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えっ、と驚いた話――3題   

1)
別々の関心から追いかけていたある3人が、なんと同じ学校の同期生!でした。思ってもみませんでした。
室崎清太郎(琴月)、加茂善治、野村重正――。彼らは旧制高岡中学校の9回生(明治43年3月卒業)でした。
※Rさん、琴月の同期生の野村重正の情報ってありますか?。WANTEDです。
なお、この前年の高岡中学校の卒業生に印牧季雄がいる。

2)
幸徳秋水がらみでも、翁久允がらみでも何度も名前を見ていた「安孫子久太郎」。あっ、彼は新潟県東部の出身なのだ。
「安孫子は、新潟は蒲原平野の出身。熱心なクリスチャンであり、言論人また事業者として北カルフォルニア日本人社会の指導者であった。」(袖井林二郎『夢二のアメリカ』)。
そう、「アビコ(アヒコ)=“越の阿彦”だ。
そう言えば、最近ほかのところでも、安孫子さん?我孫子さんの名を見たぞ。・・・う~んッ、思い出せない。
〔追記:2015.05.04〕
 安孫子久太郎を語るのに津田仙(というより津田仙の娘・余奈子)の名前も私には欠かせないものでした。

3)
思いがけないところに思いがけない情報があるものだ、もう一つ。
『湶宮』という高岡市の湶宮熊野社について書かれた冊子のなか。ある人の追憶に「我家の近隣は一般民家の中に踏み込みが土間の農家風の家が混じった閑静な家並みでした。(中略)また東隣の家にはキリスト宣教師の英国婦人ジョンストン先生が家僕の夫人と住み、女学生などが英会話を教えてもらっていました。クリスマスの時期になると私の庭の柊のひと枝を所望され何人かの人々と楽しく讃美歌を歌っておられるのがよく聞かれました。」
こんなところに、ジョンストンはいたのだ!。
(古い地図と現在の地図を出して比定してみましたが、ジョンストンのいた家は現在、新設の道路の敷地になっているようだ。)

3半)
そうそう、きのう某文献中に「鶴見の花香園(苑?)」というのを目にし、きょう別の文献中に「鶴見の花月園(苑?)」の文字を見ました。ともに大正時代にかかわる話題のなか。

“ちょっとずつ前に進みたい”
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by kaguragawa | 2015-01-29 22:05 | Trackback | Comments(0)

1月24日――   

 今年は正月からいろんなことが押し寄せて来て、パッサリと記憶の中から消え落ちてしまったことがあった。ただ言い訳をすると、まったく忘れてしまったわけではなくて、一週間ほど前から「1月」はあの日がくるあの日がくる・・・という強迫観念に似たような気持ちがあったのだけれども、その「あの日」がなにかを思いだせないまま、今日になってしまったのである。

 今日お会いしたTさんから「今日は正春寺で・・・」と、そこまで聞いて、そうか、「大逆事件の真実を明らかにする会」がと思い出し、“ああ、しまった今日は、まさに24日だったのだ!”・・・と、大事を忘れた寝過ごしを警蹕の声?で正気に戻され、今からでも駆けつけたいような衝動にいたったのでした。

 Tさん(竹内さん)有り難うございました。

 そうだ、今日は、あの資料を読んでおこう。
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by kaguragawa | 2015-01-24 22:49 | Trackback | Comments(0)

善衛と功芳の語る「舞踏会の手帖」   

 先日来、堀田善衞の語るフランス映画「舞踏会の手帖」の周辺をうろうろしていました。とてもとても映画通とは言えない私のことですので、堀田の『橋上幻像』を読むまでは「舞踏会の手帖」の名は知りませんでした。にもかかわらず、不思議なことに堀田が紹介する「舞踏会の手帖」の展開を読みながら、この話、どこかで聞いた?読んだ?という気がして仕方がありませんでした。

 きょう、ある本を探していたとき宇野功芳さんの『いいたい芳題』が目についたので、就寝時に快眠剤替わりに読もうと手にとったのが、運のつき?、ついつい読みだしてしまいました。そしてびっくり!。なんと、このエッセイ集のなかに「往年の名画『舞踏会の手帖』」という項があったのである。もちろん、これは何回か読んだものだ。なんのことはない、「舞踏会の手帖」という映画のタイトルは覚えていなかったもののこのオムニバス映画の構成や展開はここで読んでいたし、監督のデュヴィヴィエの名前もここで目にしていたのだ。

