<   2013年 10月 ( 6 )   > この月の画像一覧   

“三尖塔校舎”―旧制・金沢第二中学校   

 「金沢くらしの博物館」。〔金沢市飛梅町3-31〕
 (旧制)金沢二中こと「石川県立金沢第二中学校校(*)」の校舎は、1948年から1970年までは、金沢市立紫錦台中学校の校舎として、後は「金沢市民俗文化財展示館」(1978)を経て「金沢くらしの博物館」(2007~)となっている。1899(明32)年建設の校舎“三尖塔校舎”は、石川県有形文化財。

 *石川県第二中学校(1899)→石川県立第二中学校(1901)→石川県立金沢第二中学校(1907~)

 堀田善衛が在籍したのは、1931(昭和6)年から1936(昭和11)年まで。

 「紫錦台(しきんだい)中学校」の名は、下掲の金沢二中校歌中の「紫錦が陵(にしきがおか) 」によるという。
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 金沢二中校歌

加陽の巽 神秀の
元気凝りて重む所
尖塔碧き雲に入る
紫錦が陵の学窓に
集ふ健児は七百人
翳す剛健質実の
旗章に梅の操あり

  作歌 川角捨兵衛
  作曲 大西安世




 なお、金沢二中は、1963(昭38)年、「石川県立金沢錦丘高等学校」が後継高となった。2004年(平16)年、「石川県立金沢錦丘中学校」の新設に伴い併設型中高一貫校となっている。
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by kaguragawa | 2013-10-27 22:29 | Trackback | Comments(0)

藤子・F・不二雄の定塚町4丁目   

 NHK「プロッフェショナル 仕事の流儀」 ドラエもん生みの親、藤子・F・不二雄。

 そういえば、藤子・F・不二雄(藤本弘氏)の生地・高岡の住居跡の一つとしてよく紹介される「定塚町4丁目」(旧町名)が記されている地図がどこかにあったはず、と思って探しだしました。〔左下のあたりに赤文字で「四丁目」が読めます。〕
 旧北陸道に沿って定塚町(じょうづかまち)は一丁目、(右折)二丁目~五丁目とつらなっています。
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 そういえば、3年前に書いた記事〔2010年02月20日〕の「追記」に,こう書いていました。

 「たとえば「藤子不二雄+定塚町」で検索すると、住居跡?の写真などいくつも見ることができ、どのサイトも(わりと新しい記事も)場所を「定塚町4丁目」としています。が、かなり前に、この辺りは丁目表示がなくなって――町内会組織としては旧丁目は生きているはずですが――現在地は、「定塚町6番●号」という住居表示となっています。
(余談ですが、実はこの辺りは幼少の頃遊んだことのある個人的に思い出のある土地です。)」

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by kaguragawa | 2013-10-21 23:52 | Trackback | Comments(0)

室崎信子さん   

 室崎信子さんが先月亡くなっておられたようだ。

 父・室崎琴月を偲んでまとめられた室崎信子編『この道一筋 五線紙と共にひたすら歩む 童謡「夕日」作曲者室崎琴月追想集』(1991.07)に多くのことを教えていただいた。

 ご冥福をお祈りしたい。
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by kaguragawa | 2013-10-20 08:55 | Trackback | Comments(0)

秋の冨岩運河環水公園   

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 左が、こうした環境とあいまって「世界一美しいスターバックス」として知られる――スターバックスの2008ストアデザイン賞最優秀賞――富山環水公園店。
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by kaguragawa | 2013-10-19 19:34 | Trackback | Comments(0)

有泉貞夫『星亨』(朝日評伝選)   

 「ブログ更新されていませんね。」の声。そう言えば、半月ほど新記事がありません。万々一、新記事を期待されている方がおられるとすれば、怠惰をお詫びするのみです。

 先週来、古い?本ですが有泉貞夫『星亨』(朝日評伝選/1983.3)をわくわくした気持ちで読んでいます。わくわくといっても内容柄そんなに血躍るという本では無論ないのですが、私にはなぜか無類におもしろいのです。
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by kaguragawa | 2013-10-13 18:58 | Trackback | Comments(0)

海波為めに鳴り、白鴎為めに舞ふ   

 今から100年前(1913〔大2〕年)の庄川改修工事にともなう伏木港築港工事の竣工式典の後の関係者のみの祝賀会での総務委員長(代理)のあいさつ文を紹介します。これを述べたのは《堀田善右衞門》、堀田善衞の祖父(累代でいうと曽祖父)にあたる善右衞門です。 

 本日を卜(ぼく)し茲に本築港竣成祝賀会を開催するは洵に欣喜に堪へざるなり。
 今や本港は各般の施設完備し海陸連絡の便一層顕著を加ひ、物資集散の度、年と共に増大するに至れる為め、本港民の享受する余慶も亦随て往旧の比にあらざるなり。是れ偏に本築港の完成は邦家交通上の一大進展たるのみならず、一面地方に於ける人文の啓発と、経済上の発展とを促進せし動機たりしに外ならざるなり。故を以て昨は当築港事業に努力せられたる官民諸氏を招請して賀式を挙行し、今又本港に関係浅からざる紳士諸君と共に此空前の盛式を行ふ。海波為めに鳴り、白鴎為めに舞ふ。衷心洵に喜ひの情に堪へざると同時に本港開発の貢献者たる藤井能三君の如き、既に物故して此歓を倶にすること能はざるは頗る遺憾とする所なりと雖も、君の遺蹟は永く之を伝ひて本港の発展に資するや疑はず。
 惟ふに本港の前途は実に洋々たるものあると共に、此海陸の要衝に当れる本港民の責務も亦決して軽しとせず。希くは、本港の利用開発に尽されんことを一言希望を述べて式辞とす。


 工事の竣工は1912年でしたが、式典は明治天皇の崩御があり翌年の1913年10月3日に行なわれたようです。本文中にあるように伏木港の近代化に尽くした藤井能三――善右衛門とほぼ同年のはず――もこの式典を目にすることなく、この年の4月20日にみまかっています。
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by kaguragawa | 2013-10-01 22:35 | Trackback | Comments(0)