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ことしの10月晦日のメモ   

 庭にでたらツワブキが花盛りで、ハナアブでしょうか音もなく飛び回る虫が2匹いました。つわぶきとくれば真っ先に思い出すのは、犀星であり、犀星の育った寺・雨宝院です。
 で、そう言えば、昨年この季節に雨宝院を訪ねた記録があったはず・・・と思い探したらば、なんと、ちょうど一年前のやはり10月31日のことでした。

 この昨年の記事には、「龍昌寺」のことも書いてあるのですが、龍昌寺の跡地はその後訪れたのですが、そのときの街歩きの記録はなぜかこのブログには書き残してありません。書こうと思いながら、忙しくて書かないままになった記録がいくつもあるような気がします。

 話題となったNHKドラマ「火の魚」の原作である犀星の短編小説「火の魚」。ようやくこの短編が収録されている『蜜のあわれ・われはうたえどもやぶれかぶれ 』(講談社学芸文庫)を書庫?から探し出しました。今夜は久しぶりに犀星の小説世界を楽しみましょう。


〔追記:11/2〕
 金沢在住のアイガングさんが、雨宝院(千日町)のつわぶきの写真を撮ってくださいました。
ごらんください。
 明日、雨宝院を訪ねる予定です。いつも歓迎していただく高野住職さんがおられるかどうか。

 この雨宝院の裏を流れる犀川で犀星が生簀をつくったことが、「火の魚」の導入になっている。
 ついでのおしゃべりですが、アイガングさんが紹介されている永福寺の隣りに「安楽寺」(東兼六町)というお寺があります。安楽寺には四高時代の中野重治が下宿していました。

〔追記:2003.1/1〕
 原石鼎に次のようなつわぶきの連作句があることを、ブログ「原石鼎――一枝の椿を見むとふるさとへ」(12/24:土岐光一稿)で知りました。“地軸より咲きし色なり”の句は知っていたのですが、土岐さんによると「昭和24年の連作六句は石蕗の花が咲いて終るまで」を詠んだものという。紹介しておきます。

   大いなる海の力や石蕗咲ける
   地軸より咲きし色なり石蕗の花
   うすうすと大地の苔や石蕗の花
   地軸よりぬき出て咲けり石蕗の花
   雨に照り日に濡れ石蕗の花崇(たか)し
   花終へて安らけき石蕗の葉なるかな
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by kaguragawa | 2010-10-31 14:57 | Trackback | Comments(9)

もう霜月   


 “秋の深まりと冬の訪れが交差しつつもう11月を迎えようとしています。”

 ・・・と、ある方へのメールに書いたのが26日。
 11月は間違いなくやってくるが、秋は深まってくれるのだろうか。そんな心配は自然に対するおせっかいかもしれない。

 楽しみにしているケヤキの色づきはまだなのに、もうサザンカの固いつぼみが見られる。少し時間を秋に戻したいなと思いつつ、ふと、普羅の秋の句を想う。

  美しき栗鼠(りす)の歯形や一つ栗
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by kaguragawa | 2010-10-30 20:12 | Trackback | Comments(0)

『堺利彦伝』 拾い読み(2)   

 途中から拾い読みを始めた『堺利彦伝』、冒頭に戻って、引き続き拾い読みを続けています。
 読むほどに堺利彦という人がいじらしいほど魅力的な人物であることがわかってくる。黒岩さんが惚れこむのもさもありなんという気がする。
 「私の母」という段から少し書き写してみます。

 “母はまた、憐み深い性質であった。折々門に来て立つ乞食のたぐいなどに対して、いつも温かい言葉をかけていた。母は不器用なたちで、風流と言ったような、気のきいた点は少しもなかったが、それでいて自然に対する素朴なアコガレを持っていた。例えば、活け花などという物に対しては、母はほとんど何の感興を持っていなかったようだが、山や川に対しては、「おおええ景色じゃなア」などと、覚えず感嘆の叫びを発したりすることがあった。そして、私は、母の感嘆の叫びに依って、自分の目が開いたような気がしていた。”

