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《三仏川 》   

e0178600_2075793.jpg 4月25日の記事に書いた「三仏川」の流路を歩いてみました。
 思った通りほとんどが暗渠化されているようですが山王さん(日枝神社)の境内社あらか神社の本殿裏を北流するるところが地上に?姿を現わしていました。

 ちなみに「あらか神社」、社号標の“あら”の字はnet上では漢字表記できません(普通には「麁香」の字があてられています)ので、写真をご覧ください。
 ご祭神〔手置帆負神〕〔彦狭知神〕についてもとても興味がありますが――『古語拾遺』の世界です――、割愛。
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〔追記〕 この「三仏川」が、「足洗川」の名前でも呼ばれていることを知りました。確信をもてないので書くのを控えていましたが、「足洗川」の名称からして、この小流れが幾つかの意味で《境川》の性格をもっていること、ほぼ確かだと思います。さらにそのことが城下町・富山の形成を解く鍵にもなるであろうこと、等々、もう少し掘り起こしてみたいと思うのですが、残念ながらこの余興はいまの私には手に負えそうにありません。
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by kaguragawa | 2013-04-27 20:12 | 街歩き/たてもの | Trackback | Comments(0)

「霜川」はお休みですか?   

 「かぐら川さん、ここんとこ、「霜川」はお休みですか?」――と、お尋ねの声が聞こえてきた。

 まあ、開店休業ではない、表向きは閉店、裏で活業?なのです。というのが実態に近いかと思います。

 そんな折、思いがけないところから“霜川つながり”が“二人”顔を出してくれました。
 
 一人がやってきたのは、実物を見てないのですが、岩波文庫3月の新刊『かくれんぼ・毒の園 他五篇』(ソログープ作・中山省三郎,昇曙夢訳 )から。
 これがなぜ霜川つながりなのか。ソログープ、ソログ―プ――。謎ときは、この文庫を手にとった際に。

 もう一つは、《小沢助左衛門》――。今このブログを調べたら、《霜川の“老友”小沢助左衛門とは(1)》という稿を2年前に書いていましたが、この正体不明の「小沢助左衛門」を探す手がかりが思いがけないところで見つかったのです。が、これも手がかりが見つかっただけの話です。
 といっても、このてがかり情報自体がおもしろいもので、この部分だけを、近いうちに《霜川の“老友”小沢助左衛門とは(2)》として紹介したいと考えています。

 では。
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by kaguragawa | 2013-04-23 23:55 | Trackback | Comments(0)

高岡駅前の桜馬場のサクラ   

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 一昨年の記事「桜馬場のサクラ事情」(2010.04.03)に勝さんからコメントをいただいて、寒の戻り?(葉桜寒という言葉もあるよし)のなか、高岡の桜馬場に、コシノヒガンが散った後に今満開に近い八重桜を見に行ってきました。
(高岡のサクラに関する旧記事は、この記事下の「高岡」というtagをクリックしていただくと見ることができます。)

 写真を撮っていますと通りがかった老婦人(おばあちゃん)が、「ほんまにきれいやね。あっちの桜散ったら、ちゃーんとこっちのが咲くがやちゃね。」と声を掛けてくださいました。「この桜、なんちゅう名かね?」と聞いてみましたが、案の定「なーん、知らんわえ。」とのこと。

 この八重のサクラ(里桜)が、カンザン(関山)なのかフゲンゾウ(普賢象)なのか、じゅうぶんな知識のない私にはわかりません、それほど花色が濃くないところを見るとフゲンゾウのようにも思えるのですがいくつかの特徴はカンザンのそれのようにも見えます。
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 どななかこの二種の里桜の決定的な差異、その見分けけ方をご存じでしたら、教えてくださるとうれしいのですが。
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by kaguragawa | 2013-04-20 20:23 | 樹と花/植物誌 | Trackback | Comments(0)

富山市街を流れていた「三仏川」   

 富山市内の古い地図を見ていると、市街地南東部の中野と梅沢町の間を北流し、屈曲しながら日枝神社の東横を通り、一番町に抜けていく小流れが確認できます。が、現在の市街図には同じ位置に水路は記されていませんから、大幅に水路が変えられたのか、暗渠化されたのか。いずれ、地図を片手に現地を歩いて見たいと思っています。

 その思いは変わっていないのですが、きょう『五番町地区郷土史』という本を見ていましたら、なんとその流れに「三仏川」という名がつけられているのです!!。

 〔みほとけがわ〕なのが〔さんぶつがわ〕なのか、はたまたその名の由来は。。。と、消えた川にさまざまな思いがふつふつと起こってきます。

 芋田川→→四ツ谷川のことも気になっています。

 富山の町の街歩き。これからの愉しみです。
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by kaguragawa | 2013-04-20 20:15 | Trackback | Comments(0)

かたかごの花   

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e0178600_21562225.jpg宇奈月の道路わき
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by kaguragawa | 2013-04-16 20:51 | 樹と花/植物誌 | Trackback | Comments(0)

富山市内の旧北陸道(愛宕地内) (2)   

 帰宅してから、今日歩いた道筋を現在地図でフォローしていて、あまりの驚きに一瞬、大袈裟でなく茫然自失の感にとらわれました。地図と照合するまで気づかなかったというのもあまりに間の抜けた話ですが、昨年7月取り壊される直前の煙突を撮影にいった立山醤油の工場跡地一帯が、まるまる分譲住宅地になっているのです。この煙突を撮るために上った神通川の土手のほぼ同じ位置から撮った写真がこれです。
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 写真左手にその一部が見えている造成区画のところに立山醤油の事務所があり、そこに富山大空襲を生き延びた煉瓦造りの煙突があったのです!!!。e0178600_22302027.jpg
http://kaguragawa.exblog.jp/18369756/
 今どき街中によくもこんな広い分譲用地があったもんだなと、ちょっと驚いてもいたのですが、工場の跡地ですからそれなりの広さがあって当然です。どうして気がつかなかったのでしょうか。

