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三島霜川の“誕生日”   

 今日7月30日は、三島霜川(本名才二)の戸籍上の誕生日。 「戸籍上」とことわるのは、別の日も誕生日として、挙げられているからである。
 霜川自身が子供たちに自分はお釈迦さまと同じ日〔4月8日〕に生まれたというようなことを言っていたとのことで、昨年の徳田秋声記念館での霜川展のガイドペーパーでも――諸説を紹介しながらも「略年譜」では――“4月8日、旧越中国砺波郡下麻生村(現富山県高岡市下麻生)字八王子地内九十二番屋敷(686番地)に生まれる(戸籍では7月30日生と)。”と、4月8日説をメインにしているのである。

 しかし、これも伝聞に過ぎないわけで、まして霜川自身が“自分の体験として”自分の生まれた日を記憶していたわけではなかろうから、私としては、年譜上は7月30日を誕生日とし、4月8日を重要な異説として位置づけるのが筋なのではないかと考えるのだが、いかなるものだろうか。e0178600_18443029.jpg 
 実際は、7月30日でもなく、4月8日でもない別の日が実際の誕生日である可能性も残されているのである。

 いずれにせよ、現時点でこの日時の特定は困難であろうし、そのことをここで議論することにあまり意味はないだろう。 わたしとしては、可能性は少ないとはいえ新資料の出現を期待する一方、霜川が自らを“お釈迦さまと一緒”と語った意味を――断片ながら伝えられる彼の仏教観をふまえて――問い直してみるのもおもしろいのではないかと・・・・、 霜川ゆかりの日に思料するのです。

〔追記〕
 霜川の戸籍上誕生日とされている今日、《「三島霜川誕生地」の碑》を訪ねました。この碑(裏面)に刻まれた記録も霜川の生誕を「作家三島霜川才二先生 明治九年四月八日生」としています。(上掲写真参照)

 生誕地の木碑を石碑に建て替えたのを記念して発行された「三島霜川とその生涯」(中田町文化会発行/1964.8.21))に次のように述べられている。
 “霜川の誕生については、四月説と七月説がある。
 四月説は、自分は御釈迦様と誕生日と一緒だといっていた。本人が子供たちによく言っていたもの。(長女の話)
 七月説は、中田町役場除籍簿によるものだが、昔の戸籍簿には出生届が厳格でないため、月日に相違のあるものがある。よって四月八日説が確かである。”

 なお、上掲書によるとこの裏面は「下麻生 古川正雄 書」
 

 余談ですが、写真を何枚か撮った後、暗転しボツボツと「大粒」の雨が降り始め、文字通りのゲリラ豪雨に見舞われました。ところで、買い換えた携帯電話のカメラはなかなか良いもののようです。
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by kaguragawa | 2011-07-30 18:40 | Trackback | Comments(2)

終わろうとする7月に   

 気がついたら一か月が過ぎていました。多忙にもかかわらず空疎(多忙ゆえに空疎な)なひと月が目の前を横切って行ったという感じがしています。
 個人的見解を「記者会見」を開いてまで開陳するという“距離感”の欠如した総理大臣をもつ以上、人災の根は腐臭をはなって広がるだけ。

 そうした7月でしたが、このブログには書いてありませんが、7月2日に岸(竹久)他万喜――竹久夢二の最初の妻・たまき――の墓を富山市の真国寺(長岡墓地)に探し、たまきの命日の7月9日に、あらためて墓参ができたことはうれしいことでした。

〔小報告〕 
 三島霜川と野口雨情の交流はいつから始まり、どのようなものであったか・・・。ずっと気になっていたのですが手がかりが無いと思っていたのですが、きのう、ヒントを水守亀之助の書いたもののなかに見つけました。
 仮説ですが、霜川と雨情の出逢いは、1907(明40)年の春ではないかと考えるにいたっています。
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by kaguragawa | 2011-07-29 23:37 | メモ ひとこと | Trackback | Comments(0)

ちょっとメモ   

 ある方のお通夜の帰り、車中でバッハのカンタータの第40番を聞く。バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)演奏のバッハ世界の豊かさに感嘆しながら、BCJのバッハ・カンタータ全曲を聞けたらなぁと思う。

 細かな報告がたくさんあるのですが、もう少し枝葉をつけて・・・。

 カンナオトとという人が総理大臣として有能なのか否か、不明である。それにしても、国民の多くがNO!をつきつけているのに、その職をやめさせることができないとは、政治とは時間のかかるものだ。
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by kaguragawa | 2011-07-27 23:57 | Trackback | Comments(2)

『宮澤賢治――雨ニモマケズという祈り』   

 『宮澤賢治――雨ニモマケズという祈り』(重松清・澤口たまみ・小松健一/新潮社/2011.7)

