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君は沢山読み沢山書き給へ   

 歌人・橋田東声宛ての幸徳秋水の書簡があると知って、古い本ながら『増補 幸徳秋水の日記と書簡』のことを思い出し探した。ようやく本も見つかり、ページを繰ったら東聲宛ての書簡も載っていた。
 東声の年譜的事実が今一つよくわかっていないが、この書簡(はがき)は1907(明治40)年のものだから、東声の第七高等学校時代(2年?)のことのようだ。「秋水と東声」この不思議な組み合わせは、どうして生まれたのか、私にはわかっていないが、東声が同郷の先輩、秋水に便りを出したことがきっかけのようだ。

御端書拝見。僕は不相変病気で寝て居る。今度の出版は三年来の出版を集めたので、新作はない。書肆が仰山な広告をしたので少々気恥かしい。併し彼としては商略で致方ないだらう。君が所謂「文壇の花形役者」なぞいふものには、僕等は到底なることも出来ねば又成りたくもない。僕は文学芸術を翫賞するけれども、文学者、芸術家はあまり好まぬ。僕自身の著述や文章は芸術としてではない。唯だ社会の悲惨救済のために、自分の赤誠を吐露するに過ぎなぬ。芸術から見たら卑俗かも知れないが、僕はこの卑俗を甘んずるつもりだ。君は沢山読み沢山書き給へ。学科などはどうでも好い。折々落第してもよい。
  明治四十年春
                         幸徳秋水
橋田東聲様


 文中の「今度の出版」については、塩田庄兵衛氏の注を写しておきます。――「論文集『平民主義』(隆文館)は、明治40年4月25日付で発行と同時に禁止された。」
 同日発禁といっても流通?はしたようで、東声と同年生まれの歌人・石川啄木はこの本を入口に秋水に近づいたのではなかったか。
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by kaguragawa | 2015-02-28 19:02 | Trackback | Comments(2)

「春一番」?   

 富山は今日、18.5度。これはすごい。で、今日の風は「春一番」とのことだが、我が家の周辺はほとんど風無し。

 ニュージーランド地震から4年。H君は無念の想いをかかえて、ニュージーランドのクライストチャーチーチに立つ。
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by kaguragawa | 2015-02-22 21:21 | Trackback | Comments(0)

「〈ある写真〉――」・・・ちょっとだけ補論   

 苫屋の如き貧しき我がブログに、先日書いた記事「〈ある写真〉――おお、夢二に抱かれた添田知道少年がいる 」(以下「17日稿」)の閲覧回数が異様にふえて、うれしくも、かつ、少し当惑気味である。

 「17日稿」に補いたいことも、補うべきことも、いくつかあるのですが(そもそも問題にした「写真」そのものが掲載されていません!)、今それらのことを補い整理して書くことができません。
 なによりも時間がありません。そしてパソコンが文章をつづれないほど不調なのです。(先の投稿は人のパソコンで書いたものです。)
 
 再整理の意味で、2点だけ書いておきます。
1)「17日稿」の前半は、決して私の「新発見」でも「新説」でないこと。明記したように、14年も前に、飯野正仁さんが、資料を挙げて「11月5日以前にすでに夢二とたまきは社会主義者の集会に一緒に出掛ける程の知り合いであったという事になる」と書いておられるのです。
2)私のささやかな疑問は、《たまき自身、夢二との出会いを「10月」であったと書いてるのに、どうして通説?が「11月」になってしまったのだろう》であることです。

 ――夢二と他万喜の写った1906年10月28日とみられる写真があることと、たまきの語る夢二との出会い時期が同年の10月5日であることはまったく矛盾していないのに、根拠のあきらかでない通説?だけが、不調和音を奏でているのです。

 新しい資料の発掘が容易におこなえるとも思われません、むしろ現在残っている資料をもっと厳密に確認することこそすべきことがらと思われます。が、「今」私には資料調査に許された時間がないという言い訳と、意見を寄せていただいた方々にも協力がいただければ有り難いなあというお願いを、添え書きしておきたいと思います。
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by kaguragawa | 2015-02-20 22:41 | Trackback | Comments(3)

〈ある写真〉――おお、夢二に抱かれた添田知道少年がいる   

T様へ

 管野すが特集の7年前の「彷書月刊」(2008.2)に載っている「近藤千浪・白仁成昭さんに聞く」中の田村治芳さんの〈ある写真〉を見ての発言;「唖蝉坊がいる。おお、夢二に抱かれた添田知道少年がいる。」について、写真の確認、有り難うございました。
 やはり、1906(明治39)年10月28日の社会主義婦人会(運動会?)の写真でしたね。
 確認の労をとっていただき、感謝に堪えません。有り難うございました。