 私の記憶の粗放さ?については今更縷々述べない。そんなことより作家の堀田善衛がこの「舞踏会の手帖」の特徴的なワルツについて語っている一方、音楽家の宇野功芳は、登場人物の名まで挙げて細かに映画の内容を語っているところがおもしろいのだ。
 もちろん宇野がこの映画の音楽にふれてないわけではない。宇野は譜面も掲げてこう書いている。
 “クリスティーヌは幻滅して湖のほとりの大邸宅に帰ってくるが、この湖の幻想的な美しさは言語を絶する。コモ湖でロケがおこなわれたということだが、湖を表すという主題曲とともには何度見ても胸がいっぱいになってしまう。”

 文末に、『舞踏会の手帖』のDVDのデータが載っているで、今も入手できるのかは未確認だが、、写しておきます。     *『舞踏会の手帖』〔アイ・ヴィーシー IVCF2027〕(DVD)
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by kaguragawa | 2015-01-23 00:03 | Trackback | Comments(0)

たまに?霜川のこと   

 かたじけなくも林哲夫さんが、『演芸画報』の古本を紹介するかたわら三島霜川の歌舞伎評論をとりあげてくださった。
 http://sumus2013.exblog.jp/23557132/

 霜川の晩年の評論的論考は粘着的な文章になってくるのだが、霜川は今まで考えられていた以上に文芸から宗教にも及ぶ広範な知的蓄積を積んでいったようで、それが明治30年代の小説中の詩句のような文章を徐々に少しく難渋なものにしたようだ。

 そうした霜川晩年の文章を昨年から読み始めている。事績研究に限定してきた霜川の跡追いも、ちょっと足踏みの状態だが、霜川とのつきあいも年数だけは長くなってきた、ゆっくり、ゆったりと行くことにしたい。
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by kaguragawa | 2015-01-17 22:56 | Trackback | Comments(0)

夢二――飄然富山市に(1915.1.14)   

 100年前(1915.1.15)の新聞(富山県内発行)の一部を書き写しておきます。 ※句読点を補いました。
 ただし、これは私が数年前にメモしたものの断片で、書き写した新聞が何新聞なのかもわからず、自分の書いた字に読めないところもあるという、なさけないものです。
(ここに古いメモから書き写した記事が、何新聞のものなのか、確認できた時点で、報告をすることにします。)

東都の青年画家竹久夢二は、既報の如く、去る十四日飄然富山市に来り、親戚なる水上医師を訪づれ、当日午後二時四十二分泊駅下り列車にて兼ねての希望通り、小川温泉に赴けるが、同町の旧友たる松田新右衛門及び黒沢黒東外数名は大吹雪を犯して停車場まで出迎え、直ちに新町なる松田邸に赴き、新たに入り来りし横関東大菅等の同趣味の人と共に小宴を開き、九時頃小川温泉に赴き鬣山閣の三号室に入れり

 ここに書かれているように竹久夢二(本名:茂次郎)は、100年前の今日(1915年1月14日)に、富山の駅に降り立ち、翌15日には早稲田実業時代の旧友をたずねて県東部の下新川郡泊町に向かいます。このときの富山行(1月~3月)については、折々、報告することにします。
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by kaguragawa | 2015-01-14 20:06 | Trackback | Comments(0)

山之内靖『総力戦体制』   

 午前中は、富山市立図書館へ。

 帰路、書店のちくま文庫の書棚に山之内靖『総力戦体制』(2015.1.10)を見つけて、一驚。今しがた昭和17年、18年の短歌雑誌の原本をページを次々と繰りながら、当時の「体制」の真ん中に抛りこまれたような錯覚に恐れおののいていたばかりなのだ。この時期の「知」のあり方とどうしても対面しなければ、「戦後70年!」と懐旧にひたるだけに終わってしまうぞ、と悔悟にも似た気持ちで雪解け道を歩いてきたところだったのだ。
 このことの偶然に驚くと同時に、“どうして山之内さんの本が文庫で今????”と疑問符が駆け巡る。

 jrの車中で本を開いて、山之内さんが昨年、亡くなられていたことを知り茫然。

 私のような者にはとうてい歯の立たない論考の集成であるが、たとえ部分であろうと噛み砕いてみたい。
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by kaguragawa | 2015-01-12 16:03 | Trackback | Comments(0)