 最近、賢治の「雨ニモマケズ・・・」という詩文に接して、賢治の“希求”を思ったものですが、この本であらためて賢治を語ろうとした人々は、この詩に、賢治の生に、“祈り”を読みとっています。

 もしかして既刊本のごてごての賢治像になれた人々には少しものたりなくうつるかも知れない、とおせっかいな危惧もいだきますが、私には少し特異な小松健一さんのフォトともあいまって今までの賢治像から自由なナチュラリストを見つけてうれしく思いました。

 著者の澤口たまみさんにお送りしたメッセージを再録しておきます。
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 “ごぶさたしています。今日、店頭で見つけさっそく買ってさっそくページを繰りました。感想はあらためて・・・と思いますが、著者の賢治像を押しつけがちな――それが著者の意図ではないにせよ――賢治本が多い――なかで、かざらない賢治に逢えるような気がする本でした。「自然から紡いだ言葉たち」は澤口さんならでは切り口が新鮮で、小松さんの全巻にわたるこれも自由なイメージのフォトと一体になっておだやかにほほえむ賢治を想いました。巻をおいて、「雨ニモマケズという祈り」、このサブテーマが三陸鉄道島越駅にぽつんと残された詩碑や甲斐の山々とも静かに響いてきました。”

 賢治の絶筆となった短歌二首を大きな版で紹介していただいたことは感謝にたえません。
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by kaguragawa | 2011-07-23 15:41 | 本/映画 | Trackback | Comments(0)

徳冨健次郎『謀叛論』   

 やっと、というか、偶然にというか、徳冨健次郎『謀叛論』(岩波文庫)を入手。

 1911(明治44)年の、「大逆事件」の、現在に潜在しつづけているメッセージを、
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by kaguragawa | 2011-07-19 23:47 | Trackback | Comments(0)

Ein blaues Wunder   

 現地フランクフルトの新聞に、《Ein blaues Wunder》というタイトルでなでしこジャパンのワールドカップ優勝の記事を見つけました。まさに「青の奇跡」です。
http://www.fr-online.de/sport/frauen-fussball-wm-2011/ein-blaues-wunder/-/8487620/8682704/-/

 記事の一部を、コピーしておきます。時間のある時に、辞書を引っぱりだして読んでみようか。

Japan hat den Pokal aus der Hand von Steffi Jones abgestaubt: Weil das US-Team im WM-Finale beste Chancen auslässt, holt sich Japan nach dramatischer Verlängerung im Elfmeterschießen den Titel der Frauen-Fußball-WM.

Die packende Partie war an Dramatik kaum zu überbieten. Nachdem die amerikanische Ausnahmestürmerin Abby Wambach das 2:1 geköpft hatte, glich Homare Sawa mit einem technisch feinen Treffer noch aus. Zuvor hatte die eingewechselte Alex Morgan das US-Team in Führung gebracht , die Aya Miyama egalisierte.
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by kaguragawa | 2011-07-18 23:36 | Trackback | Comments(0)

胸すく思い   

 ここ数日のあいだに不可解なことが多い、多すぎる。
 が、――。

 なでしこジャパン決勝進出。35メートルのロングシュートは感動的でした。

 魁皇。歴代最多勝新記録1046勝目。

 双葉翔陽(大熊町)、富岡(富岡町)、相馬農(南相馬市)の県立高3校の野球部で結成された「相双連合チーム」。一回戦で敗退するも、最後の大アーチ。

 どれも胸のすく思い。

〔追記〕
 222年前の今日は、バスティーユ監獄襲撃(la Prise de la Bastille)で、フランス革命がはじまった日(1789.07.14)。
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by kaguragawa | 2011-07-14 23:40 | Trackback | Comments(1)

霜川と秋声の《本郷向ヶ岡弥生町横山方》   

 文京区発行の『文京ゆかりの文人たち』という本に、三島霜川のことがふれられているらしいと知って、さっそく入手しました。
 「あとがき」によると、“本書には、文京区に明治以降居住した文人(小説家・詩歌人・俳人・劇作家・随筆家等)154人を搭載し、区とのゆかりを中心に略述した”とのこと。
 文京区教育委員会社会教育課/昭和62〔1987〕年3月の発行。(執筆は「はしがき」によれば、戸畑忠政氏)

 三島霜川は次のように取りあげられている。その記述をそのまま写しておきます。

 …………………………………………………………………………

 三島霜川(1879~1934)
   小説家・劇評家 本名才二

 明治9年7月30日 富山県砺波郡麻生村生
 〃28年      本郷向ヶ岡弥生町横山方(徳田秋声と同居)
 〃30年      下谷上野池の端七軒町へ
 〃36年春     小石川表町108番地(小石川2-25辺)(秋声と同居)
 〃38年      上駒込(豊島区)の木戸邸内の貸家へ
 〃39年冬     本郷森川町1番地(本郷6-6-9)徳田秋声宅
 〃40年夏     芝二本榎へ
 〃41年6月    本郷駒込動坂町(千駄木4- )
 昭和9年3月9日  歿

