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もうツワブキの花   

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by kaguragawa | 2014-10-18 19:58 | Trackback | Comments(0)

思わず奴奈川姫に・・・   

 今日は平日ながら伯父の四十九日の法事。土地柄も違い(新潟県糸魚川近く)宗派も曹洞宗ということで、2か月前のお通夜、葬儀、そして今回の四十九日(大練忌)も、こまかな点については略しますが、その習俗の違いに戸惑うことばかり。軽いカルチャーショックの連続でした。
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 それにしても海沿いの少し坂を上った寺には風が吹きわたっていて、人を送るということを、切々と感じたひとときでした。
 糸魚川から東に少しはずれた旧の街道沿いの街でしたが、海が見えてくると、私には良寛の地に近づいたという実感がこれもしみじみと湧いてきて、おだやかな気持ちで時を過ごすことができました。

 そうそう、お寺に歩いていく途中で、奴奈川神社を道沿いに見つけ、急いでシャッターを切りました。奴奈川姫をはじめとする「出雲=越神話文化圏」を歩き回りたいという夢のような夢の入口が突如眼前にあらわれたようで茫然としてしてしまったのですが、私にはもっと近い過去を掘り返す課題の旅がいくつもあるのです・・・・。
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by kaguragawa | 2014-10-08 16:11 | Trackback | Comments(0)

無知ゆえの周章狼狽と驚天動地   

(1)
 ごていねいにも、今日〔10月6日〕が西出朝風の誕生日ですよ、と教えてくださった方がある。この方は、いつぞや私がこのブログに朝風の誕生日が8月1日だと書いたことを見つけられて、ご意見番?としてご注意くださったようである。

 で、ちょっとあわてました。西出朝風のことは、夢二との関連だったかと思うが書いた記憶があったのですが、朝風の誕生日まで書きこんだ記憶は無かったからである。確認してわかった。なんと、4年前に書いた《8月1日――犀星と賢治の生誕の日に》の項に、“夢二の世話をした西出朝風――彼も八朔の生まれ――はなんとこのとき千日町に住んでいて犀星の近くにいたのです。”の文章があるのだ。もう完ぺきに忘れていたのですが、確かに、私が書いた文である。

 そして、「西出朝風」を検索してみてもう一度あわてた。web上にある情報は、どれもが、朝風の生誕の日を〔10月6日〕としているのだ。朝風誕生=8月1日説?は、私の勘違いなのであろうか。とすれば、私はそんな誤説をどうやってでっちあげてしまったものなのか?。e0178600_17123698.jpg

 私のあわてふためいたドタバタは、割愛させていただいて、私の情報の出処だけを書いておきます。
 “西出朝風は明治十八年(一八八五)八月一日(戸籍上、自称は明治十七年十月六日)、父西出孫一、母エキの長男として石川県江沼郡大聖寺町字耳聞山百廿一番地(現在の加賀市大聖寺耳聞山121―1)に生まれた。”   〔敷田千枝子『口語歌人 西出朝風』(2007.10/短歌研究社)*1〕

 敷田さんご自身は――その根拠を書いておられないのが残念ですが――戸籍上の8月1日を西風の誕生日として扱っておられることが、この本の他の個所の記述からうかがわれるのだ。私の記述も、この敷田さんの敬すべき労作に信を置いているとだけ書いておきます。

*1『口語歌人 西出朝風』の表紙絵は、夢二が朝風の三女・早月さんが生まれたとき(1922)に祝いに送ったもの。エンドウのさやから女の子が顔をだしている。


(2)
 そんなことから発して、これもにわか勉強の経緯は割愛させていただくが、あの函館市街地の夜景をみるスポットとしても有名な「函館山」が「西出山」と呼ばれていたことも知って、これはひっくり返るほど驚いた。この山が、西出孫左衛門の持ち山だったからだというのだ。
 歌人の西出朝風は知らなくても、北前船主としての加賀橋立の西出家とその歴代の西出孫左衛門の名をご存じの方もあろうし、西出家と函館や小樽の関係も歴史家の方には周知のことなのだろう。私など堀田善衛のこれも北前船の廻船問屋堀田善右衛門商店のことを少し調べて知るようになって、橋立の西出孫左衛門家や瀬越の広海二三郎家のことも少し知るようになったのだが。
 それにしても「函館山」ひと山を所有していたという――正確なところはきちんと確認したいと思っていますが――北前船交易のとてつもなさと、それと同義でもある歴史のとてつもなさには、驚きいるしかないのです。
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by kaguragawa | 2014-10-06 22:00 | Trackback | Comments(0)