 この写真にこだわったのは次のような理由からです。

1)
 ここには添田知道を抱く竹久夢二が写っていて、あきらかに岸他万喜である女性(少し首を傾げている)が、この写真説明では「竹久彦乃」の名で紹介されています。
 そしてこの『唖然坊流生記』に「戸山ケ原の運動会(明治三十九年秋)」と題して掲載されている写真が、『光』(明治39年11月5日号〔第1巻第26号〕)の7pに「社会主義婦人会」として報告されている10月28日の運動会のものであることは、ほぼ間違いのないことでしょう。

※以上のことは、すでに渡辺政太郎研究家の飯野正仁さんが「〈髑髏〉の時代――竹久夢二における反抗の原基」(『夢二 アヴァンギャルドとしての叙情』展図録/2001.4/町田市立国際版画美術館)で、指摘されています。

2)
 ところが夢二研究では、「夢二とたまきの出会いは、〔明治39年11月5日〕である」というのが、通説です。長田幹雄さんの労作「夢二年譜」中の次の記述を、ほとんどの夢二研究者が無批判に引き継いでいるようなのです。
 長田=竹久年譜の明治39年の項には、「十一月一日 岸たまき、早稲田鶴巻町にエハガキ店つるやを開店する。/十一月五日 開店五日目、夢二つるやに行き、たまきと初めて会う。」とあります。が、あきらかに10月28日の写真が示す事実と異なっているのです。
 上記の飯野さんの表現を借りれば「11月5日以前にすでに夢二とたまきは社会主義者の集会に一緒に出掛ける程の知り合いであったという事になる」わけです。

※ある本では――今、手元にその本がないので、その本の名の紹介も引用もしませんが――、夢二とたまきが参加したこの運動会のことを紹介しつつも、「11月5日」の方を優先させて運動会の方の日付を変えてあるのです。

3)
 この「11月5日出会い説」の根拠は、岸他万喜が後に書いた追想エッセイ「夢二の想出」(『書窓』/昭和16年7輯)のようです。そこには、「(開店)五日目に長髪の異様の青年が来まして」とあります。しかし、たまきは「つるや」の開店日を「11月1日」と書いているわけではありません。それどころか、たまきは「十月一日に開店早々わんさわんさの人気にて」と書いているのです。
 長田幹雄さんは、たまきの書いた「10月1日」を、何故か「11月1日」にしてしまったのです。これは、長田さんらしくないケアレスミスとしか言いようがありません。

※「たまきの記憶は正確なものなのか?」という問題は残りますが、長田さんの《「夢二・たまきの出会い=明治39年11月5日説》は、その根拠が、他万喜のエッセイによるものとすれば、それはほぼ、崩れていると言ってよいと思います。 なお、他万喜のエッセイ以外に鶴巻町の「つるや」の開店日を書いた資料を私は、今まで目にしたことがありません。

4)
 逆に、「11月5日以前にすでに夢二とたまきは社会主義者の集会に一緒に出掛ける程の知り合いであった」ことの傍証となる、夢二の相馬御風宛ての書簡(はがき)〔明治39年10月20日付け〕があることを、最近知りました。
 このはがきには、夢二の手で二人の男女が後姿で描かれています。夢二とたまきの交際を間近にいて――居住の地理的位置関係においても、交際の深さにおいても、――知る位置にあった御風に宛てて、夢二がこれみよがしに?男女を描いたとすれば、それは“自分とたまきは今日も一緒です”のメッセージと考えるのが一番無理がありません。なお、はがきに描かれた男がかぶる帽子は、「戸山ケ原の運動会」の夢二がかぶる帽子と同じ種類のもののように見えるのですが、これも予断でしょうか。

※この頃の夢二の交遊者としてたまきが上記のエッセイに、「相馬御風」の名前を挙げていることが、期せずして夢二、御風、たまきが当時よく顔を合わせていたことを語ってくれているようである。
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by kaguragawa | 2015-02-17 23:40 | Trackback | Comments(4)

立春のオリオン   

 昨日が、今年(2015年)の「立春」でした。

 ということで、何人かの方が、4年前に書いた立春にちなむ「オリオンと、春立つ雪の宿」の記事を検索で探し出して、このブログを訪れ、この記事を読まれたようである。おかげで?、私もこの記事を読み返し、6年前の寒い夜、普羅庵跡の地から見たオリオンを思い出しました。
 http://kaguragawa.exblog.jp/14131006/

 前田普羅が、“オリヲンの真下春立つ雪の宿”の句を、富山で詠んだのは1925年の立春。ちょうど90年前のこととなります。


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by kaguragawa | 2015-02-05 22:33 | Trackback | Comments(0)

N響onTV   

ネルロ・サンティ指揮 ベートーヴェン交響曲第二番

古典的な透澄な響き。
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by kaguragawa | 2015-02-01 22:40 | Trackback | Comments(0)