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霜川の「国華」   

 霜川といえば奇行文士の典型のように書いてあるものが多いのですが、――そうしたエピソードもいずれまとめて紹介したいと思っていますが――なかでもその象徴としてよく登場するのが、極貧生活中の高価なお茶〔玉露〕とたばこ〔国華〕。e0178600_0222310.jpg

 その〔国華〕がどのようなたばこだったのか、調べてみたいと思っています。

 「国華〔1910(明43)年1月24日発売(20本15銭)〕」のパッケージは、⇒。
 当時のたばこのパッケージを見れる貴重なサイトは、下記です。
 http://www.clio.ne.jp/home/yoshi/tobacco/tobaco.htm


〔追記〕
 ここまで調べただけでちょっと気になったのは、「国華」の発売が1910(明43)年であること。このタバコは霜川の創作期にずっと関わっていたように思いこんでいたのですが、1910(明43)年といえばすでに小説の執筆から遠ざかり始めています。
 「霜川伝説」?についても、伝聞で増幅されたところがあるような気がします。ゆっくり調べていきたいと思っています。
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by kaguragawa | 2010-07-31 23:56 | Trackback | Comments(3)

暑中お見舞い   

 一昨日の28日は、明治15年生まれの岸他万喜の誕生日、今日30日は明治9年生まれの三島霜川の誕生日でした。
 私の中でうまく重なってくれませんが、この二人は同時代です。

 ついでにいうと霜川の方は、7月30日は戸籍上の誕生日で、子供たちに霜川自身が語っていたところによると彼の誕生日は、お釈迦様の誕生日と同じ日だという。ほんとにそうなのかどうか、今となっては確かめようもないことでしょう。釈迦誕生の折に釈迦自身が語ったと言われる「天上天下唯我独尊!」という言葉が、霜川の理想だったのではないかと思ったりします。

 もう8月です。暑い日が続きますが、みなさま体をおいたわりください。

〔追記〕
 金沢市の徳田秋聲記念館では、現在の「秋聲名品展」に続く次期の企画展として「三島霜川―秋聲と北陸の作家たちⅢ」が予定されています。どのような展示会になるのか愉しみです。
 (期間:9月5日(日)~11月28日(日))
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by kaguragawa | 2010-07-30 22:42 | Trackback | Comments(0)

小林昇さん   

 小林昇さんが一か月半も前にお亡くなりになっていたこと、まったく存じ上げませんでした。

 経済学史家と言ってもわかりにくいのですが、私には近代経済思想の2つの潮流となったアダム・スミスとジェイムズ・スチュアートの学説構造にみごとな照射をあてた『国富論体系の成立』、こうしたイギリスの経済思想の社会構造と後進ドイツのそれを見すえた上で精緻に再構成されたフリードリッヒ・リストの学説研究が、学説史の白眉の成果だと思われます。
 
 学史研究と戦争体験のあわいを社会科学者の眼と歌人の感性で見つめつづられた随筆集『帰還兵の散歩』も歌集『歴世』も、私の支えになっている本です。

 ご冥福をこころからお祈りいたします。
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by kaguragawa | 2010-07-26 22:12 | Trackback(1) | Comments(0)

「書くこと」に向かう知的旅――先週のブログから   

 「書く」ということについて、ドキッとする文章を、二つ読みました。野暮なコメントはつけませんので、お読みくだされば有り難いです。

 黒岩比佐子さんの「病院から国会図書館」(ブログ「古書の森日記 by Hisako」2010.07.18

 岩淵喜代子さんの「講演餘滴」(ブログ「原石鼎――枝の椿を見むとふるさとへ」2010.07.23

 そしてもう一つ。ブログ「日本語教師・奥村隆信 ひとり語り」で、感銘深いことばに出会いました。鳥取の蔵人・西本恵美さんのことば。

  “自分の仕事は何百年も先人たちが続けてきたことのつなぎに過ぎない。悪い時代もあれば良い時代もある。そして良い時代が自分の時代でなくてもいい。 ”
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by kaguragawa | 2010-07-25 22:51 | Trackback | Comments(4)

白鵬優勝   

 大相撲名古屋場所、白鵬優勝。 大きな拍手を送りたいと思います。

 ・・・と、書き込もうとしたとき森毅さんが亡くなられたというニュースが耳にはいってきました。ご冥福をお祈りします。
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by kaguragawa | 2010-07-25 19:27 | Trackback | Comments(0)

霜川の「解剖室」の想源(3)   

 話は、「図書館に寄ったものの、“これっ”という資料が見あたらなかった」という、今日の報告の最初の部分に戻ります。

 調べようとしたのは、《森田斉次》という明治・大正期の解剖学者のことでした。資料が見つからなかったのでここではweb上のいくつかの記述によるのですが、推量も交えて書けばこういうことでしょうか。
 ――森田斉次は、東京帝国大学医科大学卒業後、同学の助手を務め、後に慈恵会医科大学や日本大学医学部の解剖学の講座をつくった明治期の解剖学の草分け的存在・・・・。