一月九日   

 単なる偶然ではあるが、きのう1月9日に、「一月九日」の語をふくむ短歌に出あった。
 藻谷六郎(銀河)の「洛中寒雨」という20歌の自撰歌群より〔『葦附自撰歌集』(葦附社/昭和8(1933).11)所収〕

   門並めてしめ飾りせる京の雨にぬれつついそげ一月九日

   小半時ひまをぬすみて芋ぼうにひるのさけくむ窓の月ほのか

   あわただしひと日のみ来て大阪の宵の恵比須に逢へりけむかも

 二十歌の中には甥・藻谷小一郎に宛てた歌もある。

   転向のちかひやぶるな恙なく晴れて逢はむ日ひた待つものを


〔追記〕
 web上の情報によれば;
 「京料理:いもぼう」とは、海老芋(えびいも)と棒鱈(ぼうだら)を甘辛く炊き合わせたもの。素朴で滋味豊かな味わいが人々に親しまれ、京ではすっかりお馴染みの名物料理。鰹と昆布のダシに棒鱈の旨味が溶けだし、海老芋の芯までしっかりと染み込んで実に美味しい。
青蓮院の宮様が九州から持ち帰られた唐芋(とうのいも)を、初代当主(=円山公園内の平野家)が京の地で育てたのが海老芋の始まり。これを北海道産の棒鱈と一緒に炊いたところ、非常に相性がよく、"いもぼう"として有名になった。」とのこと。
 これって「北前船文化」の一産物?。

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by kaguragawa | 2015-01-10 17:52 | Trackback | Comments(0)

“Je suis Charlie”   

  “Je suis Charlie”

 “Moi aussi,je suis Charlie.”
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by kaguragawa | 2015-01-08 22:36 | Trackback | Comments(0)

『小寺菊子作品集(全3巻)』(金子幸代編集・解説)   

 「今頃になって、ようやく・・・」と言うと、金子先生にお目玉をくらいそうですが、今頃になってようやく金子先生が編まれた『小寺菊子作品集(全3巻)』(金子幸代編集・解説/桂書房/2014.2)に目を通し始めました。

 今、その作品集の「3 随筆・評論」を拾い読みしていたのですが、読むのがもったいないほど豊富な内容に、おどおどわくわく、大げさといわれるかも知れませんが、心臓がどきどきしています。

 一つの例、瑣事にわたる例ですが、1933年11月に母の納骨に富山に帰郷した際の、「夕飯にたべたエビの吸物にあてられ、急性の大腸カタルを起して夜中に煩悶し、早速親類の水上といふ医者を招くと・・・」という文章など、もしかしてこの「水上といふ医者」とは、勝手な想像ながら“水上峰太郎”ではないかと思ってしまうのです。

 すぐにでも金子先生にお尋ねしたいことがいくつもいくつも出てきて、附箋をいくつも貼ってしまいました。暖かくなる頃、金子先生をお訪ねできればと思います。それまでに、私にはちょっと読みづらい小説の方にも齧りつきたいと思っています。
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by kaguragawa | 2015-01-07 23:12 | Trackback | Comments(0)

“たく駝師”“『月島丸の行衛』”   

 明けましておめでとうございます。

 お屠蘇気分もそろそろ醒めかけてきた頃で、遅い新年のあいさつとなりました。

 いくつか備忘録として書いておきたいこともあり、折をみてと思いますが、時間がとれる保証もないので、項目だけメモしておきます。

 一つは、「たく駝師」について。(漢字が文字化けするおそれがあるので、念のためにかな書きにしましたが《槖駝師》です)
 一つは、三島霜川の冒険小説『月島丸の行衛』について。
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by kaguragawa | 2015-01-06 21:26 | Trackback | Comments(0)