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ちょっとメモ:私の北海道月間   

 私的なことながら今月を、“北海道月間”にしようと決めたのですが――といっても決めたのが月も半ば過ぎのことだったのですが――うれしいことに、北海道から“日本ハムファイターズ快勝”のニュースが聞こえてきました。

 国木田独歩の「空知川の岸辺」のフォローも不十分ながらできましたし、三島霜川の「石狩国大洪水横断記」もコピーを入手できました。安田善次郎の北海道とのいくつかの面での関わりもある程度正確に把握できました。e0178600_2321127.jpg私の趣味の野川紀行の点では、古地図で札幌市内を流れる伏籠川の蛇行する様子も確認できました。この伏籠川の左岸に橘智恵子さんの生まれた橘仁さんの家があったのだ。
(右の地図の蛇行する伏籠川の傍、元村街道(花畔札幌線)に沿って――「元」の字の左上に――橘仁の名が見える。)

 2日続いて書いた鬼籍情報も今日もつづろうと思ったら、尾崎紅葉から木下順二さんまで、平福百穗、野尻抱影というユニークな人もふくめ、多くの私の親しんだ人の多くがこの10月30日に亡くなっていることがわかり、ちょっと驚いたことでした。

〔注〕
 上の地図、いろいろ検索していたときに偶然見つけたものですが、地図を掲載されていたブログのアドレスをメモし忘れてしまいました。というわけでどういう地図の一部なのかも不明です。無断で使用させていただきましたが、ご了承ください。もし何かの情報お持ちの方はお知らせください。
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by kaguragawa | 2012-10-30 23:06 | Trackback | Comments(0)

100年前のある文学青年の自死   

 『安野の死に方は面白いですよ。僕は、書く。ム、きっと書く。』(霜川の伝える藤澤清造の言)

 西村賢太氏の書かれたものに拠ると、今日が、『根津権現裏』に縊死した人物として描かれている藤澤清造の同郷の友人・安野助多郎の亡くなった日であるという。1912年10月29日のことというから、ちょうど100年前のこととなる。
 この安野が同県の縁で徳田秋声のところに出入りしていて三島霜川とも顔見知りで、そんなことから安野がつれてきた藤澤清造を、秋声の後押しもあり、霜川が演芸画報社に紹介することになったようだ。安野の死の10年後に、藤澤清造は岡田の名でこの盟友を『根津権現裏』に刻み、その10年後に藤澤がこの世から姿を消した。
 霜川が書いているところによると、こういうことになる。

 (藤澤清造を)初めて私のところへ連れてきたのは、安野という文学志望の人だった。よく徳田君のところへやって来たので、それで私とも懇意になったのだが・・・・。
 その後、私と藤澤君とは、関係がだんだん深くなって、ひと頃、机をならべて一緒にこの画報の仕事をするようになった。その頃、安野君は、つまらないことから気が変になって首をつって、悲惨な死に方をした。
 『安野の死に方は面白いですよ。僕は、書く。ム、きっと書く。』と云って、藤澤君は、ある興奮に悲痛な顔をして、「安野の死」のいきさつを話したことが二度や三度でなかった。安野君のことは、彼の作「根津権現裏」に、相当委しく出ているが、私は、その安野君と藤澤君を結びつけてみて、そこに何か不可解な因縁があるように思われてならない。


 藤澤清造は西村氏によってその名が少し知られるようになったが、藤澤を文壇にもたらした安野助多郎についてはどこまでその境涯が明かにされているのだろうか。私も霜川と関わりをもった安野助多郎のことを少しでも知りたいと思うが、未だ何も調べ得ないでいる。どこかに安野の生の掘り起こしや作品の発掘をなさっている方もおられるような気がする。いずれそうした成果とも出会えることを楽しみにして、この知られざる文学青年の100年前の死に思いを致したい。

