<   2013年 09月 ( 15 )   > この月の画像一覧   

旧南嶋商行本店(現、牧田組本社)   

e0178600_14191972.jpg

 8月1日に紹介した南嶋間作の南嶋商行本店〔現:牧田組本社/富山県射水市庄西町1丁目〕

 下記は、牧田組のHP〔http://www.makita-gr.com/mg/〕から;

 牧田組の本社屋は、北前船時代から日本海側有数の海運業者であった南島商行の社屋を、第一次世界大戦後の不景気で大正11年に整理されたのを機会に、牧田與四郎が買い取ったものです。
 建築年は大正4年とも6年とも伝えられ、設計者は不詳です。高岡市にある富山銀行本店と同様、煉瓦造擬ルネサンス・スタイルです。真正の煉瓦造ではなく、木骨構造に煉瓦を貼ってあります。デザインとしては、基部をルスティカ風石貼とし、こげ茶色の煉瓦を貼りマンサード(腰折れ)屋根を架けています。建物角に積み込んだコーナーストーン、窓上下のまぐさ窓台など白御影石を貼った様式的装飾や、二階壁面上部に走る2本の白いパンドコースが全体的に切れのよい意匠となっています。玄関部は大正時代らしくモダンな表現で、正面屋根上のゲーブルの形も自由な扱いですが、全体的に様式としての要は押さえてあり、東京からイギリス人設計士を呼んだという伝えの信憑性を高めています。当時は「新湊のロンドン」と呼ばれていたそうです。

[PR]

by kaguragawa | 2013-09-28 14:18 | 街歩き/たてもの | Trackback | Comments(2)

赤田秀子さんの写真集『イーハトーブ・ガーデン』   

 宮澤賢治のことをいろいろ教えていただいている赤田秀子さんが写真集『イーハトーブ・ガーデン』を上梓された。

 遅ればせながら歿後80年になる賢治の命日(9.21)にちなんんで何か書こうと思っていたのに、ピッタシの話題でしたので、まだ見ぬ本ながら、届くのを待ちながら、紹介させていただくこととしました。
 赤田さんは『賢治鳥類学』(赤田秀子・杉浦嘉雄・中谷俊雄/1998.5/新曜社)以来の大ファン。賢治が自然に注いだ共感の眼差しを深くフォローされている方だけに、赤田さんのファインダーを通して自然を見る目にも暖かさと詩が宿っている。まだ見ぬ本ながら、多くの方にお勧めする次第なのです。

 赤田さんのこの本について、というより赤田さんの写真については、赤田さんのブログ「イーハトーブ・ガーデン――宮沢賢治の愛した鳥や植物」。
 http://nenemu8921.exblog.jp/20750816/

 赤田秀子写真集『イーハトーブ・ガーデン』(2013.9/コールサック社)

〔追記〕
 歿後80年にちなんで書いてみようと思った〔五・一五事件と賢治〕はいずれ。
[PR]

by kaguragawa | 2013-09-23 19:28 | Trackback | Comments(2)

佃島   

e0178600_93865.jpg
 正面が住吉神社。
 佃の渡しから住吉神社へのこの参道左側が、大正初頭、三島霜川が住んだかつての佃島3番地。

 霜川はここに住むことになる十年前、エッセイ「佃島の夕汐」(『文芸界』明治36年8月)を書いて佃島への想いを述べている。
[PR]

by kaguragawa | 2013-09-22 23:46 | Trackback | Comments(0)

糸瓜忌   

 正岡子規の命日、糸瓜忌。今日は中秋の名月。

 今朝起きて見ると、足の動かぬ事は前日と同じであるが、昨夜に限つて殆ど間断なく熟睡を得た為であるか、精神は非常に安穩であつた。顏はすこし南向きになつたまゝちつとも動かれぬ姿勢になつて居るのであるが、其儘にガラス障子の外を静かに眺めた。時は六時を過ぎた位であるが、ぼんやりと曇つた空は少しの風も無い甚だ静かな景色である。窓の前に一間半の高さにかけた竹の棚には葭簀よしずが三枚許り載せてあつて、其東側から登りかけて居る糸瓜は十本程のやつが皆瘠せてしまうて、まだ棚の上迄は得取りつかずに居る。花も二三輪しか咲いてゐない。正面には女郎花が一番高く咲いて、鷄頭は其よりも少し低く五六本散らばつて居る。秋海棠は尚衰へずに其梢を見せて居る。余は病気になつて以来今朝程安らかな頭を持て静かに此庭を眺めた事は無い。嗽うがひをする。虚子と話をする。南向ふの家には尋常二年生位な声で本の復習を始めたやうである。やがて納豆売が来た。余の家の南側は小路にはなつて居るが、もと加賀の別邸内であるので此小路も行きどまりであるところから、豆腐売りでさへ此裏路へ来る事は極て少ないのである。それで偶珍らしい飲食商人が這入つて来ると、余は奨励の為にそれを買ふてやり度くなる。今朝は珍しく納豆売りが来たので、邸内の人はあちらからもこちらからも納豆を買ふて居る声が聞える。余も其を食ひ度いといふのでは無いが少し買はせた。虚子と共に須磨に居た朝の事などを話しながら外を眺めて居ると、たまに露でも落ちたかと思ふやうに、糸瓜の葉が一枚二枚だけひらひらと動く。其度に秋の涼しさは膚に浸み込む様に思ふて何ともいへぬよい心持であつた。何だか苦痛極つて暫く病気を感じ無いやうなのも不思議に思はれたので、文章に書いて見度くなつて余は口で綴る、虚子に頼んで其を記してもらうた。筆記し了へた処へ母が来て、ソツプは来て居るのぞ(な)といふた。

