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今年驚きのできごとを二つ   

 今年の最後の日の、今、いろんなことを思い出しながら、驚きのできごとを二つどうしても書いておきたい。

 ある作品を読んでいる間、自分の「眼」が変わってしまったこと、景観を見る視覚の構造が変わってしまったこと。今から思っても不思議だ。このことの詳細は、あらためて書きたいが、その本のタイトルだけは堀田善衞『美しきもの見し人は』。
 今年は、ちょっと苦労しながら堀田善衞に関する二つの小論(エッセイ風な小論文)を書くことができ、私なりの堀田学のスタート地点をつくれたことも、私事ながらここに書いてきたい。

 もう一つの驚き。ある亡くなった人に生き写しの人に、会ってその瞬間、その驚きに息の止まるような思いをしました。駅の改札口からでてこられたその人を見た瞬間、あの写真の人が、ここにいると思ったものだ。“三島霜川のお孫さん”。晩年の霜川の写真の人が目の前にいる・・・・。
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by kaguragawa | 2016-12-31 22:56 | Trackback | Comments(0)

もちろん微力しかないが   

 「方丈記」が思いおこされる災害の状況はあってほしくない。が、糸魚川市の大火の報告をきいているとどうしても思い出さざるを得ない。文字通り“吹きまよふ風にとかく移り行くほどに、扇をひろげたるが如くすゑひろになりぬ。”なのである。
 日本の古い市街地ではどこでも起こりうる火災事故であるが、似た街をもつ北陸人として、そして糸魚川には少し思いのある私にはひとごとは思えないのです。まして「姫川沿いにフェーン・・・」と言われると、「姫川」という名前だけで、ヌナカワヒメを想い出し、心は震えるのです。

吹きまよふ風にとかく移り行くほどに、扇をひろげたるが如くすゑひろになりぬ。遠き家は煙にむせび、近きあたりはひたすらほのほを地に吹きつけたり。空には灰を吹きたてたれば、火の光に映じてあまねくくれなゐなる中に、風に堪へず吹き切られたるほのほ、飛ぶが如くにして一二町を越えつゝ移り行く。

 もちろん微力しかないが、私なりの声かけ程度のことはしたい。心を尽くしたい。
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by kaguragawa | 2016-12-23 19:45 | Trackback | Comments(0)

NHK「ファミリーヒストリー」を見るたびに・・・・   

 NHKの番組「ファミリーヒストリー」を見るたびに思うこと・・・。

 過去の人たちを掘り出すことを課題?としている私には、この番組の掘り出すものについては、「すごいなぁ!」「かなわんなぁ」と驚嘆することしきりです。
 しかし、最近ばくぜんとした疑問と言うか、不安が起こってきます。本人のご諒解を得てはいるのでしょうが、NHKならではの力(信用?)と「財力」を使ってここまで「故人」を掘り起こし、“公共の電波に乗せ”ていいものなのでしょうか。その掘り出しの経緯と、掘り出して見えてきたもののおもしさが際立っていると言っても、それはしいていえば、特定の個人のプライヴァシーに関わることです。このことについては、見るたびに深い疑問が残ります。誰もそのことについてのを疑義や不安を問題提起しないことにも疑問が残ります。

 感動的な番組に文句付けるな!、――私自身、感嘆と感激の溜息と涙をもらしつづけているのですが――とお叱りを受けそうですが、私の漠とした不安だけは、公言しつつ、私自身のわずかな過去の掘り出しについても、その意味と公表については立ちどまって考えたいと思っているのです。
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by kaguragawa | 2016-12-23 00:30 | Trackback | Comments(0)

小さな小さな論考   

 小さなテーマで、小さな小さな論考を一つ、書き上げました。ささやかな今後の道筋も。

 事実の連鎖を丹念に追っていくことの愉しさも。
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by kaguragawa | 2016-12-16 21:46 | Trackback | Comments(0)

1931:旧制中学校に「我が建国の本義と国体の尊厳」   

 これは、よほどの教育史の専門家でないと知らない事実だろう、と思う。なぜなら法史学の専門研究者でも「中学校令施行規則」の改正などというところまで目を配っていないからだ。今日、偶然見つけた「中学校令施行規則中改正(昭和六年一月十日文部省令第二号)」だ。

 中学校令の改正(→第二次中学校令)にともなって制定された「中学校令施行規則」(明治三十四年三月五日文部省令第三号)が、1931年(昭和6年)に改正されたのだが(昭和六年一月十日文部省令第二号)、そこにあらたな章が追加され、今までの「第一章 学科及其ノ程度/第二章 学年教授日数及式日/第三章 編制/第四章 設備/第五章 設置及廃止/第六章 入学、在学、退学及懲戒」は、「第二章 学科及其ノ程度~」へと順に繰り下げられた。
 あらたに冒頭に加えられたのは「第一章 生徒教養ノ要旨」である。
 第一条に「小学校教育ノ基礎ニ拠リ一層高等ノ程度ニ於テ道徳教育及国民教育ヲ施シ生活上有用ナル普通ノ知能ヲ養ヒ且体育ヲ行フヲ以テ旨トシ特ニ左ノ事項ニ留意シテ其ノ生徒ヲ教養スベシ」としたうえで、その第一号に文部官僚はこう書いたのである。

 “教育ニ関スル勅語ノ旨趣ニ基キ学校教育ノ全般ヨリ道徳教育ヲ行ハンコトヲ期シ常ニ生徒ヲ実践躬行ニ導キ殊ニ国民道徳ノ養成ニ意ヲ用ヒ我ガ建国ノ本義ト国体ノ尊厳ナル所以トヲ会得セシメ忠孝ノ大義ヲ明ニシ其ノ信念ヲ鞏固ナラシメンコトヲ期スベシ”

 「教育勅語の旨趣に基き」
 「学校教育の全般より道徳教育を行はんことを期し」
 「我が建国の本義と国体の尊厳なる所以とを会得せしめ」
 「忠孝の大義を明にし」

 もう一度繰り返すなら、これは1931年(昭和6年)1月になって、教育現場に直結した施行規則に――同年の新学期〔4月1日〕を実施日として――盛り込まれたものである。

 当時〔1930年代初頭〕の文部官僚が考えたこと、この法令改正を受けとめた教育の現場のありよう。こうしたことを、掘り出してみたいと考えている。それにしても私など、基本法令に手を触れず、こうした現場法規に「教育勅語」や「我が建国の本義」「国体の尊厳」「忠孝の大義」を持ち込む官僚の“ずるさ”を感じるのだが。
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by kaguragawa | 2016-12-02 21:50 | Trackback | Comments(0)