茫然した顔で、その後ろ影を見送りながら、
 「えっ、餓鬼めらァ、いつでもはァ、こうだっけものなァ、何だちて銭なんぞくれる気になったっぺえ。何で。」
 と、一心に考えつめて、口の中でぶつぶつ言って、おのれの愚をたしなめていた。
 老爺の足下に――路上に――牡蠣の殻や、蛤の殻や、鮑の殻や、さまざまな貝殻が散らばっていて、それには月影が映(さ)して、きらきらと寂しく光っている。月は隈なく照りわたっていた。苫屋苫屋の軒は一続きに靄を吐いて、家並みのはてはぼんやりして家の影さえはっきりと見えぬ。
 屋根は濡れて、煙って、そして蒼みがかった光をはなっていた。
 子供の影を見失って、老爺はとみに張り合いを抜かした。しかたなしに、唇をかみしめて、ゆったりゆったり歩み出す、姿は悄然(ひっそり)していた。老爺のかかる目にあわされたのは。あながち今日に限ったことではない。が、その場でこそ、全身の血を頭へ上らして憤激しているものの、怒りはすぐに鎮まって、怨みも忘れて、彼は幾度となく同じ腕白盛りに同じ手をくらって、その度ごとに怒ってあがいて、後悔して、馬鹿馬鹿しく業を煮やしていた。
 首をたれて、折々ため息ついて、憤々しながら老爺は家の戸口まで来た。と、残酷に自分を苦しめていた妄念は煙のごとく消え去って、気がのんびりする……、何か知らず可笑しくなって――危うく吹き出そうとして、勢いよく、がらり雨戸を引きあけると、白犬が勢いきって表へ飛び出す。主の姿を見て白犬は嬉しそうに尾を振って、跳ね回って、低い声で二度三度甘えるように吠えたてた。
 老爺はしゃがんで、「白か、うむ、うむ、えいだ、えいだてば。」
 と、向こう脛へ飛びかかる白の頭を撫でてやった。白と名づけられた白犬は、名のごとく毛色の白い、つやのある、肥った、図抜けて体格(がら)の大きな犬であった。
 白は少しく首を傾けて、不平らしく、また怨めしそうに、じっと老爺の顔を見上げる。老爺は面白そうに笑って……、突然、思い出したように、「ほい、しまった、汝のみやげ買ってくるのを忘れてただ。」
 と、叫んだ。ひょいと立ち上がって、そそっかしく内庭へ入って、抛り出すように、担ぎ物をおろして、そして、自分に尋ねてみた。
「なぜ、忘れて来たっぺえ、いつだって忘れてきたことがねえだに。」
 そよそよと吹き渡る夜風に、門(かど)の一本柳はちらりちらり絶え間なく枯れ葉を散らす。後ろの山からは松韻颯々と、昔ながらの微妙な音楽が送られる……。
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by kaguragawa | 2011-04-15 22:43 | Trackback | Comments(0)

三島霜川「ひとつ岩」(一)   

 隣村と境の岬をめぐって、漁船は追っかけ追っかけ戻ってくる。ついさっきまで干(ひ)ていた荒磯はひたひたと満ちくる潮に隠れてしまって、はや黄昏(たそが)れかかる沖には、くぼんだような帆影が二つ三つ、うろうろと白く染めだされたようになって見える。磯のとっぱなには、まるで小山のような格好の孤岩(ひとついわ)が、濃い藍色の浪の上に真然と黒くもちあがっている。鈍い速力(あし)で物憂そうに沖から膨らせて来る浪は、漸々と険しく逆巻きだってきて、孤岩は近くなると、急に勢いが激しくなる……ゆらゆらつく、崩れかかる……、と、どっとすざまじい音がして、浪は孤岩にぶつかって影も形もなくばってしまう。潮をあびた孤岩は、さながら、素絹(すぎぬ)を着せられたように真っ白になった。
  たちまち浪が引くと、孤岩はさっきより一層黒くなって、なにか昂ぶった風で、海面(うなづら)にぬっと現れる。頂きにはおっかぶさってくる浪に驚き、あわて、孤岩を飛び退いたカモメが五六羽、再び、飛び戻ってきて、けろり、沖の方を眺めている。なかには、鼓翼(はばたき)しているものもあった。

 苫屋苫屋の炊の煙は、うすうすと山際に昇り初(そ)めて、漁船はことごとく戻ってきた。ずらり並んだ漁船の舳先に、浜は地が見えぬほどになって、がやがやわいわい、一時は煮え返るようであった浜の混雑も、大方は静まってしまった。と、どこかでうたっているのか、鄙びた節で、
 「雨は降ってくる、はっさかは積んでくる、背中で赤子泣く、飯ぁ焦げる。」
 と謡う女の声が、妙にかんばしって、靄の中から粛然(しんめり)と哀れに聞こえる。

 磯に近くまだ二三艘の伝馬船(てんません)が、夕映えの蒼みがかかった余紅を帯びて、うろうろと波に揺られていたが、やがては、それも渚をさして漕ぎ戻る、浦続きのはるか浪の荒い浜場には松原があった。その松の中をにげて、塩焼く煙がくろくろと寂しく、淡い夕靄をわけて海の方へなびいている。松原の切れ目から一町ばかりで、四ツ倉の最初の家がある。四ツ倉というのは奥州磐城の一漁村で、苫屋は山際に沿って、おおよそ二百戸余り、斜めに長く二側(ふたがわ)に立ち並んでいる。

 日はとっぷり暮れてしまった。月が出て海面にはいっぱいに金色(こんじき)が流れて、浪はゆらゆらさらさらと煌めき、孤岩の辺りでうねうねと長く膨らんだ浪の、転がるように渚近くまで滑ってきて、一うねり、うねりを打って、ど、ど、どっと崩れると……、と、その辺りには一面に白い泡が沸き上がって、さながら、投網でも撒くように、余波(なごり)は銀色の足でさっと砂地へ這い上がる。そこへ、泡立つ波に揺られて、伝馬船が一艘まっしぐらに漕ぎつけた。
 しばらくして、がじり、砂地に音がして、伝馬は、波打ち際に着いた。耳順(ろくじゅう)余りの老船頭はひらり伝馬を飛び降りて、曳や曳や(えいやえいや)と船を砂地に押し揚げる。
 潮のさっと引いた後の波打ち際は、白く洗われたようになって、まだびちゃびちゃとうねりを打っているさざ波に、漁師のよぼよぼした影がきっかりと玄く映った。
 船を砂場へ押しあげて、楫の端を畚(ふご)に結びつけて老爺はそれを担ぐ。……畚(ふご)の編み目を潜って潮の雫がはらはらと露のように月に煌めいて砂地に乱れ落ちた、老爺は、と、立ちすくんで、なんぞ意味あるらしくほっと太息(ためいき)ついた。しばらくして老爺はひょいと頭をあげて、慢々と砂地を歩みだす。
 その悠然(ゆったり)した挙動(ようす)といったら、まるで闇から曳きだした牛のようである。
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by kaguragawa | 2011-04-10 19:25 | Trackback | Comments(0)