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4月晦日   

 明日から5月だというのに、身を切るような冷たい風が吹いてくる。
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by kaguragawa | 2010-04-30 22:46 | Trackback | Comments(0)

『乳のごとき故郷』と『寡黙なる巨人』   

 午前中、藤沢周平『乳のごとき故郷』と多田富雄『寡黙なる巨人』とを、それぞれ半分まで読みました。

 丸っこく小さな山形の“民田なす”、これを扉に描いた藤沢さんの本、。一気に読んでしまうのがもったいなくて、途中で本を閉じました。藤沢さんの随筆はほとんど文庫で読んでいるのでこの本に収録されているふるさとものも一度は読んだはずなのですが、どの随筆も初読のような新鮮さで読みました。続きは、五月の風に吹かれながら藤沢さんの庄内の山野を感じてゆっくり読みたいと思います。
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 ずっと気になっていた多田さんの『寡黙なる巨人』。
 この本を手にとる前に、多田さんが亡くなってしまわれました。脳梗塞後の右半身不随、嚥下障害、構音障害。壮絶な生との闘いと対話、リハビリテーション医学構築への提言・・・。引き込まれながらも身を固くして読み進めています。

 午後、T先生訪問。谷川士清――江戸時代中期の国文学者という要約でいいのでしょうか。本居宣長の同時代・同国人――の“勾玉考”の試訳をいただく。勉励せよ!とのメッセージ。

 大型連休の初日とのことだが、風は清々しくも冷たい。課題の原稿も仕上げなければ・・・・。

〔追記〕
“すがすがしい→→清々しい”と漢字変換して、そうだった、「谷川士清」の名は〔ことすが〕と読むのだったと思い出しました。

〔追記2〕
 きょう(4/29)、藤沢周平さんのふるさと山形県鶴岡市に「藤沢周平記念館」がオープンしたんですね。そう言えば本の帯に「藤沢周平記念館開館記念出版」と記してありました。
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by kaguragawa | 2010-04-29 22:08 | Trackback | Comments(0)

末黒野(すぐろの)   

 「たけのこのゆで方」を調べよ!と厳命を受けていろんなページを見ていたら、「サクラとハナミズキ」のことを書く時間がなくなってしまいました。

 ずっと気になっていた「末黒野(すぐろの)」の意味を、たけのこ検索の合間にふと思い出して、調べました。“山焼や野焼をおこなった後に、芒や萱・葦などが焦げ残った野のさま”とのこと。なるほど。
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by kaguragawa | 2010-04-28 23:23 | Trackback | Comments(0)

 『図説 草木名彙辞典』   

 行方不明になって久しく、もうその本のことも忘れていたのですが、思わずあるところからひょっこり出てきました。

 『図説 草木名彙辞典』(木村陽二郎監修/柏書房/1991.11)。
 発行後間もなく――20年前のことです!――書店で見つけ、3800円の高価にもかかわらず、迷わず買った本だったと思います。
e0178600_0451260.jpg 本の帯の“既存の辞典図鑑では調べられない古典植物の語彙。情報を満載した画期的データベース”“古典文学鑑賞のために/暦資料解読のために/植物変遷研究のために”“古典資料にみる植物名彙約4,000! 農書・絵巻物などの図版約1,200!”の文字はどれも虚飾ではありません。いまもページを繰っていくつかの親しい植物の説明を拾い読みをして、ご満悦。

 現在絶版のよう・・・。身近において大事に、引きまくり、読みまくりたい。
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by kaguragawa | 2010-04-27 23:32 | Trackback | Comments(0)

木の芽風   

e0178600_20524585.jpg 春ぬきで突然初夏のさわやかさにふれたような日でした。
 通りかかった富山駅北のブールバールにはケヤキがいよいよ芽吹きから新緑へと様相を変えていますし、富岩運河環水公園のスタバ付近には子供づれのファミリーがたくさん憩いでいました。


 五七五?で情景を切り取ってみました(決して俳句ではありません)。

  今日生きてケヤキ並木に風渡る

  ファミリーの公園陽射しに出て憩ふ
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by kaguragawa | 2010-04-25 20:53 | Trackback | Comments(2)

「10円饅頭」   

「10円饅頭」というのが人気のようですね。10円玉よりもかなり大きいのですが、茶色い色は“10円玉”を思わせ、わたしは「10円饅頭=10円玉饅頭」だとばっかり思っていたのですが、 e0178600_22333155.jpg「1個、10円の饅頭」ということなのですね。
 食べやすい一口まんじゅうだということに加え、
なにより皮生地の黒糖味が魅力ですね。

 いつからこんな饅頭が出回ったのか。最近のことだと思うのですが興味のあることです。

〔追記〕
 「10円饅頭」の元祖は、net情報によれば千葉県市川市の「和ふ庵」という和菓子屋さんの10円の黒糖饅頭のようですが、「10円」という部分もさることながら、饅頭の皮に「黒糖」を使うに至った由来を知りたいですね。
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by kaguragawa | 2010-04-24 22:34 | Trackback | Comments(0)

えっ“チカモリ遺跡”   

 しごとで西金沢へ。きのう行き先を確認するためweb上の地図で西金沢の辺りを見ていて、チカチカする目にふとある文字群が飛び込んできました。“チカモリ遺跡”・・・。
 えっ“チカモリ遺跡”ってこんなところにあるの!?。

 やはり石川県内にある真脇遺跡とともに巨木によるウッドサークルで知られる縄文遺跡です。

 というわけで、少し時間を早めにとってサクラも散ったというのにまだ春の訪れが実感できない肌寒い朝、住宅地のなかにあるチカモリ遺跡公園を訪れました。

 半裁されたクリの巨幹を円形に並べた擬似的なウッドサークルが再現されているのですが、そうしたものを見ながら、想いは数千年を飛び越えました。
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by kaguragawa | 2010-04-23 23:23 | Trackback | Comments(0)

