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アナグリフのアナグラム?   

 3D映画「アバター (Avatar)」の動員数がものすごいということで話題になっていますが、そこで思い出したのが、私の幼少時代の学習雑誌などについていた、赤青のセロファンをはった立体視用の紙のメガネ。今朝の「サンデーモーニング」(TBS)で、それを「アナグリフ」と紹介していて旧稿を思い出しました。
 以下、2007/05/30の旧稿の再録です。


2007/05/30 (水) アナグリフのアナグラム?

 「アナグリフ」ということばをご存知でしょうか。

 ふと、あの立体視に使う赤青のセロファンをはったメガネは何という名前なんだろうと思い、検索サイトをフラフラしていて見つけたことばです。が、「アナグリフ」というのは、メガネの方ではなく、赤と青で少しずらして作られた画像あるいは、このような技法の作画法(=余色法)の名称のようです。

 ところで、[アナグリフ(anaglyph)]が「浮彫りで細工されたもの」という意味らしいと知ったとき、思い出したのが石版画 [リトグラフ]ということばでしたが、こちらの綴りは(lithograph)で、〔glyph〕と〔graph〕、〔L〕と〔R〕の違いがあります。

 〔glyph〕と〔graph〕は、「彫る」「刻む」「書く」という同じ意味を含みながらも、“似て非なるもの”なのでしょうか。

 そうそう、あの赤青メガネは「ステレオグラス」が正しい?名前のようです。ステレオにふさわしく〔L〕と〔R〕の話題になりましたが・・・。

〔追記〕
 もう一つ思い出したのが、エジプトの神聖文字[ヒエログリフ(hieroglyph)]。

 そう言えば、〔grammar〕と〔glamour〕って、語源的には同根でしたよね。似た例として、
〔marble〕 と〔marbre〕:〔Blanco〕と〔branco〕:〔Plato〕〔prato〕・・・   

 g、b、pのあとのLとRは転換することが多いのではないでしょうか。とすれば、〔glyph〕と〔graph〕は、根っこは同じなのではないかと愚考します。

 専門家の方のアドバイスが欲しいところです。


〔1/31:追記〕
 こういう現象を、「音韻転換」というようですね。ある程度法則性もあるようなので、あらためて勉強してみたいと思います。
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by kaguragawa | 2010-01-31 09:31 | Trackback | Comments(2)

「裏干支」と、「ものの数え方」(2)   

  『ことばおじさんの気になることば』(NHKアナウンス室ことば班 編/日本放送出版協会/200.5)に、こんな話が載っていました。

 “山手線外回りの駅は「渋谷→原宿→代々木→新宿」と続きます。「渋谷駅から二つ目の駅はどこですか?」と聞かれたら、みなさんは何駅と答えますか?。
 番組で四十人に尋ねたところ、三十五人が「代々木駅」、五人が「原宿駅」と答えました。意見が分かれましたね。”


 “ことばおじさん(梅津正樹アナウンサー)”のコメントは、割愛させていただくとして(興味のある方はぜひ同書を見てください)、私にとってわかりやすいJR北陸本線上り線「富山→呉羽→小杉→越中大門→高岡」を例にとれば、「富山駅から二つ目の駅は?」の私の答えは、「小杉駅」です。
 つまり、上の三十五人の方と同じ数え方で、 富山駅を起点とし富山駅を〔1〕とカウントするのではなく、次の呉羽駅(くれはえき)を一つ目〔1〕としてカウントした結果です。
 私が、鏡花の「裏干支」を探すのに、鏡花の生年の干支「酉(とり)」を起点とせず、次の「戌(いぬ)」を一つ目(起点)として7番目を数えて「辰」としたのも同じ数え方です。

 皆さんは、どう数えられますか?。

 〔追記〕
 私の「裏干支」は「丑(うし)でしたが、それは余談として、今まで確認したことのなかった宮澤賢治の生年・明治29(1896)年は、「丙申」。 干支の動物は「申(さる)」で、裏干支は「「寅(とら)」でした。
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by kaguragawa | 2010-01-30 21:32 | Trackback | Comments(2)

