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報道機関の炉心溶融   

 原子力発電設備の“暴走”という事態は、それを伝えるジャーナリズムの重要な部分を併せても壊死させてしまった。マスコミと呼ばれる巨大な報道機関は、電力と国の広報機関になり下がってしまい、「情報」という“なまもの”の生態と扱い方をいちばんよく知っているはずなのに、電力と国の情報操作――しかも杜撰な情報操作――の前に、自殺行為とも言える思考停止状態に陥ってしまっているのである。その無残さは、心ある人には明かだろうから縷々述べることは避ける。

 そんななか、日本民間放送連盟の会長も務めた日本テレビ代表取締役会長の氏家齊一郎さんが亡くなられた。あのナベツネさんと同年同月生まれの盟友という。そのことの仔細も縷々述べることは避ける。

 私が氏家齊一郎さん逝去のニュースを知ったのはTBS系かフジ系のニュースだっかと思うのですが、他局の会長にもかかわらず充分な敬意を払った報道で大きな人を失ったなぁという思いにとらわれた。
 が!、である。そのあと見た日本テレビのニュースで、驚くべき言葉を聞き、ジャーナリズムの重要な部分の壊死をつらくも再確認することになってしまったのである。なんと日本テレビのアナウンサー?は、「遺族の固い意志により、弔問、供花、香典、弔電などは一切、辞退したい」とまで公共の電波で伝えてしまったのである。もちろんこれは、いちアナウンサーの不用意な?発声ではなかろう。
 もちろん私は氏家齊一郎を知る者ではない。が、氏が巨大マスコミのトップであるという矜持を持った方であったとすれば、自局のこのニュース内でのこの「物言い」には、激怒したか落涙したか、どちらかであると思うのだ。
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by kaguragawa | 2011-03-30 00:06 | Trackback | Comments(0)

土岐〔哀果〕君の「二階建の新しい家」   

 1月16日に啄木の日記(*)を紹介した時からずっと気になっていたことがありました。

*明治44年(1911)1月16日
 前日の約によって社からすぐ土岐〔哀果〕君を訪ねた。二階建の新しい家に美しい細君と住んでいた。雑誌のことで色々と相談した。我々の雑誌を文壇における社会運動という性格のものにしようという事に二人の意見が合した。十時過ぎに帰ったが風が強かった。


 文中に登場する土岐哀果(善麿)の新しい家はどこかということです。土岐哀果(善麿)の生家――後に啄木の葬儀が行われることにもなる浅草松清町〔現:西浅草1-6-1〕の等光寺――でないことは、「新しい家」ということでわかりますが、はたしてどこなのか。土岐善麿のことを知りたいというよりは、啄木の具体的な行動を知りたかったのです。
 「社からすぐ土岐君を訪ねた。」という、表現からわかることは、啄木のいた東京朝日新聞(京橋区瀧山町)からそんなに遠いところではなさそうだということです・・・。

 一昨日、こうした疑問に対し、おそらくここだろうという所が判明したので、メモしておきたいと思います。

  芝区浜松町一丁目十五

〔追記〕
 「文壇における社会運動という性格のものにしよう」とした「我々の雑誌」――『樹木と果実』――の行方については、100年前の啄木の日常を追っていくなかで、書いていきたいと思っています。
 ここでは、とりあえず1911年2月4日に入院した啄木が3月15日に退院し自宅療養にうつっていることだけ報告しておきます。
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by kaguragawa | 2011-03-27 17:37 | Trackback | Comments(0)

言語道断!   

 バカヤロー、バカヤローと何度も自分に罵倒のことばを投げるが、今になってしまってはもう遅い。

 3月18日のブログ記事に、報道機関は――そこに登場する学者、評論家の方もふくめ――原子力安全・保安院の意味のない「広報」をなぞることに、ムダな時間と労力・経費をかけないでほしい。「もっと厳選して伝えるべき情報はもっと多くあるのではないか。」と書きました。

 こう書きながら、発電所近辺の人類への汚染だけを報じ、原子炉の崩壊過程と修復過程を愚民に説法するかのごとく繰り返す報道に、もっと大切なものがあるのではないかと自問自答していたのです。
 この問いかけは、他人に向けて書いたのではなく、自分の課題として書いた“つもり”でした。が、しかしここまで書いて私は、完全に思考停止してしまったのです。

