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ある幼な児の墓標   

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 野田山墓地(金沢市)
 詳細は控えますが、ある人のご厚意で、1935年に亡くなられた金沢在住のアメリカ人牧師の息子さんの墓に案内していただけることになりました。なにもかも,思いがけないことばかりの展開でした・・・。

 1月だと言うのに北陸には雪が無い。有り難いことだ。


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by kaguragawa | 2014-01-31 22:17 | Trackback | Comments(0)

驚きと発見の連続   

 久しぶりに鏡花の「黒百合」を読む。
 てもとにある――といっても昨晩探し出したのですが――ちくま文庫の「泉鏡花集成2」が、1996年4月のものだから、それ以来(おおざっぱに言えば20年ぶり)だろうと思う。

 いやはや、驚きと発見の連続でした。
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by kaguragawa | 2014-01-28 21:58 | Trackback | Comments(0)

『青天抄板画巻――原石鼎 句 棟方志功 板』(2)   

(参考)

 『青天抄板画巻』の巻末に志功の後記がある。

 栖霞品、猫の足、胸形変についでこの青天抄をつくりました。わたくしはどの句板巻でもそのやうにその人の句の美しさに参ってしまいます。そうしてそれを板画にするのです。わたくしの板画は一生満足の行く板画に成れないで行くということが身上であると思いますから、何巻、何柵、板画いたしましても真当のところまで、進めてできる板画はないと思います。
 本書を成すについて、石鼎俳句へのことばををのせていただいた、原石鼎氏の恩師高浜虚子翁及び生前石鼎と並び称された故前田普羅をはじめ、山口誓子、山本健吉、原コウ子、京極杜藻、神林良吉氏ならびに編集の面倒から一切を見て下さった神林氏、造本について御配慮いただいた宝文館の伊藤賢三氏の御恩に深く深く礼々を重ねます。


 またこの本には別紙の附録がついていて石田波郷のこの板画巻によせた「青天観涌」という文が載っているので、これも写しておきます。

  「青天観涌」
 青天抄板画巻を見ると、石鼎翁の代表作がよく選ばれているが、雑誌や句集の活字で読むのとちがった、溌剌たる精気が加わっている。句そのものの精気と別の世界の光にてらされた精気である。私なども他人の画いた絵に賛の句を書かされることがあるが、絵とマッチし、絵を生かし、自分の句にも今までの自分以上のものを出してゆくなどという賛はできたためしがない。
 棟方さんの「板画巻」は、石鼎俳句の真髄を見事に引き出して、相共に一幅の板画としての噴出をなしとげている。石鼎俳句の研究者はの興味と別に、新しい貴重な文献としてもこの書を蔵しなければならないであろう。
 近頃は何でも大作多作大流行の世の中であるが、俳句はよい句を少し見るのが一番愉しい。
 そういう意味でも「青天抄板画巻」は愉しい「句集」でもある。


※私註 「栖霞品」「猫の足」「胸形変」のそれぞれは、前田普羅、永田耕衣、石田波郷の句を刻んだ句板巻。
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by kaguragawa | 2014-01-25 22:53 | Trackback | Comments(0)

『青天抄板画巻――原石鼎 句 棟方志功 板』   

 先日、このブログに原石鼎の句“一枝の椿を見むと故郷に”を検索して来られた方がありました。
 そんなことをきっかけに、あらためて石鼎のことを調べていましたら、ひょんなことから棟方志功がこの句をふくむ石鼎の句、35詠を板画として『青天抄板画巻』という本をつくっていることを知りました。志功に石鼎の作品を彫った画集があることを知らなかったものですから、驚くとともに“ぜひ”見てみたいというせっつかれるよう想いが止まらなくなってしまいました。先日訪れた高志の国文学館での企画展「世界のムナカタ」を育んだ文学と民藝」にも出展されていなかった本なのです。検索してみたところamazonに私でもなんとか入手できそうな古書があることがわかり、さっそく注文しました。

 それが今日、とどきました。

 昭和31年刊行ですから、私とほぼ同じ年月この世の空気を吸ってきたせいでしょうか、かなり年季の入った?「初版本」ですが、本をつくった人々の想いの伝わってくるような本なのです。いとおしむようにゆっくり読みたいと――こんなときにこそ「鑑賞」という言葉を使うべきなのでしょう――と思っています。

 *『青天抄板画巻』――この板画巻の名は、石鼎の句“青天や白き五弁の梨の花”による。
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by kaguragawa | 2014-01-25 00:03 | Trackback | Comments(2)

児童の村小学校!!   

 うっかりしていたのですが、三島霜川のご子息・正六さんは、自由教育で知られるあの「池袋児童の村小学校」―1924.4創校―の第1回生ではなかろうか・・・。


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by kaguragawa | 2014-01-20 22:31 | Trackback | Comments(0)

朝井まてかさん~安藤坂~樋口姉妹   

 芥川賞も直木賞も、文学とは疎遠な私には、あまり興味がないのだが、朝井まてかさん(直木賞)の「恋歌(れんか)」が中島歌子をテーマにしていると聞けば、話は別だ。

 「萩の舎」には、いろんな縁があって、反応させざるをえないのだ。しかも、「萩の舎」や樋口くにの「礫川堂」跡を訪ねたいと思い、安藤坂付近まで行きながら、2度も時間切れで、時計を見ながら近くの地下鉄の駅に走ったことがあるのだ。

・・・と書きながら、さいふの中身と暦を交互ににらめっこしている、ほろ酔いのかぐら川なのです。

追記
(覚え)
 萩の舎: 小石川区小石川水道町14番地 (現:文京区春日1-9-27)
 礫川堂: 小石川区小石川表町6番地 (現:文京区春日1-11-13~14)
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by kaguragawa | 2014-01-16 23:35 | Trackback | Comments(0)