 “母は滅多に外出しなかったので、たまに前の山に千振摘みなどに行く時、私らはそれを大変珍しいことのようにして、そのあとについて行った。母は千振を摘んでは陰干しにしておいて、毎朝それを茶の中に振りだして飲むのであった。千べん振ってもまだ苦いというのが恐らくその名の出所であろう。私もいつかその真似をして、あの苦い味わいを、何か少し尊い物のように思っていた。e0178600_2310393.jpg
後に私が人生のある事件を論評する時、「苦行の甘味」という言葉を用いたことがあるが、それは千振の味に思いを寄せたのであった。また千振という草のツイツイと立っている姿、あのささやかな白い花の形などが、何とも言われぬしおらしさを私に感じさせた。そして、それも恐らく、母から開かされた目の働きであったろうと思う。


     千振(センブリ)の花
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by kaguragawa | 2010-10-25 23:05 | Trackback | Comments(4)

『堺利彦伝』(中公文庫)拾い読み   

 まだ店頭には並んでないと思っていた中公文庫の『堺利彦伝』(2010.10)――1978年4月の同文庫本の改定版――を富山駅ビルの書店で見つけ購入。拾い読み。

 黒岩比佐子さんの、目配りはきいているが自著の販売と同時期のためか心なしか自制気味?の解説に対し、荒畑寒村の跋文「先師のおもかげ」は小気味よく堺を評している。
 いわく“酸いも甘いも知りつくした人生の苦労人”。“堺利彦という一個の人格を知るには(社会主義者になる前の)一定のイデオロギーに規制されない、むしろ素のままの、いわゆる「瑕瑛悉く現る」底の、美醜長短をさらけ出した人間像の方が、どんなにか優っている”・・・

 以下、メモ。

 ・気になっていた『防長回天史』編集時代後半の住居が、「芝白銀今里町百四十九番地」であること。

 ・第一高等中学校の一ツ橋にあった寄宿舎の同宿者に「柴野是公」がいること!!。
 ――これには少し説明をつけましょう。e0178600_0395830.jpg



 “柴野君は二年ばかり上級生だったが、何かの都合で私らの室に来ていた。笑う時には愛嬌もあるが、黙っている時には恐ろしいような、むつかしい顔の人で、折々酔っぱらって帰って来ては、私らの椅子やテーブルを放り投げたりした。たしか西君と同じ広島人だった。(これが今の東京市長の中村是公君だ!)”〔『堺利彦伝』113p~〕


 ・・・とすれば例のナツメ猫事件(*1)の前から、漱石は第一高等中学校の同級生で一時同宿もした終生の親友・是公から堺利彦のことをあれやこれや聞いていたのではないか。青年時代の〔漱石と是公の同宿〕そして〔是公と利彦の同宿〕――どちらが先か詳しい年表を調べればわかることですが、この偶然おもしろいことです。

 “思いがけない転機、出会いとすれ違い、偶然と必然――。本書を読み、その後の堺利彦の生涯を知ると、さまざまな感慨がわき、想像をかきたてられる。人間の運命ははかりしれないが、だからこそ「生きる」ということは不思議で面白いのだ”・・・黒岩さんが解説「人間の運命」の最後に書いたことばが、やはり堺の生涯をえぐっ響いてくる。

 (*1)黒岩比佐子『パンとペン――社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』155P以下「電車賃値上げ反対運動と漱石の妻」参照。
 ここで黒岩さんは“堺が漱石と直接会う機会はなかったようだが、文学好きな堺が、作品を通じて漱石に好感を抱いていたのは間違いない。”と書いておられるが、《堺利彦――中村是公――夏目漱石》という伏線があったのである。


 ・なぜか〔第六期 毛利家編輯時代〕だけが、「堺は」「彼は」という第三者の視点でつづられているのも不思議。まったく関係のないことながら、ほとんど同時代を対象とし第三者視線で描かれた徳田秋声の自伝小説『光を追うて』のことを思い出したことでした。
(追記)本文全体の序とも言える〔第一期豊津時代(上)〕の冒頭に、この第三者視点についての興味深い記述がありました。
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by kaguragawa | 2010-10-24 23:57 | Trackback | Comments(0)