「裏干支」と、「ものの数え方」   

 泉鏡花が、うさぎの置き物などうさぎの小物を集めていたことは有名な話ですが、これは「卯(う・うさぎ)」が鏡花の「裏干支(うらえと)」だったからです。“自分の裏干支の動物を大事にすると幸福が訪れる”という言い伝えを母から聞き、鏡花はそれを信じていたのです。
 このことを知ったのはもう10年以上も前のことだと思うのですが、そのときの説明に「自分の生まれた年の干支から数えて7番目の干支を“裏干支”という」があって、わけがわからなくなってしまったことを覚えています。

 鏡花は明治6(1873)年生まれで、この年の干支は「癸酉」。つまり「酉年(とり)」です。そうすると、「酉(とり)」から数えて7番目は、「辰(たつ)」になるのです、「卯(う)」ではなくて。。。
 鏡花の“7番目”という裏干支は、「辰(龍)」ではないのか!?。
 私の疑問は「裏干支」が「向かい干支」とも呼ばれ、十二支をぐるっと円に並べると「酉(とり)」の真向かいは「卯(う・うさぎ)」となることを知り、なんだそんなことだったのかと納得もし、私の勘違い?は「数え方」、ものを数えるときの起点の取り方の問題であることに気づいたことで解消しました。ごく最近のことです。

 そんなこんなで、「ことば」や「言葉づかい」については従来から興味をもっていますが、“ものの数え方”については認識論との関係でも強い関心をもってきたのです。といっても最近はその手の本を書店でのぞくことも買うこともめっきりなくなってしまいました。

 きょう、2000年代にはいってから飯田朝子さんが何冊もの本を出しておられることを知りました。“助数詞”の話題が中心のようですが、まず、読みやすそうな新書を手にとってみたいと思います

 『数え方の辞典』(小学館/2004)
 『数え方でみがく日本語』(ちくまプリマー新書/2005)
 『日本語なるほど塾』テキスト(日本放送出版協会/2005)
 『数え方もひとしお』(小学館/2005)

 楽しめる飯田さんのHPも見つけました。
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by kaguragawa | 2010-01-30 19:19 | Trackback | Comments(0)

1月冬の東京に想いを馳せる   

 24日の項に「きょうは、賢治がとつぜん家を飛び出し東京に降り立った日。賢治は国柱会に入会しようと出京したのです。いつかこの日〔1月24日〕の早朝、上野駅に降り立ってみたいと思っています。」と書きましたが、こう書きながら何かもう一つ大事なことを書き落としているような気がしてならなかったのですが、自分でも「のどにとげ」という気分でした。

 自分の物忘れに情けない思いをしましたが、黒岩比佐子さんのブログを見てようやく思い起こすことができました。賢治のこの上京〔1921〕のまさに10年前、この冬の東京で幸徳秋水ら12名が大逆罪のかどで死刑の執行がおこなわれたのです。このことを数年前に気づき、不思議な思いにとらわれたのですが、そんなことも忘れてしまっていたのです。
  死刑24名、有期刑2名の判決が大審院で出たのが、1911年1月18日。1月24日に幸徳秋水、森近運平、宮下太吉、新村忠雄、古河力作、奥宮健之、大石誠之助、成石平四郎、松尾卯一太、新見卯一郎、内山愚童ら11名、25日に管野スガが処刑されたのです。
 賢治は10年前の大逆事件の処刑日を意識して、東京に出てきたわけではないでしょう。しかし、この1月末の東京をある焦燥感にかられて歩いていた賢治の胸に大逆事件の冬の処刑がよみがえることはなかったのでしょうか。賢治が短歌の世界に親しんだのはいうまでもなく同郷の石川啄木の影響によるもので、そしてそれはこの上京の10年前のことなのですが、大逆事件とも深く切り結びいのちを終えた啄木のおもかげに賢治は冬の東京の街角で出逢うことはなかったのでしょうか。

 そんなことなどに想いを馳せながら、冬の東京を思うこの頃なのです。

〔追記〕
(旧稿:2008/01/24) 
 大寒過ぎの寒の内、1月の東京の季節感が私にはよくわかりません、今年が異常なのかどうかも。
 花巻から出てきた賢治にとって東京の冬はどうだったのか。1921年のきょう、上野駅に降り立っています。

