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霜川の「解剖室」のモデル都市(1)   

 この小説の舞台は、小説本文に明記されているとおり「北国」である。それでは、「解剖室」に書き込まれている「北国」とははたしてどこの街(都市)なのか。以下は、こうした素朴な疑問を解こうとする一つの試論であり、私なりの一つの答えです。
 (これは「解剖室」の舞台の“モデル”都市を探してみようとする試みであって、この小説の“舞台がどこか”を一義的に推断しようというものではありません。なお、医学史などにわか勉強によっているので、大きな間違いがあるかも知れません。お気づきの点はご指摘ください。)

 かくて彼は解剖室に入った。
 解剖室の空気は冷たい! 解剖台=それは角の丸い長方形の大きな茶盆のような形をして、ツルツルした顔の映るような黒の本塗りで、高さはちょうどテーブルぐらい。解剖台のテーブルの上には、アルコールの瓶だの石炭酸の瓶だの、ピンセットだのノコギリだのハサミだのメスだの、すべて解剖に必要な機器や薬品が並べてある。


 このように具体的に描かれる解剖室をもった北国の――「北国の空」「北国の少女」「北国の雪解け」「北国の自然」ということばで登場する“北国の”、おそらく二月半ばから三月にかけての――医学校が、この小説の舞台である。

 あらためて言えば、解剖室用の単独棟があり、解剖学の担任教授――これが主人公〔風早学士〕――がいる「北国の」医学校。・・・こうした設定を小説から読みだせば、この条件が満たされる小説当時のモデル校がかなりしぼられてきます。

 明治40年に発表されたこの小説の背景となっている時代を――議論を簡便にするために、風早学士の信奉する新ダーウィン主義の語などから具体的論証抜きで、――明治30年代後半としておきたいのですが、そうするとここで対象として浮かび上がってくる“北国”の医学校があります。がしかし、それは明治36年勅令61号の専門学校令による二つの医学専門学校(医専)だけなのです。
 「仙台医学専門学校」と「金沢医学専門学校」の2校がそれです。

 では、小説のなかには、この2つの候補からモデルを特定できる記述はあるのでしょうか。
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by kaguragawa | 2010-08-30 23:56 | Trackback | Comments(0)

8月最後の土曜日   

 午後から、徳田秋声記念館へ。学芸員の大木さんと密談?。6日から始まる「三島霜川展」のポスターとチラシをいただく。

 古書カフェ「あうん堂」さんへ。くつろごうと思ったところ、突然、奥さんに「はよ行かんと始まるよ!」と追いたてられて近江町「いちば館」へ。きれいさっぱりと忘れていたのですが、きょうは南陀楼綾繁さんのトークショーの日だったのです。
 綾繁さんのトークは、金沢の古本屋で叱られた思い出から始まったのですが、私にも同じような経験があります。20年以上も前のこと、「ここはあんたが来るようなとこじゃない!」と一喝されたのです。たしか「平凡パンチ」かなにか雑誌を読みふけっていたような記憶があります。不思議とこれがA書店なのか、B書店なのか、C書店なのか、はっきり覚えてないのです。どの書店でもありえた話だと思うのです。
 (以下、続く綾繁さんのトーク、小野寺さんとの対談は、書き出すときりがないので割愛します。あうん堂さん、ありがとうございました。)

 ところで、221年前の今日も、暑かったようです。きょう、8月28日は家人の誕生日でもあるので忘れることがないのですが、おくの細道紀行中の芭蕉一行が、我が射水市をとおった日なのですが、芭蕉に連れ添った曾良が毎日記録を残しているので、仔細がわかるのです。

 過去何度も引用していますが、今年も、元禄二年七月十四日〔1689年8月28日〕の、「曾良随行日記」を写しておきます。旧暦のお盆の前日です。

 十四日 快晴。暑甚シ。冨山カヽラズシテ(滑川一リ程来、渡テトヤマヘ別)、三リ、東石瀬野(渡シ有。大川)。四リ半、ハウ生子(渡有。甚大川也。半里計)氷見ヘ欲行、不往。高岡ヘ出ル。二リ也。ナゴ・二上山・イハセノ等ヲ見ル。高岡ニ申ノ上刻、着テ宿。翁、気色不勝。暑極テ甚。少◆同然。