〔追記〕
 藤澤清造の生地・七尾市の一本杉通り振興会のHPによると;
《安野だが、彼は金沢生まれで、若い頃は兄と一緒に七尾へ移住し兄は馬出町で理髪業をやり、弟は裁判所の給仕などをやっていた。藤沢とはその時知り合ったようだ。安野は上京後、弁護士の事務員書生などやっていた。》という。 〔http://ipponsugi.org/2010/02/post-106.html〕
 私たちは藤澤の『根津権現裏』で、この助多郎の兄の繰り返される独特の語り口の金沢ことばにいやおうなくつきあわされることになる。
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by kaguragawa | 2012-10-29 20:17 | Trackback | Comments(0)

正宗白鳥逝って50年   

 気がついたら今日は正宗白鳥の歿後50年にあたる日である。残念なことに、白鳥の作品は“読んだ”と言える実感の伴うものがない。にもかかわらず白鳥の晩年に住んでいた洗足池の高台にある家跡(まだここに正宗家はある)を訪ねたりしたのも霜川ゆえではある。

 この正宗白鳥が、石川啄木と少なからざる交流があったといえば、ちょっと奇異に思われる人があるかもしれません。私の知る限りそうしたことを書き連ねようとも思いましたが、時間もないので啄木が盛岡時代に企画発行した文芸雑誌『小天地』(明治38年9月)に、白鳥が書いた「評論一則」から一節だけを(いかにも白鳥らしい一節を)書き写しておきたいと思います。20代半ばの白鳥の読売新聞記者時代のものです。(白鳥さんの渋い顔を思い浮かべながらも、読みやすいように、少し用字をあらためました。)

 “吾人もとよりダンテの想像力の豊富を認め、名文句を綴るの人たるを知れど、彼を神の如く完全無欠なるとするの不道理なるを思う。一体キリスト教も東洋人の目にて観察すると、笑うべき点が少なくないが、洋人の文豪崇拝も同様の感じがする。それをそのまま丸呑みして、信仰するのは、日本の古式のキリスト教徒が西洋の教理信仰箇条に盲従する愚かさと同様である。” 

 今年は啄木の歿後100年で、白鳥の歿後50年だと言うことは、7歳年長の白鳥が啄木より50年長生きしたことになる。啄木の明治に加えて、戦後に及ぶ大正、昭和の半世紀が白鳥のnüchternな評論の前に横たわっていたことになる。

 正宗白鳥  1879.03.03~1962.10.28
 石川啄木  1886.02.20~1912.04.13
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by kaguragawa | 2012-10-28 18:26 | Trackback | Comments(2)

「誤認逮捕」と「謝罪」(2)   

 パソコンの遠隔操作による犯罪予告事件のそれぞれの態様を充分に把握していなかったのですが、神奈川県警=横浜地方検察庁のケースは、すでに少年法にもとづく家庭裁判所の審判も終わって、19歳の大学生は保護観察処分に処せられていると言う。

 このケースは、神奈川県警が自白を誘導した可能性も高く、それ自体、客観的な目でていねいな検証がおこなわれる必要があることは言うまでもないが、ここでの論題にもどせば、家裁での保護処分の「取り消し」の行方と、そうした形式的手続きで償い得ない部分をどうケアしていくのかも、私たちは忘れることなく見守っていかなければいけないのではないか。
 折々、この問題についても書いていきたい。


〔追記〕
 警視庁=東京地方検察庁、三重県警=津地方検察庁のケースでは、東京、津両地検は23日、いずれも嫌疑なしで不起訴処分とした、とのことである。
 が、時事通信社の記事によると;
 “稲川龍也東京地検次席検事は「違法な逮捕、勾留だったとは思っていない。22日に担当検事が電話で、男性に遺憾の意を伝えた」と説明。また、作原大成津地検次席検事は「男性のパソコンが真犯人により操作された可能性が濃厚と判断した。地検として謝罪する予定はない」とした。”
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by kaguragawa | 2012-10-23 20:07 | Trackback | Comments(0)

「誤認逮捕」と「謝罪」(1)   

 「誤認逮捕」ということばが頻繁に使われている。が、これは刑事訴訟法上の用語でもなければ、報道機関においても厳密な定義にもとづいて使用しているようにも思われない。刑事手続きのことをきちんと調べずに、冤罪と同意語として使い、国の賠償責任までコメントしている人もいるようである。