 こういう解剖学の専門的な学者が、実は、霜川の近辺にいたのです。森田斉次は三島霜川の父方の同年輩の「いとこ」なのです。解剖学者・森田斉次がいたことが、霜川に「解剖室」を書かせることにつながったのではないでしょうか。また、秋声の作品に、「蘇川」や「深山(みやま)」として登場する霜川の周りには当時在京していた「おじ」や「おば」といった縁戚の人物の何人かが描かれていますから、この解剖学者のいとこも秋声の知る人物であったことが考えられます。秋声が「解剖室」の材料の出所を知っていると述べたのも、そういう事情からではないでしょうか。

e0178600_064748.jpg その森田斉次氏、『三島霜川選集』に詳細な労作「三島家系図」を載せた田中清一氏の調査によると、「明治10年7月24日」が誕生日です。はたして、森田斉次氏その人が、あるいは森田斉次から聞いた話が「解剖室」の端緒なのでしょうか。私の森田斉次氏を訪ねる本歩き、街歩きは、奇遇にも氏の誕生日の誕生日前日のきのうから始まりました。
 なお、霜川のおじ(父・重法の妹、そでの夫)森田謙斉――斉次はその長男――の「森田家」は、我が射水市が出身地です。

 ※森田斉次 1877.07.24~1943.12.31

・写真は、東京慈恵会医科大学解剖学講座岡部研究室のHPからお借りしました。

〔追記〕
 ここまで具体的な形で霜川と解剖学とのつながりが見えてくると、彼自身死後、みずから献体し解剖に付すよう遺言した意味もあらためて考えてみたくなりました。

 国会図書館の近代デジタルライブラリーで、森田斉次『解剖学講義』〔上・中・下〕(明39−41/明文館)を見ることができます。
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by kaguragawa | 2010-07-24 23:56 | Trackback | Comments(1)

霜川の「解剖室」の想源(2)   

 解剖学の専門家の方の「解剖室」の紹介を見つけて、私はうれしくなって、お尋ねしてみました(2年半前のことですが)。

 「素人的にも霜川の記述はかなり専門的なことがらも正確に書かれているような気がするのですが、どうなのでしょう。」

 私の疑問に、次の懇切なしかもとても示唆的な答えを寄せていただきました。 

 “この小説を一読、私は著者が医学部で解剖学を学んだ、と思いました。導入部の学生や遺体の処置をする小使い(おじさん)の生き生きした描写はちょっと取材した程度では書けないと思いました。風早先生の性格や解剖学の中でも特に生物学的な方向に特化した学風は実際にモデルがいないと書けないようなものだと思います。著者の簡単な経歴を見ますと、医家に生まれたとあるだけで、大学に入ったというような経歴はないようなので不思議に思っていました。父や友人から解剖学の話を聞いていたのでしょうか。(中略)
 この小説は少女と解剖学者の出会いと結末のどんでん返し的トリックととして読まれる可能性が多いと思いますが、私はそれよりも解剖学実習室の正確で生き生きした描写や風早先生を通して解剖学というもの奥深さを語っている点を評価しています。すばらしい作品だと思います。”


 専門家の目から見ても「解剖学を扱ったこの作品は、記述も内容も、高く評価されるものだというのです。
 単に医の現場が近くにあったというだけではこれだけの作品が書けるものではなく、解剖学に特化した専門的な素養がこの作品の前提になっているのでは、という私見に対して我が意を得たりというところもあったのですが、この作品の背景に専門性を担保するなにかがあったはずという思いは、いっそうの謎として残ったのです。

 そう言えば徳田秋声は、「旧友三島霜川氏」というエッセイにこう書いていたのです。

 “霜川氏の解剖室を書いたのは、私の玄関の隣りの、その時分の書生部屋であったが、私はその材料の出所も、想念の出所もほぼ知っている。”
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by kaguragawa | 2010-07-24 23:15 | Trackback | Comments(0)

霜川の「解剖室」の想源(1)   

 きのう、「明日は久しぶりに霜川のことを書こうと予定?してます」と予告したのですが、図書館に寄ったものの“これっ”という資料が見あたらなかったので、今から書こうとしていることは、今のところ資料的裏付けのない「推論」ということで、お読みください。

 三島霜川の代表作として挙げられる作品が中央公論に発表された「解剖室」です。ある医学校の解剖学の教諭の物語です。この作品は代表作とされただけに彼の作品としてはめずらしく多く解説めいたことが書かれてきました。そのとき、この作品の背景について言われたのが、三島霜川の出自が代々の医家であったこと、霜川自身が医学校に学んだことがあるという経歴です。そうした見聞や経験がこうした独自のテーマの作品を霜川に書かせたというわけです。

 しかし三島家はたしかに代々医者であったとしてもそれは江戸時代以来の漢方の医術だったようです。旧来の医者の家に生まれたことが、医学校での解剖学の教師や解剖の現場を描くことにつながるものではないでしょう。そして霜川の医学校歴――具体的には、済世学舎(私立の医師養成学校)に学んだという――については、上京後の霜川の足跡を追った何人かの研究者の方が否定的な考えを述べています。霜川は済生学舎に学んだ事実は確認できないというわけです。
 霜川になんらかの医術についての知識があったにせよ、そうしてこうしたことの知識と興味が、小説のテーマに「医」を選ばせたとしても、ヘッケルを口にする解剖学の学士を登場させ、解剖実習の手順まで書きこむには別の事情があったのではないでしょうか。