金沢街歩き――秋声記念館~中也の遊んだ幼稚園   

 秋声記念館の企画展「三島霜川展」をゆっくり見たくて、急きょ予定を変更。しごとは横に置いておいて、金沢に足を運びました。あらためて展示物に付された解説を読んだりメモしたりしながら、霜川の文学者としての人生を想いました。

 ちょっと余徳?もありました。同館の常設展で秋声会の会報「あらくれ」に寄せた尾崎士郎の原稿を見て、尾崎士郎がこの会の同人だったことを思い出しました(正確に言うと、――阿部知二、井伏鱒二、榊山潤、中村武羅夫、楢崎勤、舟橋聖一、室生犀星らと並んで名前が記されているのを何度も見ているのですが、秋声と尾崎士郎を結ぶものに思いいたらず、尾崎士郎=あらくれ同人ということがまったく頭にはいっていなかったうかつさに、気がついた――ということです。)
 文人堺利彦と秋声のあいだにこのようなかすかな縁があったのです。

 それはそうと、尾崎士郎は黒岩比佐子さんの『ペンとパン』で、堺利彦の“売文社”のやんちゃ社員?であったことも初めて知ったくらいで、『人生劇場』の著者であること以外なにも知らない人だったのです。


 秋声記念館を出て金沢ふるさと偉人館へ。企画展の「百年ぶりに中也がかえる――中原中也展」が11月7日までなので今日しか行ける日がないのです。中也と金沢にどんなつながりがあるのとおっしゃられる方がおありかも知れません。ひと言で言うと中也は幼年時代を金沢で過ごしているのです。中也と金沢については、私も以前何度か書いていますが、、この金沢ふるさと偉人館こそが、中也の通った「北陸女学校附属幼稚園」の跡地に建っているのです。この企画展のサブテーマが「中也が遊んだ金沢の幼稚園にて」である所以です。
 (追記:中也と金沢については、実は、中也が母親の胎内に宿った地が金沢であったという推論を、2年前おそるおそる書きましたが、その地をpucciniさんが紹介してくださっています。)

 この企画展、感想は割愛しますがとても充実しています。ただ現在の私には中也を胸の内にいれるこころの余裕がなく、それはわかっていたことでそれゆえに今回の企画展の参観は見送ろうとも思ったのですが、それでも中也の詩の力は大きくて、生原稿にのせられたいくつかの詩句が透過性のある放射線のように飛びこんで焼きつきました。

 そんなことより目にとまった資料で記録しておきたいのは、展示されてあった中也の幼稚園時代――――の「通信簿」(連絡簿のようなもの)?と「保育料受領証」。
 通信簿の内容を書きとることは断念しましたが、受領証の方には“束脩 金五拾円 柏村中也 仝亜郎”と書かれていました(「仝」=「同」)。
 当時、中也は中原中也ではなく、柏村中也だったのです。なお、弟の亜郎は兄・中也と一緒に幼稚園に行くと言い張ったのでは仕方なく?受け入れられたのではなかっただろうか。
 なお、犀川向こうの野田寺町からこの下本多町の幼稚園に通った道は、どこだったのでしょう。以前にこんなことも疑問として書きましたが、展示の地図には大胆にも?その経路を推測して地図に色付けしてあるのです。

 さらに予定変更して、金沢の街歩きを続けることとしました。

 (つづく)
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by kaguragawa | 2010-10-23 20:06 | Trackback | Comments(0)

秋の良き日の東京   

 (時間がないままに綴るいつもながらの雑駁なメモです。)

 土曜日は、東京でした。日曜の朝は町内の除草行事があるため、一番列車で行って、最終列車で帰る日帰りとなりました。

 メインは、3時からの黒岩比佐子さんの『パンとペン-社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』刊行記念講演会だったのですが、その前後にいつもの「東京歩き」を愉しみました。