 文中の《ハウ生子》は「放生津」、日本海に面した現射水市域の街です。最後の◆は、判読不明とされてきた文字です。(引用は岩波文庫)
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by kaguragawa | 2010-08-28 23:56 | Trackback | Comments(0)

やつお   

 八尾を訪ねる。旧町は、おわら風の盆の準備に余念がない。もうすでに前夜祭も始まっている。
 久しぶりに曳山展示館で一休み。

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 林秋路の版画に言い尽くせぬ思いをあたためる。

 そして、おわらの歌詞にあてた酒歌は秋路の極意を伝える私の友のような歌

   酒のないよな極楽よりも堕ちて地獄の オワラ 鬼と呑も
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by kaguragawa | 2010-08-27 21:27 | Trackback | Comments(3)

「連声」?って??   

 ちょっと気になった「連声」のことを、書こうと思っていたのですが、我が家のパソコンが家人に占領されてしまって書く機会がないままに、なっていました。

 元号の「元和」はなぜ、「げんわ」でなく「げんな」と読むのか・・・。
 こうした現象を「連声(れんじょう)」と言うんだよと、以前、人に教えてもらったのを思い出して、検索してみたのです。そもそも“れんじょう”なんて、「大音声」を“だいおんじょう”と読むのとおんなじで、時代めいた言葉じゃないか、と、国語学専攻の方々からはお叱りを受けそうな憎まれ口をたたいてみたのですが、いかんともなりません。

 「連声」の例として、「仁和寺」=“にんなじ←にんわじ”は、そう言えばそうっだたなと思い、「元和」だけでなく元号の「天和」も“てんな”と読むらしいと知って、天和っていつの頃だっけ?とまたまた二重の無智の発見を恥じつつといった次第です。
 が、“ムムム”と思ったのは、例えば「天王星」(「天皇制」でも良いのですが)を“てんのうせい”と読むのも、「連声」の例として挙げられていたことでした。これって、単に子音と母音がくっついただけじゃないか。

   「元和」 gen+wa→gen・wa→→gen・na

   「天王」 ten+ou→ten・ou

 この辺りで、検索もお終いにしました。


 それから何時間もたって、歩きながら《あっ》と、叫んで立ち止まってしまいました。
 「てんのう」って、旧かな遣いでは《てんわう》じゃなかったっけ???。とすれば;

   「天王」 ten+wau→ten・wau→→ten・au

 そうか、これも〔n+wa〕→→〔n・a〕なのだ!。

 (続く)
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by kaguragawa | 2010-08-26 23:57 | Trackback | Comments(3)

「埋もれた声~大逆事件から100年」を見て   

 花姿はヒガンバナなのに、ピンク色のユリのような花弁の花を見つけてちょっと感激してしまいました。きょうも35度近い陽射しのなかで見たこの花、夏水仙でした。

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 1月以来、大逆事件にふれてなにほどのことをか書いてきましたが、ETV特集「埋もれた声~大逆事件から100年」(NHK)を見て、100年の歳月がいまだに重いものをひきずっていることを、証言していただいた方から教わりました。
 歴史事実(古文書もふくむ)の扱い方の作法をきちんと勉強しないまま、私も歴史をさかのぼる調べ物をいくつかしていますが、今日あるささやかな事実を発見できたものの、どうもこれが縁者の中で意識的に秘されてきたことがらだろうという気がして、複雑な思いでいます。やはり100年ほど前の社会的差別に関わるこの事柄は、すでに語る立場の人さえいないのです。


 ところで、今年のお盆は一週間ほど「パソコン休暇」としたため、寄せていただいたコメントにすぐお答えできませんでした。そして今となっては場違いなお答えになりそうなので、コメントは控えさせていただくこととしました。お許しください。
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by kaguragawa | 2010-08-22 23:56 | Trackback | Comments(0)