 無実の人物が「起訴」された場合ですら原則として国家賠償法上の違法性を有しないというのが、判例である。つまり国は法律上の責任を問われないのである。「起訴」でさえ無責なら起訴に及ばない「逮捕」においては、国家賠償法など「問題外」というのが、おそらく警察・検察の考え方であろう。というわけで、今回のPCの遠隔操作事件の「誤認逮捕」で、4つの警察本部が「謝罪」を始めている。
 問題をこじらせずに、せいぜい、形式的に「被疑者補償規程」(法務省訓令)による金銭的な補償でけりをつけようというのであろうか。


 が、こんな法律論で納得する人はいまい。今回のPCの遠隔操作による犯罪予告事件について言えば、あまりにあまりに、捜査はずさんである。冤罪に至る道筋がこんなにも“あざやかに”我々の眼前で示されつつあることも、今回の事件の特徴である。

 厳密な議論が必要とされる問題に、私のような非論理的な脳は充分に対応できないが、事態の推移だけはきちんと見定めたい。

〔追記〕
 「被疑者補償規程」は、上に“法務省訓令”と注を付けておいたように、法律ではありません。形式的には法務省の内部規定です。この「補償」はあくまで法律上の責任を認め支払うものではないということです。この際、その条文に目を通しておきたいと思います。
http://www.kensatsu.go.jp/kanren_hourei/h_higisha.pdf

〔追記:10.23〕
 大阪府警=大阪地方検察庁のケースは、すでに起訴済みだったが、19日に、刑事訴訟法257条によって検察は公訴棄却の決定を申し立て、起訴取り消しがされている。神奈川県警=横浜地方検察庁の件は、別項(2)。
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by kaguragawa | 2012-10-21 20:00 | Trackback | Comments(0)

初回で、連載打ち切り?!   

 今朝、新聞を開いて驚いた。週刊朝日の橋下徹氏を取材した連載記事が掲載中止になったという。この連載記事、まだ読んでいない(佐野眞一氏の単独執筆なのか出版社との共同取材なのかもよくわからない)が、出版元の朝日新聞出版による自主規制ともいえる今回の事態は異常というほかない。

 出掛けで、新聞記事もよく読むゆとりがないが、連載中止の決定にいたる経緯を、「不適切」などという意味不明なことばを使わずに、朝日新聞出版は責任を以てあきらかにしてほしい、と考える。

〔追記〕
 朝日新聞を買って読んだが、週刊朝日編集長の話として「連載記事中に同和地区などに関する不適切な記述が複数あり」とあり、朝日新聞社広報部の話にも同一の“表現”が見られるが、まったく意味不明である。
 言論を武器とする人たちの言葉とも思われぬ「不適切」さである。連載中止に値するのは「不適切な記述」ではなく、「許されぬ記述」であろう。そこの判断を責任をもって明言すべきである。アキレス腱をねらわれあたふたするくらいなら、連載中止ではなくいっそのこと廃刊を考えたらどうか。
 週刊朝日と朝日新聞が、言論機関にふさわしい本格的な論説を展開することを心から期待する。
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by kaguragawa | 2012-10-20 07:45 | Trackback | Comments(0)

立ち入り調査   

 イタイイタイ病の原因企業である三井金属鉱業株式会社(現:神岡鉱業株式会社)への立ち入り調査がきょう、おこなわれました。

 1972年の被害者側勝訴となったイタイイタイ病控訴審判決後に結ばれた公害防止協定にもとづくもの。今年で41回目。40年の歳月は長く、41回の積み重ねが築いた成果は貴重である。
 が、足尾・渡良瀬川の鉱毒事件も、神岡・神通川の鉱毒事件〔イタイイタイ病〕も決して過去のできごとではない。

  かの天然を征服して余りに傲れる文明の進歩
  鬼の業か魔の業かわれ知らず
  奢侈はこゝに満ち、競争はこゝに踊り
  貧しきは泣く間、など富みたるは益々富めるは奈何

 自分なりに、こうしたことどもを振り返り整理してみたいと思う。
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by kaguragawa | 2012-10-14 19:22 | Trackback | Comments(4)

詩「鉱毒」(1)   