 10時に東京駅に着きすぐ山手線に乗り換え、品川へ。高輪・白金台近辺を少し歩く予定。なんのことはない三島霜川のゆかりの地巡り。つい先日、「番地」まで確認できた二本榎西町の住居跡を訪ねてみようとの思いながら、予想通り「二本榎西町《3番地》」は、かなり広く、おそらく当時とかなり様変わりした高級住宅街?の現在の白金台では、場所の特定も往時の雰囲気も味わうことは無理のよう。(明治40年の作品「虚無」はここで書かれている。)
 この辺りは、堺利彦20代後半のゆかりの地でもあって、黒岩さんの本に関して書いておきたいことも――屠牛場――あるが、割愛。
 二本の榎が植わっていたという高台の縄手道(?→高輪)――東海道よりお古い道と言われる――に往古を偲ばせるものはないが、明治~大正期をほうふつとさせる建築がいくつも残っており、散策。明治学院大のなかのチャペルは、ヴォーリズの設計によるものとは知っていたが、帰宅後、ここでヴォーリズが結婚式を挙げたことを知りがっかり。時間を惜しんでほぼ素通りになってしまったので・・・。

 次に、渋谷から井の頭線に乗り換えて、駒場へ。ケルネル田圃だけは見ておきたかったのだ。かすかながら賢治ゆかりの地でもあるが、農学史を副業にしている?私には必見の地なのである。
 井の頭線によって南北に分断され、南の駒場野公園と北の駒場公園に分かれているが一帯はかつての駒場農学校(のちの農科大学)のキャンパス地。日本近代文学館にOさんを訪ねた帰り道(住宅街のハナミズキの紅葉がうるわしい色合い)、もう一度田圃に立ち寄ると人だかり。近くの小学生?が稲刈りをしているのだ。

 立ち見も予想される黒岩さんの講演会のことが気になり、早めに神田神保町すずらん通りの東京堂書店へ。病身で2時間の講演はしんどいだろうと思われるのだが、静かな語り口ながら気迫のこもった内容に、心動かされました。

 夕闇のなか、三崎町教会に立ち寄り、ミロンガでおいしいコーヒーを飲み、もう一つ欲張って神田美土代町7番地に「東京基督教青年会(YMCA)会館」跡地を訪ねて(現在:住友不動産神田ビル〔ベルサール神田〕)――4年前に竣工とのこと。かつて訪ねたときは工事中――、神田駅から東京駅へ、。(奇遇にも金沢に戻るKさんに遭遇)。
 11時55分帰宅。良き日なり。
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by kaguragawa | 2010-10-19 00:54 | 街歩き/たてもの | Trackback | Comments(5)

黒岩比佐子『パンとペン――堺利彦と「売文社」の闘い』   

 黒岩比佐子『パンとペン――社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社/2010.10)

 戦前の社会主義の闘将で売文社主でもあった堺利彦も現代の美人売文業者KUROIWAの手にかかって、おとなしく飼いならされてしまったようである・・・・などと書いても怒らないでニコッと笑って許してくれそうなのが、この本の主人公・堺利彦である。(これは黒岩さんが描き出した堺の人物像に仮借した感想なのですが)
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 売文社開業の時代――「冬の時代」と呼ばれる大逆事件以降の社会主義運動の谷間の時期――の堺利彦が中心に描かれているだけに、 「パンとペン」「売文」がこの本の堺キーワードであるとすれば、「忠臣蔵」、「捨石埋草」、「成行宗」が準キーワードだろうか。
 しかし、「土蜘蛛」「自転車」という片や泥臭い語と片や当時のハイカラ語も、堺を物語る欠かせぬ「ことば」だ。
 (「成行(なりゆき)宗」については、この本のどこかで出会えるはずです。)

 2年間の獄中(1908~1910)に、7歳の娘“真柄”に堺はこのような心温まる手紙を書いている。

 “Magaraヨ、コレワ、ローマジトユウモノダ、セキバンニカイテ、ケイコシテゴラン、トーキョーモユキガフッタノダローネ、ユキワ、サムイケレド、ウツクシクテ、ヨイモノダネ、オマエノウマレタノワ、一ガツ三ジウニチノヨナカデアッタガ、ソノヒワ、ユウカタカラ、ユキガフッテ、オマエガ、ハジメテ、オギャアトナイタコロニワ、一シャクバカリモ、ポッカリト、ツンデイタ、ダカラオマエワユキノコダ”

