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06/13/2008〔奥の細道――元禄二年四月二六日〔1689.06.13〕〕   

《曾良随行日記》
廿六日 小雨ス。
http://d.hatena.ne.jp/kaguragawa/20040613

〔補記〕
 ・29日目(29/156)
 ・須賀川等躬宅〔陸奥/福島県須賀川市〕滞留
 ・この日、特記すべきことがなかったのでしょうが、おそらくこの簡略な記はまとめがきの産物でしょう。それよりも、上のリンク先の「追記」――間違いなく私が書いたものですが――今、読み返してみて「へぇー、そうなんだ」と感心してしまいました。私もこんなにきちんと勉強したことがあるのだ。
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by kaguragawa | 2008-06-13 06:45 | Trackback | Comments(0)

06/12/2008〔三浦佑之〔編〕『古事記を読む』〕   

三浦佑之〔編〕『古事記を読む』(吉川弘文館/2008.6)

 古事記とその時代…三浦佑之
 1.歴史と神話・伝承
   出雲神話と出雲…関 和彦
   遠征する英雄と歴史…岡部隆志
   五世紀の歴史と伝承…平林章仁

 2.構想と世界観
   死者・異界・魂…辰巳和弘
   古事記の世界観…呉 哲男
   文字からみた古事記…犬飼 隆

 3.古事記以降
   中世神話の世界…斎藤英喜
   本居宣長の古事記研究…山下久夫
   国定教科書と神話…三浦佑之
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by kaguragawa | 2008-06-12 07:45 | Trackback | Comments(0)

06/12/2008〔奥の細道――元禄二年四月二五日〔1689.06.12〕〕   

《曾良随行日記》
一 廿五日 主物忌、別火。
http://d.hatena.ne.jp/kaguragawa/20040612

〔補記〕
 ・28日目(28/156)
 ・須賀川等躬宅〔陸奥/福島県須賀川市〕滞留 滞留4日目
 ・この「主」を芭蕉とする説もあるが、曾良の「主」「翁」の使い分けが判然としていることは、この随行日記を先まで読めば自明である。ただし、この「物忌」が田植えにちなむものかどうかは、不明。
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by kaguragawa | 2008-06-12 07:44 | Trackback | Comments(0)

06/12/2008〔奥の細道――元禄二年四月二四日〔1689.06.11〕〕   

《曾良随行日記》
一 廿四日 主ノ田植。昼過ヨリ可伸庵ニテ会有。会席、そば切。祐碩賞之。雷雨、暮方止。

http://d.hatena.ne.jp/kaguragawa/20040611

〔補記〕
 ・27日目(27/156)
 ・須賀川等躬宅〔陸奥/福島県須賀川市〕 滞留3日目
 ・大名主でもある等躬宅で主人も参加しての田植え。午後から可伸宅宅で歌仙の俳席がある。
 ・可伸の家というのは簡素な庵に近いものでしょうから、そこによばれた祐碩(吉田祐碩/等雲)がそばを持参してふるまったようです。「賞す」という語がはじめて出てきますが、「もてなす」という意味で曾良はよく使います。この日の歌仙――細道3つめの歌仙――についても後日。
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by kaguragawa | 2008-06-11 06:52 | Trackback | Comments(0)

06/10/2008〔奥の細道――元禄二年四月二三日〔1689.06.10〕〕   

《曾良随行日記》
廿三日  同所滞留。晩方ヘ可伸ニ遊、帰ニ寺々八幡ヲ拝。

http://d.hatena.ne.jp/kaguragawa/20040610

〔補記〕
 ・26日目(26/156)
 ・須賀川等躬宅〔陸奥/福島県須賀川市〕滞留
 ・昨日からの歌仙が巻き終わる(この歌仙は別途紹介)。晩方は、“栗の大木のもとに住む僧”可伸宅へ。
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by kaguragawa | 2008-06-10 06:49 | Trackback | Comments(0)

06/09/2008〔奥の細道――元禄二年四月二二日〔1689.06.09〕〕   

一 廿二日 須か川、乍単斎宿、俳有。

http://d.hatena.ne.jp/kaguragawa/20040609

〔補記〕
 ・25日目(25/156)
 ・出立:矢板〔陸奥/福島県白河市〕~~泊り:須賀川等躬宅〔陸奥/福島県須賀川市〕
 ・今日の曾良はいつもと違い出立や移動の時刻・距離などの旅データをまったく残していません。芭蕉の方が、白河関と須賀川の間のかげ沼のことにふれているのに・・・。須賀川では相楽伊左衛門・乍単斎等躬宅に泊まる。さっそく俳席がもうけられたようである。

〔追記〕
 影沼については、次のページ参照。
http://www18.ocn.ne.jp/~bell103/okunohosomitikagenuma.html

