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イタイイタイ病を語り継ぐ会   

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 イタイイタイ病を語り継ぐ会設立記念シンポジウム「イタイイタイ病 これから語り継ぐこと」

 小松雅子さんの講演「父・小松義久を語る」と、パネルディスカッション
〔パネラー:小松雅子さん、青島恵子さん(萩野病院院長)、雨宮洋美さん(富山大学経済学部准教授)、コーディネーター:向井嘉之さん(イタイイタイ病を語り継ぐ会代表)〕


 いろんなことの整理がついてないので、今は「耳にした一言一言を、老化しつつある心に、刻ませていただきました。」とのみ。
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by kaguragawa | 2014-08-30 19:22 | Trackback | Comments(2)

南陽堂のこと:「柳川昇爾コレクション」参観   

 きょう金沢湯涌夢二館訪問、《柳川昇爾コレクション新収蔵記念展―― 「南陽堂書店」主人が愛した夢二》参観。学芸員のkさんから懇切な説明をうけ、富山の南陽堂についても多くの新情報をいただく。貴重な情報だ。この点については、あらためて紹介する機会をもちたい。

 ところで、そこで思いもせずドイツ文学者で詩人の藤森秀夫の名前を目にした。旧制富山高等学校の教授であった藤森は、富山時代に南陽堂から『三つの鍵:短編集』という本を出しているのだ。(柳川昇爾が独立して金沢に南陽堂を出す前の話だが。)南陽堂は古書店であると同時に出版もおこなっていたのだ!。そして、ここ数日、藤森秀夫の名前を何度も目にしていたので、「富山」を舞台にした人々の出会いにちょっとばかり感激。

 藻谷銀河の歌集『仙人掌』に「将棋」という歌群(昭和三年)があり、そこにこのような歌がある。

  藤森秀夫兄に

身に過ぎし友をえにけり今日今宵はじめて逢ひしここちこそせね

独乙語の教授てふ名を厳かしみ訪はで過ぎ来し日をくゆるなり

将棋さしていたく夜ふけしかへるさはダリアの花をきりてたびしか

盤面に動く駒より何もなきふたりとなりぬ長き夜も更け

手づまりの将棋や日ごろたしなまぬたばこをやけにふかせども

桂馬跳ねて玉のふところひろびろし且つや先手となりし得意さ



 
 話をもう一度、南陽堂から出版された『三つの鍵:短編集』にもどして、奥付を紹介しておく。

  短編集 三ツの鍵
    昭和七年二月二十八日印刷
    昭和七年三月一日発行
      (正価一円二十銭)

    著者 
     富山市桃井町
      藤森秀夫
    発行者
     東京府下国立町
      柳川光
    印刷所
     富山市中野新町
      庄司印刷所
    発行所
      東京府下国立町
      南陽堂出版部
         振替東京六四九六一番


 富山の古書店「南陽堂」とこの本の発行所となっている東京国立町の「南陽堂出版部」を、どうつなげたらいいのか。ここからが新たな課題だ。
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by kaguragawa | 2014-08-24 20:38 | Trackback | Comments(0)

「平成26年8月豪雨」って・・・   

(以下、ひとり言)

 今年の2月、このブログにこう書きました。
 「あれだけ宣伝?、喧伝?された「特別警報」が今回も発令されないまま、大きな雪災害を招いてしまった。」・・・あれから6カ月。
 異常気象ということばの一人歩きに加えて、後だしジャンケンのような気象メカニズムのもっともらしい説明ばかりが横行し、「想定外」を隠れ蓑にして災害を直視しようとしない社会の異常の方が気になってしかたがありません。私たちはafter「3.11」に生きているのではないのか・・・。

 気象や災害と社会について関心をもち上のような発言をしてきた私には、被災された多くの方、懸命な救助に尽力されている方を目にして、私なりの悔悟といらだちがあります。

  専門的な知見をもつ人々にもっともっと発言してもらいたい。私は私なりに、静考しつつ必要な知識をもっともっと学びたい。
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by kaguragawa | 2014-08-22 20:30 | Trackback | Comments(0)

『仙人掌』から(1)   

 藻谷銀河『仙人掌』から昭和元年(大正十五年)の歌を、紹介します。この年の歌、とりわけ「浜黒崎」という歌群は、私が『仙人掌』を読んで感じる銀河の歌集全体の歌風とはすこしちがっているような気がしますが、浜黒崎――富山市浜黒崎、ここで銀河は病を養っていた――が、私にとっても懐かしい土地であることから、この歌群を中心にここに写しておきます。

『仙人掌』から
昭和元年(大正十五年)