 みずからの知と力を知ることが立脚点であるはずの報道機関は、原子力発電所のメカニズムを何度も何度も繰り返すだけで、大気の放射能汚染が結果としてもたらす広範な被害をそれに至る過程をふくめ、誰も生活者の視点で語ろうとしませんでした。語ろうとした人に「マスコミ」はその場を与えませんでした。
 原発のメカ屋さんは、シーベルト、シーベルトと経文か呪文かのように唱えながら、「原乳」は言うに及ばず身近な「水道水」についてすら、予測、警告のことばを発し得ませんでした。内部被爆の恐ろしさを何度も語った学者が、いざ内部被爆につながる水、食物の汚染となると、「冷静に」「風評被害に注意」と繰り返すだけです・・・。これが「専門家」というものの実態である。そしてマスコミは、恥ずかしげもなく「専門家」の首を工学系から医学系にすげかえて、自らの責任にはほっかむりである。

 生活人である一般人が、広範な放射能被害の経済的な面への波及もふくめて声を発するべきだったし、正念場のこれからこそ、それが必要とされるのではないか。
 放射線物質が、放射線状に広がるのではなく、風向きや地形によっていびつな拡散をすること、それが大地に舞い降り、水がそれを集め運ぶことなど、そして放射能がまず自然のなかでも力の弱いものに非情にも襲いかかることなど、専門家でなくとも、自分の頭で事態を考えようとする人には自明なことだったはずである。

 何をみつめて、誰に向かって語るべきなのか。エラそうに、原発についてごたくを書き連ねながら、私は、なにもなしえていなかったのである。せんないこととわかりながら、バカヤロー、を自分に向かって気のすむまで叫ぶしかない。
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by kaguragawa | 2011-03-23 23:11 | Trackback | Comments(4)

森清『大拙と幾多郎』   

 今月5日の冨永徳磨の跡を追った金沢散策の折――彼の下宿跡と彼も足を運んだ西田幾多郎の「三々塾」の跡探し――、偶然出逢った鈴木大拙の生誕地の碑のことがずっと頭に残っていて、先日これも偶然目にした『大拙と幾多郎』(森清/岩波現代文庫/2011.1〔初刊1991.1〕)をすぐ買い求め読み始めて、空き時間をつないでようやく今日、読み終えました。

 石川一(啄木)の友人で金沢の四高に学んだ豊巻剛が、西田幾多郎に学んでいた可能性があることにも思い当って、あらためて西田幾多郎のことを知ろうと思ってから一か月。そして大震災の翌日からこの『大拙と幾多郎』を読み始めたわけで、もう一つの「坂の上の雲」ともいうべきこのエッセイ的評伝が、重い心の脇にあって大げさですがずっと、心の支えになっていました。
 (追記:この一週間の間に、幾多郎の四高教諭時代に幾多郎の影響を受けた加藤完治のことも改めて知ることになりました。ところで加藤完治が後に勤めた安城農林学校の校長であった山崎延吉と西田幾多郎は、四高(第四高等学校)の前身である第四高等中学校の同期生ないしは一年違いだったと思われるのですが、まだきちんと確認していません。)

 鈴木大拙も西田幾多郎も私には未知の人で、今この『大拙と幾多郎』についてなにほどのことを書くことはできません。ただ余談ですが、西田幾多郎の師にあたる北条時敬、三井系の経済人早川千吉郎、日露戦争後の地方改良運動の実質的な推進者・井上友一や前田家の参事だった織田小覚など、私が興味をもっている「十四会」のメンバーがこの本にずらっと出てきて驚いたことだけを書きとめておきたいと思います。
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by kaguragawa | 2011-03-21 12:32 | Trackback | Comments(0)

ルソー「わが生涯の悲惨の慰め」   

 前項に書いたI君が送ってくれた楽譜のことが、7年前の旧日記に記されていたので、再録しておきます。

■2004/11/30 (火) 「わが生涯の悲惨の慰め」

 音楽を“生涯の悲惨の慰め”としていたルソーの残した歌曲を、死後集めたのが、「わが生涯の悲惨の慰め」《Les Consolations des Miseres de Ma Vie, ou Recueil d'Airs romances et Duos. 》〔1781〕である。e0178600_0595767.jpg

 *アルフレッド・コルトーが所蔵していたこの楽曲集の書影をweb上で見つけました。(右/注1 )
 (あのコルトーが――といってもこの前世紀の大ピアニストについては知ることは少ないのですが――、ルソーの歌曲集を持っており、その「慰め」を共有していたということは、とても感慨深いことです。)