「堀田善衞を読む会〔4〕」余録   

 今回(第4回:09.27)のテキストは、『橋上幻像』の「第二部 それが鳥類だとすれば」――。

 以下、この「第二部」の次の一節に関した余録です。

 “男は、その映画について、つけ加えて言った。あの頃、自分は若かった。ほんの二十一か二かの大学生であった。そのせいがあったかもしれなかったが、この映画には心から感動し、とりわけて未亡人の息子が舞踏会にデビュするに際して、そのワルツの音楽が、未亡人の心を透かして見せ、彼女を過去へ過去へと誘い込むかのように、普通のワルツのリズムとはリズムを逆にして演奏されていた。普通ならば、ワルツは、強、弱、弱として演奏される筈のものが、弱、弱、強というふうに、時間の進行を逆にしていたことが、いま印象にのこっている、つまりは、ワルツの音楽は時間をむかしへむかしへと送りかえしていたのだ、と。”

 本文には、この「男」が“ほんの二十一か二かの大学生であった”時に感動したという映画のタイトルは明記されていませんが、それは読書会で説明されたように、『舞踏会の手帖(Un Carnet de Bal)』というフランス映画(1937、監督:Julien Duvivier)であることはそのストーリーからいっても間違いのないところでしょう。ここで私が注目したいのは、“普通ならば、ワルツは、強、弱、弱として演奏される筈のものが、弱、弱、強というふうに、時間の進行を逆にしていた”という映画中のワルツのことです。といっても、この不思議なワルツそのものに興味を惹かれたのではなく、そんな曲がほんまにあるんかいな?、堀田さんもようやるな、との思いでこの一節を読んだのです。つまり、ワルツの音楽は“時間をむかしへむかしへと送りかえしていたのだ”というフレーズを導くための「作り話」といって悪ければ「潤色」として書きこまれたものと思い、巧みな音楽技法を話題に持ちだすという堀田善衛の巧みな話術に感心してしまったのでした。

 「読む会」を終えて帰ってからもこの「ワルツ」のことが気になり、町内会の防災訓練などの合間に少し調べてみました。その映画中の曲(ワルツ)は、モーリス・ジョベール Maurice Jaubert (1900--1940)がこの映画のためにつくった「灰色のワルツ(Valse Grise)」でした。
 以下、堀田が「弱、弱、強というふうに、時間の進行を逆にしていた」と指摘した不思議な?ワルツに関するメモです。以外にも?!、堀田のワルツの記述は「潤色」どころか、堀田の鋭い「耳」の証左だったのです。(興味をもたれた方は、下記の部分をヒントに、みずからお調べください。)

 たとえば「灰色のワルツ+録音」や「灰色のワルツ+逆」などで検索すると、いろいろ書かれているものが見つかります。映画に使われたものは、逆再生と多重録録による斬新なもの――楽譜を逆から演奏したものを録音し、そのレコードを逆回転させて再生し、その録音の上にさらに弦(ストリングス)の音を重ねて録音して得られたもの――のように書かれています(なお、当時は磁気テープが録音メディアとして一般化される前だった)。そうした試みは、映画音楽史上というより、広い意味での音楽制作(創作)の歴史の上でも、ちょっと、画期になるような一つの事件だったようです。
 堀田がこうした裏事情をある程度知っていてあのように書いたのか、まったく事情を知らずに自分の感じた曲の特異性からあそこまで書いたのか、興味深いところです。いずれにせよ、この部分の記述は、堀田の音楽への関心をみずから踏み込んで開示した見過ごせない部分だといえるでしょう。

 こういったこともふくめて、「堀田善衛と音楽」についての、めくばりのきいた、しかも深く掘りさげられた論考が書かれたらいいなぁと、思うことしきり・・・です。
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by kaguragawa | 2014-10-01 21:56 | Trackback | Comments(0)