 そう思っていたとき、現代の解剖学の専門家の方がこの「解剖室」を、つぎのように紹介されているのを読んだのです。

 “ほとんど知られていないと思いますが、若いころ読んで印象的だった本があります。三島霜川の「解剖室」です。(中略)
 明治時代のある大学の解剖学実習で、ある日若い少女の解剖が行われることになり、学生たちが大騒ぎするところから始まります。物語は冷徹な科学の信奉者であり、かつ手早く鋭い解剖技術を持った教授が登場し、その少女を解剖することになりますが、いつものようにはいかない、遺体を前に動けなくなる・・・。
 短い小説ですので15分ぐらいで読めます。明治の文体にも味があります。”

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by kaguragawa | 2010-07-24 22:36 | Trackback | Comments(3)

とりとめのない落書き――夢二とハレー彗星   

 Iさんへ

 暑い日が続きますが仙台の方はいかがですか。「最近は夢二ばかりで、賢治も霜川もお休みのようですね」と言われそうですが、勤め人の身分ですからどうしても自分の自由になる時間が限られていて、あれもこれもというわけにはいかないのです。もちろんえり好みをしているわけでもなく、興味を天秤にかけているわけでもありません。本来の放浪癖のまま折々気の魅かれるままに本歩き?・街歩きをを楽しんでいるといった次第です。

 明日は久しぶりに霜川のことを書こうと予定?してますが、大暑、猛暑のなか、うまく時間がとれ、うまくまとまりがつくかどうか・・・。

 あっそうそう、年初から100年前の1910年(明治43年)のことを、追体験しようとしていて、見逃していたことがありました。夢二の金沢行のことです。夢二の金沢行というと、1917(大6)年の、笠井彦乃との湯涌温泉への恋の逃避行のことが思い起こされますが、その7年前に夢二は金沢に二週間近く遊んでいるのです。今、あらためて1910年5月の金沢行のことが気になっているのは、彼の「旅の巻」という画文集に「壁をたづねて」という題で書いている文章に、“ハレー彗星”のことが出てくるからなのです。地球への一番近接する5月19日には、彗星の尾が地球に接触して、人類が滅亡するとさえいわれたのです。そのとき夢二は金沢にいたのです(5月5日から21日まで滞在)。

 最近、さまざまな事情からパソコンに向かう時間がなく、今ちょっとあいた時間にとりとめない落書きをしました。

 ではまた。
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by kaguragawa | 2010-07-23 23:54 | Trackback | Comments(2)

野田宇太郎さんの命日   

 生誕百年を迎える作家というようなテーマで、毎年、出版業界からちまたの本屋さんまで、本を売るための企画が組まれるのですが、昨年は「太宰治」と「松本清張」がクローズアップされたのですが、そうした企画の選にもれた作家は、見向きもされない方が多いようです。

 そうした商業べースの不人気者の一人が“野田宇太郎”氏でした。今日は、1909年生まれの野田さんの命日でした。これからも野田さんには、大いにお世話になりそうな気がしますし、積極的に著作を読む機会をもちたいと思っています。そういう思いで、もう今日も終わりそうになった時間に紹介を書かせていただきました。

 ちなみに、1908・1909年生まれで私にとっては有縁の人々を自分のメモから列記すると以下のような具合です。

  伴淳三郎  1908.01.10--1981.10.26
  高津春繁  1908.01.19--1973.05.04
  五来 重  1908.03.07--1993.12.11
  戒能通孝  1908.05.30--1975.03.22
  中西舗土  1908.07.04--2003.12.16
  朝比奈隆  1908.07.09--2001.12.29
  吉村貞司  1908.09.24--1986.01.04
  村田武雄  1908.09.30--1997.03.16
  増田四郎  1908.10.02--1997.06.22
  野村良雄  1908.10.08--1994.02.04
  尾高邦雄   1908.10.17--1993.09.11
  絲屋寿雄  1908.10.18--1997.05.21
  松田道雄  1908.10.26--1998.06.01
  宇都宮貞子 1908.12.03--1992.02.12
  津村信夫  1909.01.05--1944.06.27
  斎藤 史  1909.02.14--2002.04.26
  池上不二子 1909.02.28--1999.12.05
  松田甚次郎 1909.03.03--1943.08.04
  大岡昇平  1909.03.06--1988.12.25
  滝沢克己  1909.03.08--1984.06.26
  高瀬重雄  1909.03.25--2004.11.13
  中島 敦  1909.05.05--1942.12.04
  太宰 治  1909.06.19--1948.06.13
  村山古郷  1909.06.19--1986.08.01
  川島武宜  1909.10.17--1992.05.21
  野田宇太郎 1909.10.28--1984.07.20
  松本清張  1909.12.21--1992.08.04

 私にとっては、なつかしい顔ぶれです(もちろんお顔を存じ上げない方がほとんどですが)。
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by kaguragawa | 2010-07-20 23:52 | Trackback | Comments(3)