 その10年前の1911年1月24日、東京監獄で、幸徳秋水・新美卯一郎・奥宮健之・成石平四郎・内山愚童・ 宮下太吉・森近運平・大石誠之助・新村忠雄・松尾卯一太・古河与作の11名の死刑が執行され、翌日25日には管野スガが処刑されています。大逆事件の一つの結末です。
 1911年の、1921年の、1月、東京はどんな天気だったのでしょう。


(旧稿:2005/12/28)
・12月10日 公判開始
・12月25日 検事、被告全員に死刑を求刑
・12月27・28・29日  弁護人側、弁護
 
 こんな年も押し迫った12月末の日々に公判が続けられるということがあるのだろうか。どうしても年内に審理を終えたかったのだろう。(しかも論告求刑の行われた25日は日曜日である!。)
 そして明くる年;
・1月18日 判決。全員有罪、うち新田融の懲役11年、新村善兵衛の懲役8年のほかは24名に死刑宣告。
 有期刑の二人の名前を出したことで気づかれた方もおありかと思いますが、95年前の「大逆事件」――刑法第73条【大逆罪】――の大審院公判(公判と言っても傍聴人が排除された特別裁判)です。

・1月24日 幸徳秋水以下11名に死刑執行。
・1月25日 菅野すがに死刑執行。

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by kaguragawa | 2010-01-28 22:44 | Trackback | Comments(0)

仲猿楽町13番地から   

 神田区「仲猿楽町」――今はもう消えてしまった町名ですが、現千代田区の白山通り沿いの神保町の北区画。中猿楽町という表記もあるのですが、“猿楽”には〔仲〕の文字が似合うので、「仲猿楽町」とします――の10番台の地番をいくつか並べてみます。

   仲猿楽町13番地   仲猿楽町15番地

   仲猿楽町17番地   仲猿楽町19番地

 奇数番地がきれいに並んでいますが、残念なことに?、この一つおきの数字の区画地は、実際はそんなにきちんと並んでいるわけではありませんし、17を付番された区画がいくつもあったりするのですが、明治から大正にかけてそれぞれに小さな物語をもった土地なのです。少なくとも私には、どの場所も大事な場所です。
 ここには郷友としばし暮らした正岡子規の下宿〔19〕がありますし、北原白秋兄弟が白秋作品のみならず音楽からカメラ、料理と広範囲な文化領域での出版活動をおこなった事務所〔15〕がありますし、高等農林で学ぶドイツ語にいっそうのみがきをかけようと夏期講習〔17〕にかよった宮澤賢治の姿もあるはずです。それぞれの物語は、おいおい書いてみたいと思っていますが、今、明治期創設の学校を追っかけている私が興味をもっているのが、“跡見花蹊”の学校〔13〕です。  (続く)

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 右の建物は、仲猿楽町13番地にあった明治8年創設の「跡見学園」。
   (写真は、「跡見学園女子大学」のHPより)

 ※「猿楽町」については、旧稿「猿楽町由来」をごらんください。
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by kaguragawa | 2010-01-25 20:55 | Trackback | Comments(0)

「天神祭」の不思議   

 きのう「天神様+片づけ」「天神様+飾り方」「天神様+25日」などと検索を楽しんでましたら、《第9回 山町筋の天神祭》〔高岡市〕の告知とその中の『高岡における正月行事としての「天神祭」の不思議』というテーマの講演会を見つけ、きょう行ってきました。  
  
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※上は、山町筋(御馬出町・守山町・木舟町・小馬出町)の旧家に保存されている天神様掛け軸。一番奥は、立ち姿の天神様。像としては、稚児天神や渡唐天神もあります。写真は〔たかおかストリート〕からお借りしました。

 約1時間の刺激的な講演(後日紹介予定)の後、いくつかの会場となっている旧家の天神様を拝見して、大杉堂で“おやき”――くさもちをあぶったもの?――買い、かつての大杉《七本杉》のあった場所を聞いて、帰宅。
 昨日、同じ前田藩内でも金沢では天神様の掛け軸をかける風習のないことを書きました。金沢では「天神堂」という神棚のようなものをかつて長男の誕生に贈ったというのですが、それが和菓子の大野屋さんの店頭にありました。