 うかつにも高橋山風の詩「鉱毒」がつくられた年月をきちんと確認していませんでした。気になって資料をひっくり返してみたら1900(明33)年の《1月》だというのです。
 足尾の鉱毒問題に関心のある方ならこの1900(明33)年の1月が沿岸住民が鉱毒被害を訴えるために行なった東京への第三回押し出しの直前の時期だと言うことに気づかれることと思います。
 そういう意味でもこの「鉱毒」という詩――130行にも及ぶ長詩です――は、もっともっと注目されてよいものだと思います。あらためて「第三回押し出し」「川俣事件」の検証をするためにも一級の資料の意味ももっているものと考えます。

 長い詩なので、二回にわけて掲載します。初出の『東京評論』の原文を今、確認できないので『足尾鉱毒惨状画報』(青年同志鉱毒調査会/1901.3)に再掲されたものを、さらに復刻した『足尾鉱毒亡国の惨状』(現代ジャーナリズム出版会/1977.10)掲載のものをもとにしましたが、私の判断でいくつか手を加えてあります。
 細かな点は措くとしても、この形ではルビがふれないのが致命的なのですが、この点はご諒解をいただきたいと思います。〔追記:部分的に照合できた限りでも『足尾鉱毒惨状画報』の形が、例えばルビのふりかたでも、『足尾鉱毒亡国の惨状』できちんと復刻されていないのが残念です。定稿の確定には、どうしても『東京評論』に遡る必要がありそうです。『東京評論』の原文を確認できた時点で、校訂した本文とともに書誌的なことがらも書き直したいと考えています。

(書誌的なことがらをもっとていねいに書きたいのですが長くなるのでここでは省きます。作者の高橋山風についてはあらためて少しは紹介できるかと思いますし、ぜひその機会をもちたいと思っています。)

〔追記:2012.10.14〕
 この詩の発表年次については、ある資料の記述を総合して私が想定したものですが、“世紀新まるも今日は明日の/昨日に過ぎず”の句が気になって、『東京評論』の書誌データを調べてみました。確とした資料は手元にないのですが、『東京評論』の第一号の発行は、1900(明33)の10月のようです。とすれば、この詩の『東京評論』掲載が1900年1月ということはありえません。きちんと調べがつくまで、判断は保留にしますが、“哀願の群集に交りてし/わが父は捕縛の身となれる、現”という詩句からしても、川俣事件の後に書かれたものと考えるのがよさそうです。
 いずれにせよ、『東京評論』にあたってみたいと思っています。
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by kaguragawa | 2012-10-12 22:38 | Trackback | Comments(0)

詩「鉱毒」(2)   

「鉱毒」
                  高橋山風

いまはとて捨てゝ行くなり
住み慣れし懐かしのふる里を
顧みがちに、顧み勝ちに
人目も草も枯れ果てゝ
一歩に涙 五歩に血の
道はたゞみる渦捲く鉱烟の地

祖先が伝へし鄙歌の
この地に絶えて茲に十年
五風十雨の天の恵みも
人の情も荒れ果てし田畑山林
荒廃の里や幾里
聖代の栄えも知らぬ野人は数十万

わが祖父の墳墓既に塵に埋れて
住居の垣も軒も傾く、夢
哀願の群集に交りてし
わが父は捕縛の身となれる、現
乳なき妻は物狂
飢死し嬰児の魂や何処

迷ひゆき狂ひゆきてし人に後れて
吾は今、惆悵として、遅々として
われを産み、われを育みし、懐かしの
ふる里に別れゆくなり
満目寂として宛らに常闇の冥界の如なる
ふる里に別れゆくなり

村を挙りて他し国へ
流離の人となりし友等も
住みなれし生れ故郷を去らむ悲哀
わが如や、手の舞ひ足の踏む術も無く
さこそは悶え苦しみけめよ

荒村よさらば
廃屋よさらば
さらばさらばと見返れば
行方は河添十数里
毒水寒く波を打つて人影も無き堤際
遊び歩きし童べの
忍ばるゝかな往にし面影

袂を払えば野禽血に咽び
裾かゝぐれば喪狗纏はる
ゆきがてに、たゝづみつゝも、哭きつゝも
指すや都の巷は遥か
杳々として雲もさまよふ無限の憂愁

請ふ、言問はむ都人
かの天然を征服して余りに傲れる文明の進歩
鬼の業か魔の業かわれ知らず
奢侈はこゝに満ち、競争はこゝに踊り
貧しきは泣く間、など富みたるは益々富めるは奈何