 この曲集の抜粋集(11曲収録)が日本で発行されたことがあります。この曲集の書誌的記録は今不明なのですが(*)、そのコピーをI君のおかげで持っているのです。

 この中での究めつけは、やはりルソーの白鳥の歌ともなった「柳の歌」(「オセロ」でデスデモーナが歌うシェークスピアのロマンス)だと思うのですが、今日久しぶりにこの曲集を見ていて、気に入った曲があります。
 
 “ラ・ブリュエールの詩(paroles)による”というタイトルが付された小品(解説では「私はほんとにやさしく愛していたのに」)で、3/8拍子の愛らしいアンダンティーノの曲です。 残念ながらフランス語の歌詞は、コピーの状態が悪くて文字が読み取れないのですが、明日はこの曲を覚えようと思って、今、眠りにつきます・・・。

 *〔追記〕
ジャン=ジャック・ルソー/海老沢敏解説『わが生涯の悲惨の慰め(抄)』(音楽之友社/1978)。没後200年を記念して発行されたもののようです。

〔注1〕
http://www.tamurashoten.com/catalogue/mozart030330/mozart.htm
このページには、「ルソー作詞作曲 わが生涯の悲惨の慰め ロマンス歌曲と二重唱曲集 初版 1781年刊。バンゼック画刻銅版タイトル頁、リショム刻楽譜199頁、薄青色紙摺り。フランス語テキスト。365x260mm、厚紙表紙当時装幀、アルフレッド・コルトー旧蔵書、蔵書票貼付。」と記されています。
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by kaguragawa | 2011-03-21 00:41 | Trackback | Comments(0)

仙台にいたI君への想い   

 仙台市に住むI君の奥さんに電話をしました。「混乱のさなかに連絡するのは迷惑だろう」と、I君の家族への電話を今日まで一日延ばしにしてきたのには、「絶対元気に暮らしているはず」という確信のようなものがあってのことだったのですが、その実、その確信には“まったく”根拠などなかったのです。
 思いきって、電話しようと気持ちを後押ししてくれたのは、大被災の10日からたった今日、倒壊した家屋から80歳の祖母と孫の少年が救助されたといううれしい奇跡のニュースでした。
 
 固定電話の数回の呼び出し音の後に、mさんの明瞭で元気な声が返ってきました。被害は大きかったものの、電気も水道も通っていない自宅にいるとのこと。ほっとしました。

 I君は、大学の友人ですが、卒業後もJ.J.ルソーをずっと読んできた盟友でした。今の私のこのブログにルソーの「ル」の字も出てきませんが、「社会契約論」「社会起源論」「エミール」などの代表作を、田中正造に脱線したり、木下順二に脱線したり、また宮沢賢治に脱線しながらも、それはていねいにていねいに読んできたのでした。そして、ルソー晩年の「ポーランド統治論」を読み進めていた7年前にガンで先に逝ってしまったのでした。

 根拠もないながら奥さんや子供さんが仙台の真ん中でも元気だろうと確信していたのは、地震からも津波からもI君が家族を守ってくれているはずだと信じていたからなのでした。

 奥さんと亡きI君の話をしながら、“ルソー読み”を絶ってきたここ数年がすっと飛んでいくような、I君の優しい真情がルソーを呼びもどしてくれそうな気持ちになってきました。I君が仙台で見つけて送ってくれたルソー晩年のシャンソンの楽譜も、来年には生誕300年を記念していくつものCDの音となっていることでしょう。いいCDを見つけて、I君の墓前に届けたいと、いま、悲惨な仙台の光景を飛び越して想いを走らせています。
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by kaguragawa | 2011-03-21 00:25 | Trackback | Comments(0)

とりあえず(飲食物摂取制限のことなど)   

 避難所で亡くなられる方が出てきている。多くの人々の健気な活動に感動するだけで、こうした事態に私は無力である。
 さらに、牛乳やホウレンソウから基準値を超える放射線量が検出されたという。もちろん私は専門家ではないので、厳密な表現での言及やまして確言はできないが、人体への影響に関する放射線基準の長い研究史を信頼する限り、人体に影響はない数値である。「風評」によって被災地の人々を苦しめることは愚を犯してはならない。 
 そんなことより現時点では、――非常識を難じられることを覚悟で言えば――、我々は人災によって「大地」を汚染してしまったことに気づくべきではないのか。人間のように逃げるための情報もその手立てももたない自然を人間の手で汚染してしまったことにも、大いなる悔いを感じるべきではないか。
 そうした自然の一体感が、原子力発電所の行く末を考える場合、必要なのではないか・・・。

