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別格官幣社   

 堀田善衞『19階日本横丁』を読んでいて、次のところで、《おっ!》、と思い、続けて《おやっ?》と思った。

 「ベテランのステュワーデスってなかなか足らないのよ。だいたいが二、三年でやめて行ってしまうでしょう。それに、コックピット(操縦室)の男性クルーとの関係も、なかなか微妙なものなのよ。クルーはね、無理は無いれけど、自分たちは機内サーヴィスの連中とは別世界の人間だと思ってるでしょう」
「ふうん。別格官幣大社か」
「そんなことを言うと、お年が知れてよ、ハッハッハ」


 1)
 久しぶりに、“べっかくかんぺい・・しゃ”にふれて――何十年この言葉を耳にしたことはなかった!――、まず、なつかしさがじわじわとやってきたのである。これが《おっ!》の中身である。そもそも、若い世代?に属する私がどうしてこの表現の場を、知っているのだろうか、自分でも不思議に思えてきたのである。で、幼い頃の記憶をさぐるというわが身の穿鑿にまで想いは及んで、いったのである。
 この「特別の、別格の」ということをいう場合の地口としての「別格官幣・・・」という表現は、いつ頃まで使われたものだろうか。こんな表現(地口)が口に出る世代、そうした表現をそうなんだ、と理解できる世代、というものは、本文に「そんなことを言うと、お年が知れてよ」と、あるようにかなり年齢の上の世代であろう。戦後世代の私が知っているのには、この表現が実際に使われ、耳に残る印象的な体験があったからなのだが、その具体的な現場というものを、手繰り出してみたかったのである。

2)
 もう一つ、こんどは《おやっ?》についてである。なにが問題か?。堀田さんが書かれた“別格官幣「大社」”である。
 私が奇しくも覚えていた地口は、「べっかく・かんぺいしゃ」である。「べっかく・かんぺいたいしゃ」ではない。「別格官幣大社」か「別格官幣社」か――。違いは、「別格/官幣」に続く部分が『大社』なのか『社』なのかである。「別格」に続くのなら「大社」の方が、格が上で、ことばの遊びとしてはその方がおもしろい、とも思えるのであるが、明治からGHQのいわゆる神道指令による廃止まであったこの「社格制度」については、ここは詳細な説明の場ではないが、神祇官が祀る「官幣社」に官幣大社、官幣中社、官幣小社の3種が、地方官が祀る「国幣社」に国幣大社、国幣中社、国幣小社の3種があるが、ほかに別格の官幣社が(つまり語順を換えれば官幣別格社)があるのであって、「別格官幣大社」だけでなく、別格国幣大社も、別格官幣中社もなにもないのである。

 私が幼い頃に耳にし、今まで覚えていた地口「べっかく・かんぺいしゃ」の意味合いについて、こんなことをもちろん幼少のみぎりから知っていたわけではなく、30年ほど前に「神楽川」の流域史を掘り起こしをしようとして越中の寺社史を一所懸命に勉強?した折の、余得である。そのときは、越中の国には一社も存在しない「別格官幣社」のことはすっかり忘れていたのですが・・・。

3)
 別格官幣社のなかでも別格の「靖国神社」、というよりも「別格官幣社」という言葉が世に知られるようになった原因はこの神社だと思われる「靖国神社」についての、おしゃべりを堀田善衞をだしにしてしようと思ったのですが、充分にしゃべり過ぎました。この辺で・・・。
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by kaguragawa | 2015-10-31 20:11 | Trackback | Comments(2)

グリフィス記念館!   

 福井市に「福井市グリフィス記念館」が今月の10日に開館していたことを今日知りました。
   福井県福井市中央3丁目5番4号 ・・・足羽川沿いのようだ。
 http://www.fukui-rekimachi.jp/griffis/index.html

 来月(11月)の29日(日)に牧野陽子氏、山下英一氏の講演会もあるようだ。
 残念ながらこの日は行けない・・・。
 http://www.fukui-rekimachi.jp/d_evn027.html


 忘れないうちに、メモ!。
 色川大吉さんの『五日市憲法とその起草者たち』(日本経済評論社)
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by kaguragawa | 2015-10-31 19:27 | Trackback | Comments(0)

新庄の赤門   

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 本命は左側のレンガ造の水門。歴史を感じさせる赤煉瓦水門だが、1900(明治33)年造の現役!である。
 常願寺川上流の上滝地区で取水した常西合口用水の末端に設置された排砂水門(富山市新庄地区)。通称:新庄の赤門。敷地内(常盤台公園)に立派な?説明板があるが、築造年月が記載されていない。仕様や運用の詳細について知りたい。
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by kaguragawa | 2015-10-28 19:58 | Trackback | Comments(2)