病床歳旦

おもひでは通り魔のごとはかなかりつつがの床に聴く除夜の鐘

ははそばと妻と三人の水入らず病む身も今朝はめでたかりけり

雪ばれの日和うるはし起き出でて障子切り貼りしておりわれは

百日(ももか)まりはいらぬ風呂のひた恋しつつがなくなりはいる日やいつ

筏井の嘉一おもへば笑みまけて光るめがねの面影に立つ


浜黒崎

かひやぐら見ゆと出づれば早や消えて夕凪ぎわたる海のはろけさ

はてしなく松風ふける昼浜にきつゝきの音こだましてをり

小雨やみて磯松原の朝きよし松露さがしに出でましものを

蛍烏賊ひかる夜頃となりにけり古志の海辺を思はずや君

さのぼりし田のも渡りて来る風のとみに涼しききのふけふあたり

家路遠きこゝの浜辺の侘びごもり勿忘草のたねまきにけり

寺の夜のふけてねずみのさわぐ頃かもめのこゑは猫にかも似つ

磯ちかくとびうをとべりひとりねの早きめざめをすがしみつ我

松原に巣くひて松をからすゆゑ五位鷺狩のてつぽうの音

又してもくすりの味のかはりたる今朝ひえびえと閑古鳥なく

船の笛ひとり寝ざめてきく夜半のおもひは遠き妻にこそゆけ

遠妻をこゝろにもちて出でくれば夕波千鳥こゑあはれなり

この浜にさきしものとて石竹の花封じたり妹(いも)にまゐる文

朝なさな来るさかな売り今日は来ず町の祭に急ぎけらしも

蚤にくはれ寝ね足らざりしあかときは仏の鉦もわづらはしけれ

この浜に乳母とふたりの日をふれば幼なごゝろやよみがへるらし

鐘楼に鳩はなきつゝたまさかに妹(いも)と語らふ時惜しみかも

前の花田裏の松原寝ながらにこもごも飽かず明仙山泉福寺

野大根の花にあきつのとびそめてまぼしき浜の夏浅みかも

うらうらになぎし海かも日もすがら発動機船音たてゝをる

尼稚児は泣き泣きあたま剃られをりよその犬きてそれを見てをり

磯蟹をこゝだとらへてかへる路はあなうら痛し松の落葉に

浜ゆけば浜ゑんどうの紫匂ふ吾妹(わぎも)をまた偲び出づ

磯近くぬかえび食ひに寄る蟹を日に日に捕りて梅雨ならむとす

しなざかる古志の海辺に病みわびて春の野球を見ねばくやしも

病みこもる窓べに寝し東京へゆく汽車の灯をあこがれにけり

尼だちは麦托鉢に出はらひて猫とひるねす病人われは

からつゆに田川の雑魚のあぎとひて米の値高くなりにたらずや

読みつかれかうべ上ぐれば窓越に松葉拾ひの人さはにみゆ

この寺の前は日永の新川野ねながらにして汽車のゆくみゆ

することも言ふこともなし吾が欠伸乳母にうつりて日の永き哉

さみだれにしまし出ざりし浜川の流れのむきはいたく移れり

しろがねに大わだ光るはて遠みほのかに青し佐渡ケ島山

病みわびて妻にも遠く離(か)れ住めば天の星よりわが身かなしも

もの書けるわが顔のべに蜂の来たりしまし唸りて去りにけるかも

月をふくむ夕焼雲に虹のかゝり海に没(い)る陽のすばらしきかも

三年前みやこのなゐに死なざりし奇(く)しきいのちを祝ふ今日かも (九月一日)

二百十日すぎて今宵も浪高し見えてはかくる漁り火

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by kaguragawa | 2014-08-16 07:31 | Trackback | Comments(0)

ブリュッヘンさん   

 Frans Brüggenさんが13日に亡くなられたという。
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by kaguragawa | 2014-08-15 22:05 | Trackback | Comments(0)

藻谷銀河歌碑   

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富山城址公園
昭和29年11月7日建立



夕まけて
 こゝろ寂しく
  なりにけり
遠く澄みたる
 ひぐらしのこゑ


 歌集『仙人掌』より


 富山大空襲で火傷を負った藻谷銀河(藻谷六郎)は、
一週間後の8月9日に亡くなった。今日が命日である。
 この日、1945年8月9日、長崎にも原子爆弾が投下され、日本政府はポツダム宣言受諾に向け動き出す。
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by kaguragawa | 2014-08-09 17:10 | Trackback | Comments(0)

繰り返された権力の愚稿=愚行   

 我国の首相の《広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式》でのきのうの“あいさつ”が、昨年のそれと同じものだったと、うわさに聞き、「まさか、唯一の被爆国の代表たる首相がそんなバカなことをするはずがない」と一笑にふしたが、帰宅後確認して、私自身のおろかさに愕然とした。