〔追記〕
 上の基準値=「飲食物摂取制限に関する指標基準」について私の知っていることを書きたいのですが、今調べ直して敷衍する余裕がありません。いずれの課題に。
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by kaguragawa | 2011-03-20 08:42 | Trackback | Comments(0)

“可能性は否定できない”   

 毎日テレビの画面には原子力の専門の科学者の方がでずっぱりで、キャスターと珍問答を繰り返すことも少なからず。その専門家諸氏の今までの原子力発電に対する姿勢がどうだったのか、などということは問うまい。また、この職業に必要とされる質問能力のないキャスターの科学知識のイロハの欠如を難ずることはいっそう無意味かもしれない。原子力安全・保安院の意味のない「広報」をなぞったり揶揄するだけで、正確かつ有効な報道ができないのなら、いっそのこと、そのムダな時間と労力・経費を節電に振り向けたらいいのではないか。いや、もっと厳選して伝えるべき情報はもっと多くあるのではないか。

 かぐら川さん、少し過激な発言が目立ちますね、という声も聞こえますが、必要だと思うことは言わねばならない。

 ことばのプロのはずであるアナウンサー兼?キャスター諸氏、この事態のなかで責任を負わねばならぬ人々の口から連発される“可能性は否定できない”という意味不明のことばを、どう考えますか。専門外の原子力発電や放射線の解説をするより、この“可能性は否定できない”ということばを、しっかりととらえてみてください。そして、当事者である電力会社や政府首脳に、このことばの使用禁止を提言してください。

〔追記〕
この記事にコメントを寄せてくださっている風紋さんのブログ「語られる言葉の河へ」に、私の関心のあることがらが多く取り上げられています。同じ関心を持たれる方の参照をお勧めします。
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by kaguragawa | 2011-03-18 00:25 | Trackback | Comments(2)

「計画停電」と「節電」の“呼び掛け”   

 非国民と呼ばれるかも知れませんが、「計画停電」と「節電」の“呼び掛け”には大いなる疑問をもちます。原子力発電所に依存しすぎた発電体制にずっと疑問を呈してきた私にとっては、電力会社の今さらながらの、しかも“計画性のない「計画」停電”、その実、強権的な電力供給停止には法的にも疑問がありますし、まして自らの不手際のつけを利用者に回す「節電、お願い」に従う必要はないと思っています。

 “とはいっても・・・”の声を否定するつもりはありませんし、それぞれの方の判断で、節電、省電することでいいのではないでしょうか。東京電力の管内外にいる私も、「東京」電力や政府の呼びかけとは別に、しかも「電力融通」の困難性のある北陸電力の管内であることを前提ではありますが、「1/10省電」をするつもりでいます。

 「計画停電」と「節電」の“呼び掛け”に先だって、きちんとした説明をする努力もせず、基本エネルギーである電力を左右できる「権力」を振り回すなど、言語道断と言いたいのです。

 電力の需給がマイナスになるという計算根拠を「問う」ことを、専門知識のある第三者がぜひすべきものと考えます。
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by kaguragawa | 2011-03-14 22:28 | Trackback | Comments(2)

地震と原子力発電所   

 昨日は、とつぜん地震と原子力発電所のことを書いたので、いつも訪れていただいている方は驚かれた方があるかもしれません。しかし、このことへの関心はきのう突然湧いたものではないのです。
 旧日記に書いた地震関連のものをいくつかを、リンクしておきます。あらためて読みなおしてみて、関心がその折その折にとどまっていて、なんの前進もないこと、あらためてはずかしく思います。忸怩たる思いをこめてリンクし読み返しています。

 なお、《2007/07/18 「耐震指針」を読もう》中、リンク切れになっている「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」については、「「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」の解説記事・論文」「「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」の解説記事・論文」をごらんください。

 ■2008/06/15 (日)  賢治と地震(1)
 ■2007/07/18 (水)  「耐震指針」を読もう
 ■2007/07/16 (水)  災害列島
 ■2007/03/25 (日)  能登沖震源の地震
 ■2004/10/23 (土)  「災難にあう時節・・・」
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by kaguragawa | 2011-03-13 12:21 | Trackback | Comments(0)