秋聲「焚火」の火種(2)   

 徳田秋聲「焚火」(1907)、それに先行する三島霜川「霜のあかつき」(1903)――。冬至期の夜明けの“銃猟”にからめた話だということ、話の後半に焚火をする少年と銃猟者(鳥撃ちハンター)との会話を中心とした印象的なシーンが展開されること、これが両作の共通点です。これだけの紹介では、この両作の「類似」が、単に同じ構成要素をもつだけなのか、話の展開もふくめ同一作に近いものなのか、判断ができかねると思いますが、何箇所にもわたり同一の表現や文章群があることから、「〈外形的には〉、話題も話の展開も同一作に〈近いもの〉」と言い切って、先に進みたいと思います。
(このように、両作の話柄の共通点だけを前置きしておいて、話を始めるのは、乱暴であり、なにより私にとっても不都合なのですが、両作品をまるごとここに提示することが時間のつごうなどでできかねるので、そこはお許しいただいて、とりあえずは――できるだけ、行論中に原文の引用を多くいれ、むしろ相違点を浮き立たせることにも留意して――論を進めていくこととします。)

 もう一つ、断り書きをしておきたいのは、こういうことです。論文という体裁でもなく、こういうエッセイ的なものでは、論点や主張点をわかりやすく提示することが難しいと思われるので、要点の一つだけ、切り離して、先に書いておきたいのです。
 ここで考えてみたいと思っていることのねらい(というより「願い」?)の一つは、霜川の作品を改稿したものが、――霜川の名ではなく――秋声の作品として世に出ているという事態の裏側にあるもの、抽象的に言えば、「霜川・秋聲、二人の〈作品を介在させた〉関係性」を、《徳田秋声「焚火」》を素材に考えてみたいということです。実は、この二人の間には、一回完結の単純な代作関係だけではなく、「焚火」に見られるような〈相互的かつ複層的な作品形成〉がほかにもあるのです。といっても、こんな考察?がうまくできて、「新たな視角」といったものが、提示できれば、文学部の卒業論文くらいにはなるのでしょうから、単なる霜川の年譜作成者である私には荷が重い課題ですが。この稿の、潜在的な問題意識として、書き留めておきます。

 脱線めいた行論をもとに戻します。なにより、秋声「焚火」の読み解きをめざすこのエッセイ?では、作品の後半に設定された少年と銃猟者(鳥撃ちハンター)との間の会話、そこにはらまれている「〔叛〕時代的な問題」を、霜川と秋聲に即して、うまく伝えたいと思っているのです。
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by kaguragawa | 2015-10-27 20:02 | Trackback | Comments(0)

秋聲「焚火」の火種―《注》   

・〔秋聲「焚火」の火種(1)〕の注

 発表順としては、霜川に「銃猟」に先だって「曙光」という先駆作があることをすっかり忘れていまして、前項(1)を補訂しました。正直に言うと、きちんと照合する労を惜しんでいまして、あらためて気づいた次第です。
 順を追うと、「曙光」には、ペスという猟犬が登場しますが、「銃猟」には猟犬は登場せず、「霜のあかつき」には猟犬ジャックがでてきます。この猟犬ジャックは、秋聲「焚火」にも登場します。

 さらに、話は繁雑になりますが、明治35年8月の「太平洋」に掲載されている「朝の平和」には、“あか(赤犬)”と呼ばれる西洋種の犬が登場します。 しかも、この「朝の平和」に犬が登場する部分は、「曙光」の一部を転用しているのですが、作品の構成からすると、「曙光」→「朝の平和」→「銃猟」という系列があるとまでは言えないようなので、「朝の平和」は系列作順から除外しました。

 *「朝の平和」は、Yさんからコピーを頂戴したもの(既往の作品年譜に未掲載のもの)。「太平洋」明治35年8月4日号に(一)、「太平洋」明治35年8月11日号に(二)が掲載されている。続稿があるようだが――霜川おなじみの末尾の(をはり)の三文字も、(二)の末にはまだ見えない――、私の無精さゆえ、まだ原紙にあたっていないので不明。
(参照) http://kaguragawa.exblog.jp/21742594/


〔追記〕
 関連のブログ記事に、「銃猟」の名前のtagを付けることとしました。
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by kaguragawa | 2015-10-24 15:55 | Trackback | Comments(0)

秋聲「焚火」の火種(1)   

