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小林輝冶さん   

 小林輝冶さん。

  私を秋聲に――秋聲らしいにおいのする秋聲に――みちびいてくださった人である。
 また、直接お声をお聞きしなくなったこの頃は、金沢市立図書館の小林輝冶文庫の本のお世話になることが多くなっていました。

 その小林輝冶さんが亡くなられた。
 安らかにお眠りください。

# by kaguragawa | 2015-06-18 17:12 | Trackback | Comments(0)

高橋治さん   

 高橋治さんが亡くなられたという。

 お会いしたことはない――と思う――が、どうも、どう考えても、はっきりしないのです。八尾の風の盆でざっとうの中でお見かけした(と言うよりは、お会いした)ような気もするのですが、記憶が朧然としていて「どうしても」はっきりとしたことを思い出せないのです。

 ずっと、遠くで声を聞く存在でした。これからも、遠くから声をお聞きする(お聞きできる)存在でいていただきたいと(勝手に)お願いさせてもらう。

# by kaguragawa | 2015-06-15 22:27 | Trackback | Comments(0)

思いがけないところで藻谷さん・・・   

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# by kaguragawa | 2015-06-12 22:18 | Trackback | Comments(0)

6月3日のダブル・ユー   

 きょうは下の記事にも書いたように、ちょっと気にかかることのいくつかあった日なのですが、いくつかの偶然が重なって、ユニークかつ有意義な(ダブル・ユー)日になりました。

 なかでもMさんのお誘いでおいしいお昼をみなさんとご一緒させていただいたことは、感謝の限りでした。MさんとKさんから、藻谷海東と片口江東、あるいは藻谷六郎(銀河)と片口安之助を想うべきなんでしょうか。
 そのあとで寄った伏木図書館が、移転していたことにもびっくり。

 数日前に、今日が命日である三島正六さんの本『歪められた少年期』を入手できたこともうれしいことでした。

# by kaguragawa | 2015-06-03 23:40 | Trackback | Comments(0)

横山源之助、逝って100年   

 横山源之助は、1915年6月3日に亡くなっている。ちょうど100年前のきょうである。

 『日本の下層社会』は、「古典」の名のつく書物の中でも忘却され、読まれない本の見本になってしまったようである。

 だが、『日本の下層社会』中の警句「日本社会の思想方向は、日に堕落に赴きつつあるにもかかわらず、物質社会は冷ややかに数字の上にその発達を示すおるなり」は、源之助の眼の確かさをあざやかに示して余りあるもの。

 この一世紀前の「古典」は、読みずらい――読むにあたっての糸口のつかみずらい――本になっていることは、否めない事実である。「数字の羅列で、心のない本」というような批難もweb上に散見される。もし何かの縁があってこの本に接しられる方がおられるとすれば、私としては、読みとおし、読み返すことで、源之助の静かながら熱いメッセージを少しでも感じてほしいと、お伝えすることしかできない。

# by kaguragawa | 2015-06-03 21:56 | Trackback | Comments(0)