 子規の最後の文章――口で綴った文章――「九月十四日の朝」から。
[PR]

by kaguragawa | 2013-09-19 23:12 | Trackback | Comments(0)

一過というけれど   

e0178600_229581.jpg
 颱風一過の立山連峰。さわやかというより冷んやりとした朝の秋気に気持ちが引き締まる。
 が、泥水と暴風に襲われた地は如何ならむ。
 牧水忌。
[PR]

by kaguragawa | 2013-09-17 22:09 | Trackback | Comments(0)

“那でし子を 夜半の嵐にた折られて”   

 「宗一(八才)ハ、再渡日中、東京大震災ノサイ、大正十二(一九二三)年九月十六日夜、大杉栄 野枝ト共ニ犬共ニ虐殺サル Build at 12th 4. 1927 by S. Tachibana 那でし子を 夜半の嵐にた折られて あやめもわか奴 毛のとなり希里 橘惣三郎」

 大杉栄と伊藤野枝と大杉栄の妹の子である橘宗一の3人は、関東大震災後の9月16日に憲兵隊に虐殺された。すでに86年が過ぎた現在、その事実を知っている人はどれほどいるのだろうか。何となく聞いたことがある、という程度の人が多いのかもしれない。佐野眞一氏の『甘糟正彦 乱心の曠野』を読んだ人は、あの事件の凄惨さを思い知らされて、暗然としたのではないか。

 当時数えで8歳、満6歳にすぎなかった橘宗一は、大杉栄の妹あやめの長男で一人っ子だった。その子が、たまたま大杉と伊藤野枝と一緒にいたというだけで、大杉の子供と間違えられて、命を奪われたのだ。大杉の子なら殺せ、みんな殺してしまえ、という発想もおぞましいが……。


 以上、4年前(2009)9月15日の黒岩比佐子さんのブログから。
 http://blog.livedoor.jp/hisako9618/archives/2009-09-15.html

 「大杉栄と伊藤野枝と大杉栄の妹の子である橘宗一の3人は、関東大震災後の9月16日に憲兵隊に虐殺され」てから、明日ですでに90年。忘れてはいけないことが、忘れてはいけない日がある。
[PR]

by kaguragawa | 2013-09-15 19:57 | Trackback | Comments(0)

言いたい事と言わねばならない事   

 桐生悠々。彼も9月に亡くなった私の導師である。アメリカを相手にしたなんの見通しもない戦争に突き進む3か月前、彼の葬儀の場にまで官憲が踏み込んだエピソードは決して忘れてはならない歴史の一瞬だ。


 人動(やや)もすれば、私を以て、言いたいことを言うから、結局、幸福だとする。だが、私は、この場合、言いたい事と、言わねばならない事とを区別しなければと思う。
 私は言いたいことを言っているのではない。徒(いたずら)に言いたいことを言って、快を貪っているのではない。言わねばならぬことを、国民として、特に、この非常に際して、しかも国家の将来に対して、真正なる愛国社の一人として、同時に人類として言わねばならぬことを言っているのだ。
 言いたいことを、出放題に言っていれば、愉快に相違ない。だが、言わねばならぬことを言うのは、愉快ではなく、苦痛である。何故なら言いたいことを言うのは、権利の行使であるに反して、言わねばならぬ事を言うのは、義務の履行だからである。もっとも義務を履行したいという自意識は愉快であるに相違ないが、この愉快は消極的の愉快であって、普通の愉快さではない。


 『他山の石』発行満二周年によせて書かれた文章(『他山の石』昭和十一年六月五日)から

   *桐生悠々  1873.05.20~1941.09.10
[PR]

by kaguragawa | 2013-09-12 23:08 | Trackback | Comments(0)

オリンピック報導   

 NHKはじめどの報道機関も、オリンピック・パラリンピックの日本開催を、自分たちがその主催者であるかのような慶び報道で飾っている。
 私の考えが変なのかな?と思えてくるのですが、これはどう考えても「報道」ではないですね。

 国内にはそれぞれの理由を持ち、オリンピック・パラリンピックの日本開催に反対している人も多くいる。なにか巨大な力――一つの方向の価値観――が、そうした反対意見の居場所を力づくで奪っているような気がしてならない。
[PR]

by kaguragawa | 2013-09-10 21:42 | Trackback | Comments(4)

自分の覚えのための写真   

e0178600_2229955.jpg

[PR]

by kaguragawa | 2013-09-08 22:28 | Trackback | Comments(0)

谷口貴都さんの三回忌の日に   

 今日、三回忌を迎えられた谷口貴都さんの未完の遺稿となった「磯部四郎とその法律学――近代法学黎明期を歩んだ人々――」から、その稿のテーマについて語られている部分を写しておきます。

 本稿はこれら明法寮で学んだ人々、中でも磯部四郎、栗塚省吾、加太邦憲、井上正一、宮城浩蔵らの生き方を通して我国における近代法学の形成をたどることを目的としている。彼らは明法寮でブスケ、ボアソナードから法学を学んだ後、フランスに留学して本格的に法学、政治、経済等の近代的学問を学び取り、帰国後はそれを礎に日本の近代化に尽力した人々であった。これらの人々はこれまで講学で取り上げられることが少なかったが、日本の近代法学黎明期を築いた人々として忘れてはならない存在である。

 大きな意気込みをもって勤務先の大学紀要に書きはじめられた「近代法学黎明期を歩んだ人々」の像は、描き終わられることはありませんでした。きっと谷口貴都さんの遺志を継いでこうした若き志の明治人の正姿をかっちりと掘り起こし提示してくださる研究者の方が出てこられること期待大です。
[PR]

by kaguragawa | 2013-09-07 23:40 | Trackback | Comments(7)