ハナミズキに寄せて   

 大好きな花樹、ハナミズキ。2年前に我が家にも植えていただきました。そのハナミズキのつぼみも開き始めました。私の通勤路にもハナミズキの街路樹があって、2日前には気の早い一株だけがすでに白い花をつけていたのを見つけて、うれしくて思わずホーッと叫んでしまいました。(・・・開いたのは花弁ではなく総苞だ、と言うなかれ。)

 ハナミズキには書ききれないほどの想いや思い出がある。ただ一つだけ書けば、花好きだった母が我が家にハナミズキがあることを知ったらどんなに喜ぶだろうな、ということである。いろんな人から花苗をもらったりして母の庭は年ごとに少しずつ豊かになってきていたはずである。そんな母が思わぬ事故にあったのもハナミズキが咲き始めるころだった。

 また、この同じ時期、枝に緑が戻りはじめたケヤキに父を想う。
 もう一度、春を見せてやりたかったと、親不孝で親に及ばぬ愚息は思う。

 一句・・・、といっても五七五に語を並べただけですが。。

 父母恋ふ日 白と緑に樹々装う
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by kaguragawa | 2010-04-22 21:40 | Trackback | Comments(0)

俳誌「辛夷」の《4月17日》 (欄外に/2)   

 うかつなことに4月18日が、前田普羅こと前田忠吉の誕生日であることを忘れていました。
 というものの4月18日(1884〔明治17〕年4月18日)が普羅のほんとうに生誕の日であるかということについては、異論がないわけではないようなのです。戸籍には「出生明治十七年二月十八日」とあるとのこと。

 こうしたことについてはあらためて書く機会をもちたいと思います。
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by kaguragawa | 2010-04-20 23:17 | Trackback | Comments(0)

俳誌「辛夷」の《4月17日》 (欄外に)   

 普羅の衣鉢を継ごうとする者にとって――僭越ながら“あえて”私もその一人であると名宣りたいと思いますが――《4月17日》という日は、特別な日であったようです。この日、私が八尾の町に車を飛ばしていたとき、今年の二月号で通巻1000号を迎えた俳誌『辛夷』の“創刊1000号記念大会”というメモリアルな会が、開かれていたなんてまったく知りませんでした。

 前田普羅、中島杏子、福永鳴風、中坪達哉4代の主宰のもとでの俳誌1000号発行という偉業に敬意を表し、心から“おめでとうございます”とお伝えする一方で、私は普羅の句や書いたものに影響を受けつつも、俳誌『辛夷』やそれをめぐる結社の方々とはほとんど無縁であることも記しておかねばなりません。

 ・・・・・と、ここまで食前に書いたのですが、今、普羅について旧日記に以前書いたものを読み返そうとして驚くべき記録を見つけたのです。そこに自分が書いていたこと――自分が行ったこと――を、まったく忘れていたのです。今もその当時の詳細はよく思い出せないのですが、7年前、私は『辛夷』を手にしていたのです。それどころか当時の主宰福永鳴風氏に手紙まで書いていたのです。
 以下、7年前の日記をそのまま写します。

━━━━‥‥・・・・・・・・‥‥…━━━━
■2003/06/20 (金) 「普羅庵」へ

・「辛夷」主宰の福永鳴風先生から、『辛夷』平成15年4月号、ご恵送いただきました。
「辛夷」は、前田普羅が富山にいたとき主宰を引き継ぎ、育てた句誌であり、普羅と交友のあった棟方志功(富山県福光町に疎開)の板画を今も表紙に飾る伝統ある句誌です。

・普羅の富山での足跡をたどりたいという思いの第一歩が、まず当時「上新川郡奥田村稲荷」にあった「普羅庵」の現在地を探すことでした。この「奥田村稲荷」が、現在の富山市弥生町だというところまでは判明したのですが、それ以上の探索をなまけ虫の私は、実行に移さずにいたのです。そのとき、地元の富山ではなく東京の俳句文学館で目についたのが句誌「辛夷」でした。文献をひっくり返しているより「辛夷」同人の方に聞けばいいのだ、といういとも簡単なことに思い到り、富山に帰るなり句誌の奥付で見た主宰の鳴風先生にお便りをさしあげたのでした。

・先生から送っていただいた2ヶ月前の4月号の「辛夷」に、辛夷同人の中坪達哉さんが「普羅庵のあとに立って」という文を書いておられたのです。俳句文学館で見た「辛夷」は5月号だったのか、6月号だったのか、何か知らせるものがあったような気がします。
その中坪氏の文中には;
『富山柳町のれきし』という富山市柳町校下の郷土史には、昭和十年頃の各町内の住宅地図が附録としてついていること、その中に普羅庵のようすが「前田普羅邸」として描かれていることなどが書かれていたのです。
鳴風先生のお便りには、「(普羅庵は)戦災後の都市計画で、あと方もなく、単なる空地です。」と。

・昭和九年刊行の『新訂普羅句集』に普羅自ら曰く;
「越中に移り来りて相対したる濃厚なる自然味と、山岳の威容とは、次第に人生観、自然観に大いなる変化を起こしつつあるを知り、居を越中に定めて現在に至る。/「都会人は大自然より都会に隠遁せる人」と思えるに、自分を目して「越中に隠遁せり」と云う都会人あり、終に首肯し能わざる所なり。」

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by kaguragawa | 2010-04-19 23:37 | 俳句 芭蕉 | Trackback | Comments(0)