〔追記〕
 きょうは、賢治がとつぜん家を飛び出し東京に降り立った日。賢治は国柱会に入会しようと出京したのです。いつかこの日〔1月24日〕の早朝、上野駅に降り立ってみたいと思っています。
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by kaguragawa | 2010-01-24 18:07 | Trackback | Comments(0)

天神様をお送りする   

 天神様をいつ仕舞う(片づける)のか?をインターネットで調べましたが、今ひとつ明快な回答は得られませんでした。

 そもそも、“天神様を仕舞う”って、いったい何のこと?―――と聞き返されそうですね。e0178600_1921931.jpg 
 これは、富山と福井の風習で、お正月の間、床の間に天神様(菅原道真)の掛け軸を掛け、鏡餅などのお供え物をするのです。天神様は掛け軸でなく木彫りの像のこともあるのですが、その家に長男が生まれると母方の実家から贈られるものなのです。細かく言うとこれが富山県“全域”の風習なのかどうかどうか私は知りませんし、前田家ゆかりの菅原道真(天神様)が加賀前田藩の金沢では飾られずに福井で飾られているらしいのも不思議なところです。(福井の風習を売薬さんが富山に持ち帰ったという説もあり。)

 天神様は年末に飾り付けをしてお正月を迎え、天神様の縁日である1月25日に鯛や鰈(カレイ/福井の場合)などで最後のおもてなしをし、夜か翌朝早く仕舞う(お帰りいただく)ということになるのですが、前日の24日に宵祀りをし25日の早朝にお帰りいただくというところもあるようなのです。その辺りがさまざまで、一義的に決められたものではないようなのです。お雛様の片付けと同様お帰りが遅くなると、さまざまな不都合がつきまとうようなタブー的な言い伝えもあるようです。

 今日的にはこうした家格が量られるような風習には見直しが必要と私は考えますし、道真=前田家の神格化と重なる〔天神様信仰〕という前田藩の思想操作の一面がほとんど解明されてないこともずっと気になっています。が、「歳神様」を迎え送るという民俗(正月の天神様もその一つ)は大事にしたいと思っています。いずれにせよ、勤め人には平日の「25日片づけ」や「早朝」(5時までと書かれたものもあり)と言われても、ちょっと・・・。

〔追記〕
富山の天神信仰(前田藩と天神様)の概要については、“やいっちさん”の「天神様信仰と梅の花」を参照のこと。

〔追記:2014.1.25〕
 今朝の新聞広告(あるスーパーのチラシ)に、「天神講」として“日本海産紅ずわいがに大奉仕”の文字が躍っていて、「正月から1月25日までの間を天神様の日として、天神様を飾り、「面付きのかに」「お頭付きの鯛(桜鯛)」を最終日1月25日にお供えします。」とあります。う~ん、「面付き」か。
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by kaguragawa | 2010-01-23 19:03 | Trackback(1) | Comments(2)

「神田仲猿楽町の〔奇数番地〕」「香林坊のお坊ちゃん」・・・   

 日記版「めぐり逢うことばたち」の過去ログを検索していたら、ちょうど半年前に、書こうと思いつつ書けないテーマを並べてありました。結局は書かないままになってしまい、今になってみずからの“書かれざる記事”を読んでみたいと思ったりします。そのとき集めた資料はもう四散してしまっていて、あらためて書くことは不可能に近いのです。

 ちなみにそれらのテーマとは、《芭蕉の泊まった小松の立松寺〔龍昌寺〕と、金沢裏五十人町の猫寺・龍昌寺》、《聖公会の博愛教会と女子英学塾――瀧廉太郎のいた麹町の一コマ》、《室生犀星の初上京〔明治43年5月6日〕をめぐる自伝小説の諸相》・・

 そしてここ一週間ほどの間に書こうと思いつつ書けなかった(書かなかった)のテーマを列記しておきます。一つでも文章にして残せたらと思っていますが・・・。

 「〔かきやま〕と〔かきもち〕(2))」「螺旋水車の時代」、「隣り合わせの子規と一葉」「秋声の漱石論――文学と哲学」「神田仲猿楽町の〔奇数番地〕」「香林坊のお坊ちゃん」「霜川〔水郷〕の朗読会」・・・
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by kaguragawa | 2010-01-22 01:14 | Trackback | Comments(0)