 『徳田秋聲全集』(八木書店版)の第6巻に、「焚火」という短編が収録されている。この作品を私は読んでいなかったのですが、kamei asamiさんが、先日(10/2)、自身のtwitterで、次のように書いておられるのを目にしました。

 徳田秋聲『焚火』(「趣味」明治40年1月)は、早くから翻案または三島霜川の代作と噂されていて、「中央公論」同年2月時評では〈「焚火」はツルゲネフの「猟人日記」の中に入れても恥かしくない作だ。若し噂の如く三島霜川の作とすれば、霜川の文才詩情なかなか驚くべきものだ。〉と指摘されていま〔す。〕

 秋聲の名で発表された作品「焚火」が霜川の作だといううわさが、発表直後に出ていていたというのである。それに加え、私にとって愉快でありまた不思議でもあったのが、その論評子が「とすれば、霜川の文才詩情なかなか驚くべきもの」と述べているくだりでした。霜川を見直したといわんばかりの口吻は、名前は知られているものの作品が読まれていない三島霜川という作家の状況が、今も100年前も同じであることをでした。と言っても、この不勉強?な論評子とは違い、久保田万太郎などは、「中学時代に霜川氏の小品「スケッチ」を愛読し、それから文学的に学んだことの多い」ことを語っていたというから、見るべき人は見ていたのだなと思うのですが。

 前段というか余談が長くなってしまいました。霜川の作といううわさのあった秋聲の「焚火」という短篇を、――未読であったこの作品のコピーを入手できたので――、ここで少しずつ、読み解いて?みたいと思うのです。
 その際、議論の“つま”に霜川の「霜のあかつき」という作品も取り上げます。
 結論を先取りしながら敷衍すれば、霜川の「霜のあかつき」(明治36年11月「婦人界」/金港堂)と秋聲の「焚火」(明治40年1月「趣味」/彩雲閣)とは、内容に即していえば、《後者が前者の改稿作》の関係にあるからです。つまり、三島霜川「霜のあかつき」の改稿作が、徳田秋聲の「焚火」という作品として世に出ているという、関係になっているのです。
(追記:「霜のあかつき」に更に、「銃猟」←「曙光」という霜川の先駆作があることも、先に、一言しておきます。)

 *「曙光」 明治35年1月「半面」掲載/半面発行所
 *「銃猟」 (小品集)『スケッチ』(明治37年1月/新聲社)所収

 続きは、来週の予定?です。
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by kaguragawa | 2015-10-21 21:49 | Trackback | Comments(0)

竹内てるよの祖父竹内四郎   

tosukinaさま

 先日来、竹内てるよの名前を意外なところで見つけ、こっそり?調べていましたら、世田谷赤堤の渓文社時代の竹内てるよについて紹介されているページを見つけました。いろいろ確認しましたらこのページの書き手がtosukinaさんであることが判明!。お聞きしたいことが“山ほど”出てきました。

 今、わたしの方で言えることは、竹内てるよ(照代)の祖父・竹内四郎とは当時の富山県上新川郡新庄町(現:富山市)の旧家竹内家――江戸時代には、加賀藩奥山廻役の役職を担った――の二男(四男とも)であるらしいこと。祖母が同じく新庄町の浄土真宗・亀谷山正願寺の娘〔第16世住職の長女〕であることです。

 今、いくつかのことを確認中です。お暇な折に(この記事を見つけられましたら)、ご連絡くだされば幸いです。
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by kaguragawa | 2015-10-17 19:52 | Trackback | Comments(3)

千寿ケ原の紅葉   

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 立山山麓千寿ケ原(標高470m)/10.15
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by kaguragawa | 2015-10-17 19:00 | Trackback | Comments(0)

立山に初冠雪   

 きのう夕方の風が異様に冷たく、いつもと違うな、と思っていたら、立山はきのうからみぞれで、今日「初冠雪」を観測したという。
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by kaguragawa | 2015-10-12 21:17 | Trackback | Comments(0)

鴨居玲展「踊り候え」   

 鴨居玲展「踊り候え」〔石川県立美術館〕。

 会期末が明日13日だと勘違いしていて、慌てて行ったのですが、会期は25日(日)まででした。

 鴨居悠への関心から、鴨居玲のことを知ったのですが(こんな風に言うと、美術ファンの方から笑われそうですが)、帰宅して何時間も経った今頃になってあの暗い世界が聲のないメッセージとなって蘇えってきます。

 『閑吟集』のことも気になってきました・・・。
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by kaguragawa | 2015-10-11 19:00 | Trackback | Comments(0)