<   2015年 06月 ( 9 )   > この月の画像一覧   

備忘録――〔鴨北〕   

 鴨北――宮本鴨北のことを知りたいと思ったのだが、手がかりがあまりない。そのときあるきっかけで思い出したのが、どこかで目にした「東京鴨北老人宮本小一」の一節。わかってしまえば何のことは無い、《宮本鴨北=宮本小一》なのである。
 先日来、日朝修好条規(江華島条約)」のことを調べていたとき宮本小一の名は目にしていたのだが。。。

 なお、「鴨北」とは、“巣鴨の北”の意らしい。
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by kaguragawa | 2015-06-29 22:06 | Trackback | Comments(0)

「文化芸術懇話会」。   

 「文化芸術懇話会」。

 気恥かしくなるほど芳しい名のお勉強会。その名にふさわしいというよりその名を超克してしまう態の勇気ある発言・議論の数々。
 講師の国民的作家氏の発言もきわめつけの最上級もの。

 さすが集った人々の良識が光っている。

〔追記〕
 今聞いたニュースによると主催責任者のはなまる級の青年局長が、コウテツなんだって。谷垣幹事長の弁をあてはめるならおたくの党の総裁こそがコウテツの条件ぴったしのように私などには聞こえたのですが。。。
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by kaguragawa | 2015-06-27 21:44 | Trackback | Comments(0)

ヴォーリズ設計の大同生命金沢支店   

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 なんと驚いたことに、我がブログ(このブログのことですが)の2年前〔2013年 05月 20日〕の記事に、「詳細の確認はこれからですが、ヴォーリズが設計したという大同生命金沢支店(現存せず)の写真を見つけました。」との記事がある・・・・・。
 が、私が2年前にどこかで見つけた“ヴォーリズ設計の大同生命金沢支店(現存せず)”とはどんな写真だったのでしょうか、どんな写真だったのか、まったく記憶がないのです(・・・行方不明)。

 そして上の写真は、数日前にあらためて?見つけた“ヴォーリズ設計の大同生命金沢支店(現存せず)”の写真です。

 この写真がいつごろ撮られたものか(姿を消してしまった市電が見えますが)、どうした写真なのか素性もはっきりしませんが、「大同生命」の看板や、建っている位置からして看板左のうす青い建物が、“ヴォーリズ設計の大同生命金沢支店(現存せず)”に間違いないと思います。
 この写真ではよくわかりませんが、2階部分に独自な意匠がほどこされているようです。

 場所は、現在金沢信用金庫の本店が建っているところ、2008年11月に旧町名「南町」が復活したその現在の住居表示でいうと〔金沢市南町1番1号〕、その直前までは〔金沢市香林坊一丁目3番8号〕だった区画です。

〔追記:2016.12.03〕
 私のメモ帳に、次のようなメモが残っていました。出所が不明ですし、いつメモしたかもわかりません。貴重な情報ですので、写しておきます。

 “旧南町にあった大同生命保険相互金沢支社(現金沢信用金庫本店の所在地)。ルネサンス風の威容を誇った。戦時中は空襲による類焼から建物を守るため、周囲の民家が取り壊されたほど、重要視されていた。しかし、1984(昭和59)年、老朽化などのため姿を消してしまう。”
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by kaguragawa | 2015-06-26 20:35 | Trackback | Comments(0)

沖縄慰霊の日   

沖縄県[慰霊の日]


沖縄県慰霊の日を定める条例
       昭和49年10月21日
       条例第42号

第1条
 我が県が、第二次世界大戦において多くの尊い生命、財産及び文化的遺産を失つた冷厳な歴史的事実にかんがみ、これを厳粛に受けとめ、戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求するとともに戦没者の霊を慰めるため、慰霊の日を定める。

第2条
 慰霊の日は、6月23日とする。

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by kaguragawa | 2015-06-23 21:54 | Trackback | Comments(0)

小林輝冶さん   

 小林輝冶さん。

  私を秋聲に――秋聲らしいにおいのする秋聲に――みちびいてくださった人である。
 また、直接お声をお聞きしなくなったこの頃は、金沢市立図書館の小林輝冶文庫の本のお世話になることが多くなっていました。

 その小林輝冶さんが亡くなられた。
 安らかにお眠りください。
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by kaguragawa | 2015-06-18 17:12 | Trackback | Comments(0)

高橋治さん   

 高橋治さんが亡くなられたという。

 お会いしたことはない――と思う――が、どうも、どう考えても、はっきりしないのです。八尾の風の盆でざっとうの中でお見かけした(と言うよりは、お会いした)ような気もするのですが、記憶が朧然としていて「どうしても」はっきりとしたことを思い出せないのです。

 ずっと、遠くで声を聞く存在でした。これからも、遠くから声をお聞きする(お聞きできる)存在でいていただきたいと(勝手に)お願いさせてもらう。
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by kaguragawa | 2015-06-15 22:27 | Trackback | Comments(0)

思いがけないところで藻谷さん・・・   

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by kaguragawa | 2015-06-12 22:18 | Trackback | Comments(0)

6月3日のダブル・ユー   

 きょうは下の記事にも書いたように、ちょっと気にかかることのいくつかあった日なのですが、いくつかの偶然が重なって、ユニークかつ有意義な(ダブル・ユー)日になりました。

 なかでもMさんのお誘いでおいしいお昼をみなさんとご一緒させていただいたことは、感謝の限りでした。MさんとKさんから、藻谷海東と片口江東、あるいは藻谷六郎(銀河)と片口安之助を想うべきなんでしょうか。
 そのあとで寄った伏木図書館が、移転していたことにもびっくり。

 数日前に、今日が命日である三島正六さんの本『歪められた少年期』を入手できたこともうれしいことでした。
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by kaguragawa | 2015-06-03 23:40 | Trackback | Comments(0)

横山源之助、逝って100年   

 横山源之助は、1915年6月3日に亡くなっている。ちょうど100年前のきょうである。

 『日本の下層社会』は、「古典」の名のつく書物の中でも忘却され、読まれない本の見本になってしまったようである。

 だが、『日本の下層社会』中の警句「日本社会の思想方向は、日に堕落に赴きつつあるにもかかわらず、物質社会は冷ややかに数字の上にその発達を示すおるなり」は、源之助の眼の確かさをあざやかに示して余りあるもの。

 この一世紀前の「古典」は、読みずらい――読むにあたっての糸口のつかみずらい――本になっていることは、否めない事実である。「数字の羅列で、心のない本」というような批難もweb上に散見される。もし何かの縁があってこの本に接しられる方がおられるとすれば、私としては、読みとおし、読み返すことで、源之助の静かながら熱いメッセージを少しでも感じてほしいと、お伝えすることしかできない。
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by kaguragawa | 2015-06-03 21:56 | Trackback | Comments(0)