浅草そして賢治   

 久しぶりのNHK「ブラタモリ」。今回は浅草。伝法院の池の縄文時代の貝殻から大正時代の浅草6区まで堪能しました。大正~昭和期の浅草と言えば江戸川乱歩を思い出すべきなのでしょうが、私はどうしても賢治の短歌にこめられた浅草を思います。

   浅草の木馬に乗りて哂ひつゝ
     夜汽車を待てどこゝろまぎれず

 ただこの19歳の賢治と後年浅草オペラに親しんだ賢治とを結ぶ直線も補助線も私には見つかっていません。まあのんびりと賢治と付きあっていくしかないのかと思います。

 さてさて、最近書きたいことがたくさんあるのですが、時間が無いのと、時間があるときはパソコンが息子に占領されているという次第です。
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by kaguragawa | 2010-01-21 23:13 | Trackback | Comments(0)

〔かきやま〕と〔かきもち〕   

 ある集まりの場で、「かきもち」と「かきやま」の違いが話題になった――。というより、地元出身者ではない講師の方がある小説中の「かきもち」について“北陸では、〔かきやま〕というんですね。”とコメントしたところ、“いやいや先生、〔かきもち〕と〔かきやま〕とは別のものですよ!”と異論が出たのだ。

 「かきもち」と対で話題にされる「かきやま」について、“それいったい何?”とけげんな顔をされるされる方もあることでしょう。(綿密に調査したわけではないのですが、前田藩下の石川・富山限定の地域語のようです。)そもそも“「かきもち」って何?”、とおっしゃる若い?方もおられることでありましょう。

 こうした問いに対して私なりの答えというか説明を用意はしたのですが、ちょっとまわりくどい話になるようなので割愛することにしました。(というのも、家に帰っておやつに食べようとした「かきやま」。その商品の袋には「かきもち」と書いてあって、説明の一筋縄でいかないことを納得?したからなのです。)

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 私には、「かきもち」よりも、「こりもち」という名の方が、天井から吊るしたいろとりどりの切りもちのイメージが浮かんでなつかしいのですが・・・。なんといっても私は豆のはいった「こりもち」が好きでした。


〔追記/2012.6.11〕
このページへのアクセスが多いようなので、少し補記しておきます。

1)
「かきもち」(その音便形の「かいもち」)が、語源的に「欠き餅」「掻き餅」「柿餅」の3つの系譜があることについては、下記のページをご覧ください。ここで話題にしているのは、「欠き餅」に由来する「かきもち」です。
http://www.mars.dti.ne.jp/~seizo/page1.html
(2)
「おかき」「あられ」については、ウィキペディアの「おかき」項が要領よくまとめられています。以下にコピーしておきます。

おかき(御欠)は、餅米を原料とした菓子。欠餅(かきもち)とも。
・概要
餅を小さく切り(欠き)、乾燥させたものを表面がきつね色になるまで炙った米菓子。
小粒なものをあられと呼ぶが、本来はもち米をそのまま炒ったものをあられ、なまこ餅(ナマコに似た形状に成形された餅)を切って干し、焼いたもの(かき餅)をおかきと呼んでいた。しかし現在では同じ餅を原料とした焼き菓子を大きさで区別しているに過ぎない。
なお、これらの区分はJAS規格などに定められたものではなく、おおよその大きさで呼び方を変えている(いずれも米菓として区分)だけで明確な基準は無い。
焼く代わりに油で揚げたものを、揚げおかき(揚げあられ)と呼ぶ(歌舞伎揚やぼんち揚などが有名)。

(3)
「かきもち」「こりもち」「かきやま」「おかき」「あられ」などの幾つものことばのニュアンスの違いと実際の用例の違いを、とりわけ富山の方言と言われる「かきやま」を中心にまとめたいと思っていますが・・・。後日


 立山の柿山の味 鮴の味     虚子
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by kaguragawa | 2010-01-19 00:10 | いただくもの | Trackback | Comments(5)