今から、延長戦。全国高校サッカー選手権   

全国高校サッカー選手権
富山第一×星陵

アディショナルタイムももう残りがない、これで「負け試合」という間際に、第一キャプテン大塚のPK同点ゴール!。

今から、延長戦。
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by kaguragawa | 2014-01-13 16:06 | Trackback | Comments(0)

神谷美恵子さんの誕生日に   

 今日、1月12日は、神谷美恵子の生誕100年の日にあたる。きのう「著作集」をさがそうと思って、ちょっと書庫?の片づけをしたときに読まないままになっていた角川文庫の『神谷美恵子日記』を見つけ、これから通勤など移動中の列車で読むことにした。
 そもそも30年ほど前、どういうきっかけで『神谷美恵子著作集』を読むことになったのか、どうしても思い出せない。そうしたことも、思い起こしながら、アメリカ留学中の1939(昭14)年1月11日――25歳の誕生日の前日に当たる――の日記から始まっていて、正直なところ私には状況がつかみかねるところも多く年表が欠かせない本だが、勉強もかねてゆっくり読もうと思っている。

追記
 神谷美恵子さんの著作集を読むことになったきっかけにハンセン病のことがあると思うのですが、今日、1月12日が神谷美恵子さんの誕生日であると同時に、光田健輔の誕生日であることも不思議な思いにさせられることである。光田とは、彼が1876(明9)年生れで、済生学舎に学んでいることから、霜川探訪の折にも出会っている。そう言えば、1876(明9)年生れで、済生学舎に学んだ人物のなかに野口英世のほかにも中原中也の父(野村謙助)がいる(それぞれ済生学舎に関わった時期はずれているが)。
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by kaguragawa | 2014-01-12 20:41 | Trackback | Comments(0)

2014―初ブラ歩き   

 長福寺を振り出しに高岡市の牧野地区をぶらついて、対岸の伏木に渡り、「あっ、そう言えば・・・」と――藤子・F・不二雄さんのことを――思い出して、高岡市立美術館に立ち寄り、そこでまた、思いがけず長福寺の名を目にして、帰ってきました。

 この小ドライブに隠れているのは、宗良親王と堀田善衛と藤子・F・不二雄さんと岸田劉生・雄山通季です。(以下、あくまで自分の「覚え」のためを主目的に行路をメモしておきます。)e0178600_20383725.jpg
 長福寺、樸館塚、神璽社跡、東弘寺と宗良親王ゆかりの場所を訪ねて上牧野・下牧野の地を歩いていた時に、標識などで何度でも「牧野」の地名を見ながら、「そう言えば、この牧野のどこかに岸田劉生と親交があった方がいたはずだ」ということが、ふと頭に浮かんだのですが、その方の名前もまして住所なども思いだせずに、庄川の対岸に伏木の工場群が見え、時間を気にしながら橋を渡って伏木の町に入り込んだのが12時頃。おなじみの堀田家の旧家跡やこれも廻船問屋であった八坂家の跡(こちらは不確か)などを走り回って、帰り路を高岡に向かいながら、これも「そう言えば・・・」と思い出したのが、今日が高岡市美術館で藤子・F・不二雄さんの小企画展の最終日ではなかったか・・・との一事。1時までに家に戻れないことを覚悟して、美術館に向かうことにしました。そこに藤子・F・不二雄さんの年譜があるのではないかとの期待からです。ちょっとした収穫もあり、帰ろうとした時、目についたのが先日の岸田劉生展の図録。その岸田劉生展の図録の附録資料「雄山家の資料――高岡における岸田劉生」を開いた時、目に飛び込んできたのが「長福寺」の三文字でした。岸田劉生と交流のあった牧野の人とは、雄山通季さんで、彼はなんと3時間前に訪れた宗良親王ゆかりの寺・長福寺の三男坊だったのです。長福寺は、現在こそ浄土真宗ですが立山信仰にゆかりの深い寺ですから、そこの家系が雄山姓であるのも、かくあるべしなのでしょう。急いで、図録『画家岸田劉生の軌跡』を買い求めて、帰宅した次第。

 帰ったら、頼んであった中公文庫の『皇子たちの南北朝――後醍醐天皇の分身』が、届いていました。手回しが良いのか悪いのか、後醍醐天皇の第八皇子宗良親王のことを――これは同時代の桃井直常とともに、実は数年来お預けにしてあった課題なのですが――少し、跡追いしてみようかと思っているのです。

*上の写真は;
明治末年の庄川の流路変更――小矢部川からの分離と東側への新流路の掘削――で河川敷となった地〔雪見ケ岡〕にあったという宗良親王歌碑(現在:下牧野公民館脇の神璽社跡)

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by kaguragawa | 2014-01-05 16:45 | Trackback | Comments(0)

年頭に   

 2年前、2012年の1月、このブログにこんなことを書いていました。

 三島霜川の歿後80年(2014)の3月を目途に、「霜川年譜(私案)」と私撰「霜川作品集」を完成させること。
 ということで、今年も?、――かっこよく言うと――「文化のクロノトポス(時・空)の博捜探索」に歩き回りたいと思っています。



 三島霜川の《年譜》だけは、現時点での到達点を一つの「形」にできましたので、今年はそれを徹底的にこわしてもう一度作り直すことに尽力したいと思っていますが、《作品集》の方はその準備すらできていません。昨年、ある方との会話で、文学的な基礎のない私がその任でないことを痛感したことにもよりますが、霜川の作品世界の全体が見えて来てないことが大きいのです。
 5年後の歿後85年をひとつの目標に、微力を尽くしたいと思っています。ご寛恕とご支援をお願いするところです。
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by kaguragawa | 2014-01-01 18:23 | Trackback | Comments(2)