 徳田秋声の紹介で硯友社員となった。以後秋声と親しくなり、本郷弥生町、小石川表町、森川町の秋声宅と同居した。明治38年頃には秋声の代作もした。
 <作品> 「埋れ井戸」(明治31年)・「解剖室」(明治40年)など

 なお、明かな間違いは次のように直しました〔芝日本榎へ→芝二本榎へ/「埋水井戸」→「埋れ井戸」〕 

 …………………………………………………………………………

 注目したいのは、1879年11月の『三島霜川選集(中)』の年譜に比べても、東京での住まいの変遷が明治期の分はかなり的確に捉えられていること。が、この時点でも、亡くなった場所がわからなかったようで明記されていないこと。
 しかしそんなことより、もっともっと、着目したいのが「本郷向ヶ岡弥生町横山方」の《横山方》の部分です。

 これは今まで、どこにも記されていないことがらです。この弥生町には霜川のおば夫婦――おそらく霜川の父重法の妹みすの婚家・豊島家――が住んでいて、その誘いで霜川が住み、そこに秋声が同居したのですが、その〔弥生町3番地トの11〕の家が、横山という人の借家であったらしいことがうかがわれます。
 この《横山方》という部分がどんな資料によって記されたものなのか、たいへん気になるところです。

 いずれにせよ、私にとっては貴重な新資料となりました。

〔追記:2013.2〕
 戸畑忠政稿による「本郷向ヶ岡弥生町横山方(徳田秋声と同居)」の「横山方」は、おそらく早合点による誤解によるものであろう、と考えるにいたりました。新稿《田岡嶺雲と徳田秋聲の「弥生町」下宿》参照。
 戸畑氏は、秋聲のエッセイ「大学界隈」に見える秋声の弥生町下宿(明治28・29年頃)と、秋聲・霜川の弥生町同居(明治34年)を一つに、してしまったようである。

 
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by kaguragawa | 2011-07-11 23:28 | Trackback | Comments(2)

ねじ花、たなばた   

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 数日前にひと筋のネジバナを見つけたのですが、きょうはここにもあそこにもスクっと立ちスパイラルに花づくな可憐な赤紫がありました。

 こうした小宇宙をみているとここ数日のバカげた人間模様への不審と怒りが静まってくる。

 今日は、七夕。

〔追記〕
 上掲の写真は、どなたかのブログのものを数年前に保存しておいたものを使わせていただきました。撮影者の方の諒解を得られないままの掲示になっています。
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by kaguragawa | 2011-07-07 23:03 | 樹と花/植物誌 | Trackback(1) | Comments(2)

「三島霜川メモ」   

 以前、《めぐり逢うことばたち》を書いていた“さるさる日記”がweb上から消えてしまいました。そこにあった「三島霜川メモ」は、下記のようなものですが――そして内容は霜川に直接関わらないものもありますが――、折を見てこのブログ上に移すつもりでいますが、少し先になりそうです。