行く手里道を夾みまた県道に衝り
をとこをみなを基として
親子同胞麗はしくも
団欒せし小いさき社会は交々滅びて
可憐や、代々杵築あげてし村里の
美は壊たれぬ到る処

眼をめぐらせば山おろし
吹き来る方の一の人集や
朝宵鉱穴に務むる鉱夫等も
危き器械を握りつめては絶間なく
想ひは家族が上に走らむを

泰西の世にきく争闘の
かの利に敏き鉱主 あひ手どりては屡々も
労力の酬ひ貧しきを憤るとふを
さてしもあらぬ幸ありや
ありやあらずや他は知らじ

たださりげなき青山の下
平野の農夫を軽むじて
雨降り積る鉱山のあなた
うづまく鉱烟陰々朦々の裡
職務忙しき朝よひを
涙もおぼえず送れるや否
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by kaguragawa | 2012-10-12 22:37 | Trackback | Comments(0)

詩「鉱毒」(3)   

さらにも問はまほしきは四方の国人
おほくの世間も傍観のみして
集る教の堂塔の間
経文、香華もうはの空なる鐘の声
形式のみなる礼拝祈祷に
われ等が哭声聴き流さむとや

近つ代の政策 人の道を蔑して
英はさいなむ南阿人
米は虐ぐ太平洋上の土民
虚喝を事とす宗教家
虚栄を夢む哲学者
万国東大陸に罪悪を重ぬるも
これを掩へる詩人の虚句と画家の愚筆

人種の別ち無き世来らむと
そは類まれなるプラトンのたゞ美はしき夢なる歟
黄白相互に相凌ぐ今
優者の凱歌は劣者の悲調
大いなる悲劇演ずる東陸西陸を
まのあたりにも見聞くが如く
良民日毎離れ離れ、ああ散り散りに
行くを、走るを、倒るゝを見捨てたりな

世紀新まるも今日は明日の
昨日に過ぎず、限りなき空間
うつりゆく時間よ汝
いつの日にかは光明の
偉霊の壮美と個人の幸福もたらし来る
繰り返しまた繰り返す歴史の頁の
待ちあぐむまで数あるかな

迫害と、絶望と、落胆と
あゝ同情者なきわが儕輩
哭せざらむや、狂せざらむや
誠心籠めし老の一図に
さぶき牢獄につながるゝ身を
思へば他まで咀ふも浅間し或時は

われも窶れし身の影を
ゆくや流るゝ河水に写せばうつる物思ひ
さしも昔は清ふして里娘等が白布晒せし
流は絶えて魚も住まず
岸辺離離たる断草に破れて残る漁舟の骨
枯木を鳴して過ぐる風は白し

これも浮世の塵塚に
捨てし真鍬の柄は朽ち砕けて
祝儀、葬礼、婚礼、さては豊作秋祭りも
調度も是よりわきいでし
小作男が負ひけむ籠の半土の化りしに隣る

天も哀む愁雲の陣々もして
千里の悲風北山の霰吹き捲く声の波
鉱烟の波落し来て
こゝに道無し、光なくなく曇りし眼閉じて歩めば
ゆくへも知らず現世の理想も消ゆとこそ思へ

いまはとてすてゝ行くなり、顧みがちに
住み慣れし懐かしのふる里を、憫れなる小さき身
偉霊よ、汝の意志の顕現の
おぼろかならぬ証しには
とくも正しき人々の
声伝えてよ人々の、胸裡へ耳底へ

親同胞に離れ友に別れし独身の
あゆみ悩みて眺めいるや田圃の風物
情なき身やわが心 木にもあらず
涙なき世かひと心 石にもあらじ
大声挙ぐれば億万里外の天もこそ聞け
憂身を赤土に投げて燃ゆる真心
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by kaguragawa | 2012-10-12 22:36 | Trackback | Comments(0)