木村栄の生家跡訪問   

 きょう、石川・賢治を読む会の楠さんと、金沢市内の木村栄(きむら・ひさし)の生家跡(現在、銭湯Zささの湯)を訪ねました。
 「風野又三郎」(「風の又三郎」の初期形)にテニスに興じる水沢緯度観測所の所長・木村栄の姿が描かれています。賢治は何度か、Z項の発見者としても有名だった木村のいる水沢緯度観測所に足をはこんでいるようです。

 報告は、後日。
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by kaguragawa | 2010-08-21 21:18 | Trackback | Comments(0)

ちょっとメモ   

 「お盆パソコン休暇」からの本格復帰は、20日以降になります。

 今年のお盆は、ふと手にした漱石の『行人』にひきづられてかなり予定が変ってしまいました。
 漱石を論じるガラでもありませんので、漱石らしさのよってくるところの“あやしげなもの”――これはちょっと説明しにくい私の漱石観なので、説明は割愛させてください――が、かなり身近に感じられた・・・と、自分なりの感想だけを書き留めておくことにします。
 そんなことより、上野の「三橋亭」の名を『行人』の語注の中に発見して、ちょっとびっくりしたことをメモしておきます。

 そうそう、時間がないまま、書き忘れてしまいそうなので、忘れないうちに、これもメモ書きしておきます。こちらは大事なことです。
 富山の里山の「カシナガ被害」の凄さです。一瞬、季節外れの紅葉?!と見えたものは、茶色く立ち枯れした広葉樹でした。
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by kaguragawa | 2010-08-18 23:59 | Trackback | Comments(0)

現在、おやすみ中   

 すみません。お盆はブログというよりパソコンは、“おやすみ”ということにしたので、18日までは、記事も寄せていただいたコメントへの返事も書けません。
 ・・・と言いつつ、事前に断っておけばよかったものを、黙って一週間以上休みにはいってしまったので、ひとこと、お詫びに参上しました。
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by kaguragawa | 2010-08-16 20:10 | Trackback | Comments(0)

『日露戦争実記』の霜川   

 三島霜川が寄稿していた『日露戦争実記』について、ブログ《古書の森日記 by Hisako》に「『日露戦争実記 定期増刊 戦争文学』(明治37年4月23日)」の紹介があります〔2008年02月04日〕。
 なんと情けないことに、2年前その記事のコメント欄に私がいろいろ書き込みをしていたことを、――「日露戦争実記」を検索して見つけたのですが――きれいさっぱり忘れていました。
 あらためて『日露戦争実記』(育英舎のものと博文館のもがある) のことを調べる手始めに、そのときのコメントを黒岩比佐子さんの分ももふくめてコピーさせていただきました。

  ━━━━━━‥‥・・・・・・・・‥‥……━━━━━━

3. Posted by かぐら川 2008年02月04日 22:43
 育英舎の『日露戦争実記』をもしやしてお持ちなのでは?。その書誌学的なことがらをご存知ならお聞きしたいな。――と思っていたやさきでした。
 というわけで、この項にはちょっとまじめにコメントを書きたいと、うずうずしていますが、いかんせん、今時間がありません。あらためて、書き込みの機会を持ちたいと思います。
 この雑誌の編集者「塚越停春」については、平岡敏夫氏の「上州の文人塚越停春」というエッセイが運良くnet上にあっておもしろく読みました。
 http://www.gpwu.ac.jp/forum/sakka/tukagosi.html

4. Posted by Hisako 2008年02月04日 23:42
 もうだいぶ前に、育英舎の『日露戦争実記』の合本1冊が安く出ていたので、買ってはいたのです。創刊号から第6号までで、なぜか第4号は欠号です。ただし、買っただけで、よく内容を見てはいないのが実情でした。
 しかも、早くも気になる鉛筆書きのメモを発見! 
 これを買い取った古書店の人が書いたようなのですが、「1~110号内 62冊」と読めます。
ということは、第45号で終刊したのではなく、ひょっとすると、第110号まで発行は継続していて、その内の62冊を買い入れた、という意味かもしれません。