2004年 12月 15日 〔三島霜川・源氏鶏太・堀田善衞〕/2004年 12月 16日 〔【三島霜川選集】〕/2005年 01月 08日 〔【明治の文学/全25巻】〕/2005年 01月 23日 〔水上勉「三島霜川一家と私」〕/2005年 01月 31日 〔水上勉「三島霜川一家と私」2〕/2005年 02月 02日 〔地名・布佐/松岡国男・独歩・霜川〕/2005年 03月 07日 〔霜川の命日/辞世の句/水守亀之助〕/2005年 03月 08日 〔霜川と一葉の「法真寺」〕/2005年 03月 10日 〔『はんけち』-不忍池湖畔の蓮見橋〕/2005年 03月 19日 〔霜川・秋声・鏡花/一葉〕/2005年 03月 21日 〔明治文学と横山源之助〕/2005年 03月 29日 〔“君が情の仮寐の床”〕/2005年 04月 17日 〔三島霜川と横山源之助〕/2005年 05月 08日 〔霜川と「済生学舎」〕
2005年 09月 04日 〔霜川と秋声/小石川表町〕/2005年 09月 19日 〔霜川の故地を訪ねて(1)〕
2005年 09月 25日 〔When were they born?〕 /2005年 10月 31日 〔本郷台の空橋(からはし)〕
2005年 12月 05日 〔霜川と露風(1)-ふたりの出会い〕/2005年 12月 06日 〔霜川と露風(2)-「露風全集」より〕/2006年 01月 01日 〔【6】の年-霜川の1876・1906〕/2006年 01月 17日 〔foujitaさんの「日用帳」-『役者芸風記』〕/2006年 01月 19日 〔三島霜川の明治四十一年〕/2006年 01月 20日 〔霜川と露風(3)-「三木露風年譜」〕/2006年 01月 21日 〔霜川と露風(4)-木戸邸内の番小屋?〕
2006年 01月 23日 〔霜川と露風(5)-駒込動坂町〕/2006年 01月 29日 〔柴崎芳太郎-霜川と同年生まれの〕/2006年 03月 02日 〔霜川の動坂(1)〕/2006年 03月 04日 〔霜川の動坂(2)〕/2006年 03月 08日 〔霜川の動坂(3)〕/2006年 03月 16日 〔神楽坂の霜川〕/2006年 03月 23日 〔藤澤清造――〕/2006年 03月 29日 〔『どうで死ぬ身の一踊り』――藤澤清造(2)〕/2006年 04月 29日 〔秋声宅の露風〕/2006年 05月 01日 〔霜川・秋声・涼葉(1)〕/2006年 05月 10日 〔霜川から本郷弓町〕/2006年 05月 23日 〔霜川・秋声・涼葉(2)〕/2006年 06月 27日 〔柿木横町の薙城館(1)〕/2006年 07月 31日 〔霜川・秋声・涼葉(3)〕/2006年 08月 15日 〔『徳田秋声全集』〕/2006年 09月 26日 〔“九月というに袷一枚で(1)〕/2006年 09月 27日 〔“九月というに袷一枚で(2)〕/2006年 10月 01日 〔“猫の家”の前を歩く霜川(1)〕/2006年 10月 02日 〔“猫の家”の前を歩く霜川(2)〕/2006年 10月 03日 〔“猫の家”の前を歩く霜川(3)〕/2006年 10月 04日 〔“猫の家”の前を歩く霜川(4)〕/2006年 10月 05日 〔“猫の家”の前を歩く霜川(5)〕/2006年 10月 18日 〔鱒二の霜川追悼文〕/2006年 10月 26日 〔再び「霜川・秋声・涼葉」〕/2006年 10月 27日 〔霜川の同時代人〕/2006年 11月 03日 〔『黴』私注――書斎の窓明かりを慕うて〕/2006年 11月 04日 〔鱒二の霜川追悼文(2)〕/2006年 12月 13日 〔『黴』私注――戦争小説などに筆を染め(2-2)〕/2006年 12月 17日 〔高峰という蘭方医(秋声の周辺)〕/2007年 01月 01日 〔《光含》〕/2007年 01月 05日 〔《1907年》〕/2007年 04月 18日 〔独歩と源之助〕/2007年 04月 21日 〔三島霜川年譜〕/2007年 04月 23日 〔霜川年譜雑メモ(1)〕/2007年 04月 28日 〔本郷弓町メモ〕/2007年 05月 04日 〔中也の父・謙助〕/2007年 05月 17日 〔些細な諸事実を「書くこと」〕/2007年 11月 22日 〔霜川の「解剖室」〕/2008年 01月 20日 〔霜川の民声新報時代:メモ1〕/2008年 01月 21日 〔霜川の民声新報時代:メモ2〕/2008年 01月 22日 〔霜川の民声新報時代:メモ3〕/2008年 01月 23日 〔霜川の民声新報時代:メモ4〕/2008年 01月 29日 〔ふたりの石川人、きょう死す〕/2008年 02月 17日 〔『わが祖父 川島忠之助の生涯』〕/2008年 04月 09日 〔霜川、醒雪。啄木、秋声〕/2008年 04月 21日 〔『徳田秋聲の文學』〕/2008年 05月 27日 〔二人の父親像〕/2008年 08月 25日 〔「漱石書簡」の三島霜川〕/2008年 08月 26日 〔霜川と漱石をめぐる余談〕/2008年 09月 10日 〔悠々忌〕/2008年 09月 18日 〔飯田青涼の『女の夢』〕/2008年 11月 01日 〔北陸線、高岡まで延伸(1898.11.1)〕/2008年 12月 29日 〔霜川、露風、《山田順子》、秋声〕/2009年 05月 06日 〔久保田万太郎の語る“霜川”〕/2009年 05月 24日 〔「無理かも……が……」〕/2009年 05月 31日 〔『明治・東京時計塔記』――本郷大横丁の時計台は…〕/2009年 06月 01日 〔本郷大横丁の「小さな時計台」〕/2009年 06月 21日 〔「時計台」2話〕
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by kaguragawa | 2011-07-05 23:21 | Trackback | Comments(0)