 この写真正面(東側)の道を旧北陸道の一部だと知らずにいたことも、うかつでしたが、9か月前に訪れた土地がいくら環境が変わったとはいえ、見分けがつかなかったとはあまりにも、うかつと言うより愚鈍の一語に尽きます。

 9か月前、煙突の写真をとりながら辺りをうろうろしていたとき、工場の事務所からにらんでいた人はその事務所と共に歴史のかなたに消えてしまったのでしょうか・・・
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 (2012年7月14日撮影 工場事務所棟の向うに煙突が見えています。)
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by kaguragawa | 2013-04-13 21:56 | 街歩き/たてもの | Trackback | Comments(0)

富山市内の旧北陸道(愛宕地内)   

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 きょうは天気もよかったので、急に思いついての街歩き。富山市内の旧北陸道(愛宕地内)を、少し歩いてみました。

 舟橋(写真左側:南))からきた道は、ここで西(奥側)に向きを変える。正面の道筋は手伝町(てったいまち/現:安田町)。
 普通の道のように見えるが街道らしい雰囲気は残している。奥の方で少し左にカーブしているが、その辺りで左に古社・愛宕神社が鎮座し、右にお蔵道を分岐していた。
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by kaguragawa | 2013-04-13 20:13 | Trackback | Comments(0)

春祭り   

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by kaguragawa | 2013-04-13 08:21 | Trackback | Comments(0)

明日、4月13日の・・・   

 明日は、石川啄木の命日。昨年が歿後100年だったが、今年もまだ余波があるようで、うれしいことだ。が、啄木だけではなくこのブログでふれさせていただいた気になる方が、なぜかたくさん明日〔4月13日〕に、亡くなっておられるのだ。

 なんと二人の新平さん――江藤新平[1874] と後藤新平〔1929〕。異色の作家と経済学者――齋藤緑雨〔1904〕、 田口卯吉〔1905〕。

 正直なところ少し疲れ気味の今日は、説明をはぶかせていただいて、あらためていずれご登場いただきたいと思っている高木兼寛氏と〔1920〕と島崎赤太郎氏〔1933〕。
 高木兼寛が慈恵会医科大学の原点となる「成医会講習所」を設立した京橋区鎗屋町11番地は、一時北隆館のあった同町の13・14番地のすぐ近くだ。(この地で、富山出身の福田金次郎の北隆館は、雑誌『少国民』を発行していたはずだし、のちに北隆館の財産となる牧野富太郎の植物図鑑を出したのもこの鎗屋町時代ではなかっただろうか。)
 島崎赤太郎は今年が、歿後80年だ。

 それぞれの方について書かれた印象的な本がよみがえってきます。

〔追記:1〕
 前項の「竹内紅蓮」は、北隆館―鳴皐書院時代の『少国民』の主筆であったのだ。

〔追記:2〕
 なんと、島崎赤太郎を検索すると、4年前に黒岩比佐子さんのブログに、恥ずかしげもなく遠慮もなく書いた、、私のコメントがひっかかってきました。的はずれなコメントにも、いつも寛大な心でコメントを返してくださった黒岩さんを想い、頭のさがる思いがします。
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by kaguragawa | 2013-04-12 23:33 | Trackback | Comments(0)

「竹内紅蓮って、ご存じですか?」(1-1)   

 いつのことだったか、netで検索をしていて「琴月と冷光の時代」というブログを見つけた。ブログといっても、私のそれのように、思いつきを漫然と書きつらねているものとは違い、そのタイトルにそった論考が整序されたかたちで、折々アップされているホームページに近いものであった。
 ※琴月とは富山の生んだ音楽家・室崎琴月であり、冷光とは富山の生んだ童話作家・大井冷光である。

 私は、大井冷光についてはほとんど知るところがないのだが、室崎琴月については少し興味を惹かれることがあってこのブログでも何回かその名を書いた。琴月は、今では、“ぎんぎんぎらぎら夕日がしずむ”という歌詞で知られる童謡「夕日」の作曲者としてわずかに知られる程度だが、彼の活動は童謡一曲に尽きないのではないかとの思いがあったためである。彼の音楽活動を追うことによって、今まで知られていない中央の音楽界の動向の一端や、富山の音楽界についても新しい知見が得られるのではないか・・・と思ったのである。
 「琴月と冷光の時代」は、――筆者名が書かれていないので、冷光の頭文字をとってここでは「Rさん」とするが、――今まで語られることのなかった琴月と冷光の接点を探り出し、そこから稿を起こして、ていねいに資料を掘り起こしながら琴月や冷光の実像に近いものを描こうとしているのである。

 興味のある方は、「琴月と冷光の時代」をお読みいただくに限るので、ここでは紹介にとどめるのですが、最新稿に「竹内紅蓮」について大事な記述があったので、ここではそのことを取りあげたいと思うのです。このブログ「琴月と冷光の時代」の筆者「Rさん」と連絡がとれた際、最初に聞かれたことが“竹内紅蓮って、ご存じですか?――”ということだったのであり、Rさん自身調べられた「竹内紅蓮」の中間報告が数日前の最新稿に書かれているからである。
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by kaguragawa | 2013-04-09 18:27 | Trackback | Comments(0)