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田中清一『郷土と文学――富山出身作家とその作品』   

 富山の郷土文学の研究をされていた田中清一さんに『郷土と文学――富山出身作家とその作品』の著作があることは知っていたのですが、私の怠惰というか怠慢というか、今日まで閲覧する労をとらずにきました。
 私にとっては田中清一さんが、三島霜川研究の大先達であるにもかかわらずにです。

 昭和38(1963)年の大豪雪のさなかに書かれたものですから、著述後50年の歳月を閲しており、もちろんその後研究が進みあらたに発見された事実があり、研究史的には乗り越えられたところの多い本ですが、――そして体裁は“小冊子”で、今「小寺菊子」と「三島霜川」の項を読み終えたばかりですが――田中さんの事実に近づこうという気迫にワクワクさせられる本、です。
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by kaguragawa | 2014-11-29 14:36 | Trackback | Comments(0)

霜川、一葉を語る   

 きょう11月23日は、「一葉忌」。樋口一葉が24歳と6か月の生涯を終えてから118年。
 一葉忌にちなんで、三島霜川が一葉について書いているところを、あるエッセイから写しておきます。

 丁度鏡花氏の「夜行巡査」が現われると同時に、一葉女史の「たけくらべ」が文芸倶楽部に現われたと思う。――尤も「たけくらべ」はその前に文学界に連載されていたと思うが――この一篇が現われると、才名文壇を風靡して、一躍して、天才の名を博し、文壇諸公為めに顔色なしという有様であった。私も当時一葉女史の崇拝者で、女史の名が雑誌に出ると、大概その雑誌を買って読んだ。(中略)
 こうして、紅葉氏は無論の事、一方鏡花氏にも人気があり、また眉山氏も相応の人気があったといっても識者間の人気と認識は一葉女史に傾いていたようだ。


  ※三島霜川「私の文壇に接触した時分」から (「新潮」明治43年12月号)

 霜川が作家になりたいと上京し雌伏していた明治28・29年の頃を振り返った追想である。「たけくらべ」が「文芸倶楽部」に一括掲載された1896(明治29)年1月末の時点で、霜川は19歳。年末が近づく頃のあこがれの一葉の訃報には霜川も驚いたことだろう。
 なお、一葉歿5年後の1901年に――上京後それまでも本郷界隈を転々としていた霜川だが、徳田秋聲との弥生町での同居を解消し――霜川は、一葉が幼年を過ごした本郷6丁目の法真寺横の小路に寺の墓地を背にして住むことになる。
 ・・・一葉の幼年のことまで霜川が知っていたとは思えないが、一葉・霜川二人が本郷の赤門前の一画で偶然にも不思議な近接することになったことに、私はわくわくさせられる。
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by kaguragawa | 2014-11-23 17:37 | Trackback | Comments(0)

おおなゐ   

 けっこう長い間大きな横揺れを感じた。
 長野県北で震度6弱とのこと。

 大きな被害の発生していないことを祈る。
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by kaguragawa | 2014-11-22 22:18 | Trackback | Comments(0)

後を慕いて生きる   

 きょうは黒岩比佐子さんの命日。あすは徳田秋聲の命日。

 ということで、きのうは秋聲の『光を追うて』を拾い読みし、きょうは黒岩さんの『パンとペン』を第三章「“理想郷”としての平民社」まで読み進んで、どちらも何度となく読んでいるのに、初読の如くに迫り来て驚倒することたびたび。


追記
 講談社さん、文庫版『パンとペン』に誤植見つけましたよ!。といっても私の持っているのは、昨年出た文庫初版なので、もう訂正済みでしょうけど。
 そう言えば、『パンとペン』刊行時にいくつか誤植を見つけ、その直後に訃報に接することになるとも知らずに、黒岩さんにご報告した〔?〕のを思い出しました。・・・もう4年ですね。
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by kaguragawa | 2014-11-17 20:55 | Trackback | Comments(0)

“おお寒 こ寒”   

 おお寒(さむ)こ寒(さむ)
  山から小僧が泣いてきた
   なんといって泣いてきた
    寒いといって泣いてきた
   おお寒 こ寒
  おお寒 こ寒


 とつぜんの寒さの襲来に、このうたが思い出されました。
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by kaguragawa | 2014-11-13 20:02 | Trackback | Comments(0)

霜川の“雪の家”   

 忘れて二十年雪の家に来し

 なにげなく霜川の句を見ていてふと気がついた。この句は霜川が最後に郷里を訪れた1918(大7)年1月のものだろう(このことは、句吟が1918年であることは意味しないが)。――とすれば、その前に郷里を訪れたのは、そこを20年さかのぼる1898年頃と言うことにならないか。

 私の推測は、文学に志し――多少は幼少よりなじんでいた――東京に出て以来、霜川は翌年の父の死に駈けつけた以外、ほとんど帰郷しておらず、可能性のあるのは1897(明30)年と1918年だけではないかというものだが、霜川の句は、その推測をうらづけてくれるのではないか・・・。
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by kaguragawa | 2014-11-11 20:37 | Trackback | Comments(0)

原敬を語る服部之総   

 きのうの原敬の歿日に、原敬が富山をおとずれたときの「風」にまつわるエピソードを紹介しようと思ったのだが手元に資料がない。そんなわけで、昨日は投稿をあきらめたが、原をめぐる思いが私のなかに動いていて、何か落ち着かないので、ふと思いだして服部之総さんの中公文庫の『原敬百歳』(1981.2〔単行本は、1955.9〕)を取り出した。

 服部さんのものを多く読んでいるわけではないがこのエッセイ?集は、晩年の著者の顔が見えるとてもおもいしろいものである。なかでも「随筆集」の「総題」(ともに之総のことば)になっている「原敬百歳」は、40ほどの収録エッセイのなかでも痛快なそして最後にしんみりとさせられる好一篇である。

 少し引用しようと思ったが、余裕がない。現在、簡単に入手できるものかわからぬが、興味をもたれた方があれば、探して一読してみてくださることを・・・。

〔追記〕
 痛快という語で紹介した書ですが、今読み直してみて「藤田五郎の死」を厳粛な思いで読みました。今回の読み直しで次のような記述を見つけました。読み飛ばしていたもの。“〔藤田の〕母は、金沢藩士、日露戦争の「七博士」で有名な戸水寛人の妹である。”――数年前にTさんからいただいた戸水寛人資料は、どこへ行ったやら、探し出さなければいけない・・・。なお、藤田五郎については、小林昇『帰還兵の散歩』(1984.12)にも「回想――藤田五郎の学問的生涯」としてふれられている。


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by kaguragawa | 2014-11-05 20:28 | Trackback | Comments(0)

ある朗読会   

 神田洋子さんの朗読会――“邦楽と鴨長明作『方丈記』を楽しむ”〔金沢文芸館〕を拝聴(11月2日)。
 神田洋子さんの朗読に、林雅楽菜さんの琴と徳野梁山さんの尺八が寄り添うように奏でられる。約1時間あまり。

 「方丈記」の諦観の底にある悲しみ。

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by kaguragawa | 2014-11-03 23:24 | Trackback | Comments(0)