 もちろん一字一句、同じではない。《昨年、国連総会の「核軍縮ハイレベル会合」において、「核兵器のない世界」に向けての決意を表明しました》だの《本年4月には、「軍縮・不拡散イニシアティブ」の外相会合を、ここ広島で開催し、被爆地から我々の思いを力強く発信いたしました》だのという部分は、今年ヴァージョンである。
 だが、「安倍総理の演説や記者会見などを、ノーカットの動画やテキストでご覧になれます。」という「首相官邸」HPからコピペした原稿のA(1904版)とB(1903版)の部分はどうだ。いくらなんでも、これは最低にお粗末だ。心のこもっていないことを、これだけ明かにした公文書も珍しいのではなかろうか。一国の総理大臣の〔愚稿=愚考=愚行〕の中でも、“後の世に、また世界に、伝え続け”られる、最高の部類に属するだろう。


(A:1904.08.06)
 広島市原爆死没者慰霊式、平和祈念式に臨み、原子爆弾の犠牲となった方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。今なお被爆の後遺症に苦しんでおられる皆様に、心から、お見舞いを申し上げます。
 69年前の朝、一発の爆弾が、十数万になんなんとする、貴い命を奪いました。7万戸の建物を壊し、一面を、業火と爆風に浚わせ、廃墟と化しました。生き長らえた人々に、病と障害の、また生活上の、言い知れぬ苦難を強いました。
 犠牲と言うべくして、あまりに夥しい犠牲でありました。しかし、戦後の日本を築いた先人たちは、広島に斃れた人々を忘れてはならじと、心に深く刻めばこそ、我々に、平和と、繁栄の、祖国を作り、与えてくれたのです。緑豊かな広島の街路に、私たちは、その最も美しい達成を見出さずにはいられません。
 人類史上唯一の戦争被爆国として、核兵器の惨禍を体験した我が国には、確実に、「核兵器のない世界」を実現していく責務があります。その非道を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めがあります。(中略)

 広島の御霊を悼む朝、私は、これら責務に、倍旧の努力を傾けていくことをお誓いいたします。結びに、いま一度、犠牲になった方々のご冥福を、心よりお祈りします。ご遺族と、ご存命の被爆者の皆様には、幸多からんことを祈念します。核兵器の惨禍が再現されることのないよう、非核三原則を堅持しつつ、核兵器廃絶に、また、世界恒久平和の実現に、力を惜しまぬことをお誓いし、私のご挨拶といたします。

http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2014/0806hiroshima_aisatsu.html

(B:1903.08.06)
 広島市原爆死没者慰霊式、平和祈念式に臨み、原子爆弾の犠牲となった方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。今なお被爆の後遺症に苦しんでおられる皆様に、心から、お見舞いを申し上げます。
 68年前の朝、一発の爆弾が、十数万になんなんとする、貴い命を奪いました。7万戸の建物を壊し、一面を、業火と爆風に浚わせ、廃墟と化しました。生き長らえた人々に、病と障害の、また生活上の、言い知れぬ苦難を強いました。
 犠牲と言うべくして、あまりに夥しい犠牲でありました。しかし、戦後の日本を築いた先人たちは、広島に斃れた人々を忘れてはならじと、心に深く刻めばこそ、我々に、平和と、繁栄の、祖国を作り、与えてくれたのです。蝉しぐれが今もしじまを破る、緑豊かな広島の街路に、私たちは、その最も美しい達成を見出さずにはいられません。
 私たち日本人は、唯一の、戦争被爆国民であります。そのような者として、我々には、確実に、核兵器のない世界を実現していく責務があります。その非道を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めがあります。(中略)

 広島の御霊を悼む朝、私は、これら責務に、旧倍の努力を傾けていくことをお誓いします。結びに、いま一度、犠牲になった方々の御冥福を、心よりお祈りします。ご遺族と、ご存命の被爆者の皆様には、幸多からんことを祈念します。核兵器の惨禍が再現されることのないよう、非核三原則を堅持しつつ、核兵器廃絶に、また、恒久平和の実現に、力を惜しまぬことをお誓いし、私のご挨拶といたします。

http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2013/0806hiroshima_aisatsu.html


 安っぽい行政作文の使い回しが、被曝に対する首相の考えの微動だにしていない証左だというのなら、来年も、この地位にとどまり同じあいさつを、緑豊かな広島の街で、音吐朗々とされることを心から望みます。
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by kaguragawa | 2014-08-07 20:36 | Trackback | Comments(0)