 カタカナで読みにくいかもしれませんが、――妻宛ての部分の決して読みやすいとは言えない漢字ひらかな交じりでぎっしり書かれた部分に対して――愛娘への語りかけは、娘が自分で読めるように発音通りのカタカナでていねいに書かれているのです。

 この幼かった愛娘が長じて父利彦の死(1933)に遭い――当時真柄は30歳の女性になっている――告別式で語っていることばは、胸を打ちます。
 (この真柄の答辞にも、警官の「中止、解散」の言葉が容赦なく投げられたといいます。)

 “明治三十七年日露戦争当時の非戦論から、今日の世界大戦の危機をはらむ時の戦争反対まで、常に棄石埋草として働きたいとしていた父でありました。今日の父を、棄石とし、埋草として、無産階級の戦争反対運動の肥料たり、口火たり、糸口たらしめていただけたらと私共は思うのであります。”


 作家・国木田独歩が画報など流行雑誌の「編集者」として顕れ、社会主義の闘士・堺利彦が浮世相談にも応じる職業コピーライターとして現われる比佐子マジックのステージも華麗でしたが、遠くて近づきがたい人物を等身大の――生身かつ普通の――人間像に戻して手の届くがごとくに描いてくださる緻密ながらも温もりのある比佐子語りも健在で、うれしく思ったことでした。

〔追記〕
 私事にわたりますが、一週間前に『水守亀之助伝』で再会し、もちろん黒岩さんの堺利彦評伝でも懐かしくも複雑な気持ちで出会ったのが堺の若き盟友・高畠素之でした。30年ほども前のことですが「資本論」の日本初の完訳者高畠素之のことを知りたくて、当時出た評伝を買った記憶があるのです。この本、もうどこを探しても出てこないのですが、田中真人『高畠素之――日本の国家社会主義』(1978)だったようです。


〔追記:11/10〕
 黒岩さんのブログによると、『パンとペン』なんと、刊行一か月にして早くも重版!だそうです。
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by kaguragawa | 2010-10-12 23:58 | Trackback | Comments(8)

ぬかか!?――糠蚊   

 朝起きたら、消し忘れの蛍光灯の周りを2ミリほどの小さな羽虫が飛び交っている。その数も尋常なものではない。

どうもヌカカというコバエ(小蝿)のようである。「ヌカカ」、糠のように小さな蚊の謂いであるが、ハエ目(双翅目)ヌカカ科の昆虫とある。

 「ヌカカ」を検索するうちに『ヌカカの結婚――虫たちの不思議な性戦略』 (森川 幸人/新紀元社/2005.01) というおもしろそうな絵本があることを発見。電子書籍化もされていて、けっこう話題の本のよう。

〔追記〕
 望月洋子さんの『ヘボンの生涯と日本語』という古い新潮選書を拾い読みしていて大村益次郎(村田蔵六)がヘボンのもとに通ったことがあることを知りました。文久二年(1862)のこと。
 ヘボンのことも大村益次郎のことも興味を持っていろいろ読んでいるのに、どうしてこのことを知らなかったのだろう。
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by kaguragawa | 2010-10-10 08:46 | Trackback | Comments(0)

キンモクセイ   

 どこからかキンモクセイの香ただよう

 ・・・ちょっと気取ってつぶやいたら五七五になっていましたが、句としては弱いですね。
 朝の通勤路のありのままの記録です。

 黒岩さんの『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』を予約。
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by kaguragawa | 2010-10-07 23:45 | Trackback | Comments(5)

メモ:二本榎西町三番地   

 芝区 二本榎西町三番地 〔港区白金台2丁目〕

  三島霜川
  梶井基次郎
  島崎藤村
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by kaguragawa | 2010-10-05 23:04 | Trackback | Comments(1)