 それから、「山路愛山主筆」と書かれている資料が多いのですが、『日露戦争実記』の実物の目次を見ると、主筆と書かれた下に、山路愛山と塚越停春の名前が併記されていて、主筆が2人いた、というふうに読めますね。
 
5. Posted by かぐら川 2008年02月05日 00:52
お尋ね;
 1.「日露戦争実記」は、この号のように定期的に「戦争文学」というタイトルで発行されていたと思われるのですが、そうなのでしょうか。
 2.この「育英舎」は、教科書出版会社の育英舎とおなじなのでしょうか。(教科書出版会社の育英舎の住所は、明治20年代のものは、下谷区桜木町2番地となっています。)

6. Posted by Hisako 2008年02月05日 01:21
 1.それは間違いないようです。第6号の広告に、「定期増刊戦争文学」の広告が載っていました。その第1号の予告として、小説執筆者名も載っていました。泉鏡花、徳田秋声、小栗風葉、川上眉山、中村春雨、三島霜川、広津柳浪の7名です。
 2.鋭いご質問! 私も育英舎は教科書出版会社だと思っていました。でも、創刊号(明治37年2月18日発行)の住所を見ると、違っていますね。
 「日本橋区本石町十軒店六番地」です。
 そして、「発行所 育英舎」とある横に、山路愛山が主筆ということなので、「編輯所 独立評論社」となっていて、その住所は「日本橋区小舟町二丁目一番地」です。

    ****************************************
 なお、「塚越停春」については、同ブログ「棚橋一郎・鈴木誠一『日用舶来語便覧』(明治45年4月発行)」〔2008年02月06日〕に、貴重なコメントがあります。
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by kaguragawa | 2010-08-08 19:04 | Trackback | Comments(1)

高岡市立博物館『心のふるさと 二上山』展   

 高岡市立博物館開館40周年記念特別展『心のふるさと 二上山』に行ってきました。いろいろ書きたいこともあるのですが、手元になにも資料がないので、後日としますが、一事だけ。

 第一展示室の中央の大きな絵図(正式な名称は分かりませんが「二上山地境絵図」だったかと思います。)には、足が止まり目が吸いよせられてしまいました。

 私が小さな頃迷い込んでしまった二上山の山間の小さな空間・・・。二上山の麓にある神楽川家の菩提寺でおこなわれた法事――祖父の四十九日の法事か何かではないかと思うのですが――の空き時間?にふらふらと寺を彷徨い出て寺裏の山に入り込んだのです。
 一本道だったはずの道がいざ帰ろうと思うと道がわからず、少し暗くなった谷間の小盆地のような空間から出られなくなってしまったのです。幼稚園の頃か、小学校の低学年の頃だと思うのですが、そのあたりの年代の記憶はあいまいですが、そのときの囲まれた山々からのぞく空の色、小さな池のようなもの、そこから流れ出る冷たい小流れの映像は鮮明に覚えているのです、50年ほど前のことだというのに。
 ここでぷつっと記憶が消えているのですが、賢明にも?!、おそらく小流れにそった道筋をたどって閉ざされた空間から逃げ出したのではないかと思います。

 今日見た江戸末期の絵図にはその山のうらに小さな谷筋が書かれてあり――展示のガラス越しには文字は読みとれなかったのですが――、そこに堰き止められたような小さな池とその名が書き込まれてあったのです。わたしの迷い込み、小さな心に恐怖も覚えつつ辺りを眺めまわしていた空間はここではなかったのか・・・・。

  この企画展の会期は、10月17日まで。8月21日には、展示説明会もあるよし。
 神楽川という不思議な川の名称にも関わっている二上山信仰については、勉強をしなおして、また書く機会をもちたいと思います。

〔追記〕
 明日はお盆を前に、二上山麓の寺に墓の掃除、除草に行く予定です。
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by kaguragawa | 2010-08-07 21:34 | Trackback | Comments(0)