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by kaguragawa | 2008-06-09 06:47 | Trackback | Comments(0)

06/08/2008〔『歌仙の愉しみ』〕   

 6/1に、「ほそ道行脚」で初めて行われた黒羽での歌仙三十六句を紹介しましたが、折よく岩波新書に『歌仙の愉しみ』(丸谷才一/岡野弘彦/大岡信/2008.3)が登場していました。歌仙をどう読んだらいいのか参考にしようと、さっそく買ったのですが、“読み出したら止まらない これぞ俳諧の醍醐味 芭蕉以来の<遊び>の粋が軽やかに今によみがえる”の帯の文句にちょっと(=かなり)いや気がさして、読まないで放っておいたのですが、一昨晩、新潮社の単行本の『すばる歌仙』(丸谷才一/大岡信/岡野弘彦/2005.12)を見つけて、活字が大きくて読みやすそうなので、こちらを手にとりました。(ちなみにこちらの帯句は、“文人三氏が盃を重ねながら遊ぶ風流の世界”)

 ふむふむ、これはおもしろい。と、これも偶然古書店で買った平井照敏『「おくのほそ道」入門』(永田書房/1988.3)――これは、「ほそ道」を《俳諧師・芭蕉》の連句(歌仙)の精神によって書かれたものとする視点で解読したすぐれた本――とともに、歌仙の世界のおもしろさをちょっぴりのぞき見して少し得した気分になったのでした。

 
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by kaguragawa | 2008-06-08 06:42 | Trackback | Comments(0)

06/08/2008〔奥の細道――元禄二年四月二一日〔1689.06.08〕   

《曾良随行日記》
一 廿一日 霧雨降ル。辰上尅止。宿ヲ出ル。町ヨリ西ノ方ニ住吉・玉島ヲ一所ニ祝奉宮有。古ノ関ノ明神故ニ二所ノ関ノ名有ノ由、宿ノ主申ニ依テ参詣。ソレヨリ戻リテ関山ヘ参詣。行基菩薩ノ開基。聖武天皇ノ御願寺、正観音ノ由。成就山満願寺ト云。籏ノ宿ヨリ峰迄一里半、麓ヨリ峰迄十八丁。山門有。本堂有。奥ニ弘法大師・行基菩薩堂有。山門ト本堂ノ間、別当ノ寺有。真言宗也。本堂参詣ノ比、小雨降ル。暫時止。コレヨリ白河ヘ壱里半余。中町左五衛門ヲ尋。大野半治ヘ案内シテ通ル。黒羽ヘ之小袖・羽織・状、左五左衛門方ニ預置。置(銭託壱〆貳百七十文)。矢吹ヘ申ノ上尅ニ着、宿カル。白河ヨリ四里。今日昼過ヨリ快晴。宿次道程ノ帳有リ。

〇白河ノ古関ノ跡、籏ノ宿ノ下〔一〕里程下野ノ方、追分ト云所ニ関ノ明神有由。相楽乍憚ノ伝也。是ヨリ丸ノ分同ジ。
〇忘ず山ハ今ハ新地山ト云。但馬村ト云所ヨリ半道程東ノ方ヘ行。阿武隈河ノハタ。
〇二方ノ山、今ハ二子塚村ト云。右ノ所ヨリアブクマ河ヲ渡リテ行。二所共ニ関山ヨリ白河ノ方、昔道也。二方ノ山、古歌有由。
   みちのくの阿武隈河ノわたり江に人(妹トモ)忘れずの山は有けり
〇うたゝねの森、白河ノ近所、鹿嶋の社ノ近所。今ハ木一、二本有。
   かしま成うたゝねの森橋たえていなをふせどりも通ハざりけり(八雲二有由)
〇宗祇もどし橋、白河ノ町(石山ヨリ入口)より右、かしまへ行道、ゑた町有。其きわニ成程かすか成橋也。むかし、結城殿数代、白河を知玉フ時、一家衆寄合、かしまニて連歌有時、難句有之。いづれも三日付ル事不成。宗祇、旅行ノ宿ニテ被聞之て、其所ヘ被趣時、四十計ノ女出向、宗祇に「いか成事にて、いづ方ヘ」と問。右ノ由尓々。女「それハ先に付侍りし」と答てうせぬ。
    月日の下に独りこそすめ
   付句 かきおくる文のをくには名をとめて
ト申ければ、宗祇かんじられてもどられけりと云伝。

http://d.hatena.ne.jp/kaguragawa/20040608

〔補記〕
 ・24日目(24/156)
 ・出立:籏村〔陸奥/福島県白河市〕~~泊り:矢板〔陸奥/福島県白河市〕
 ・白河の関
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by kaguragawa | 2008-06-08 06:40 | Trackback | Comments(0)

06/07/2008〔奥の細道――元禄二年四月二十日〔1689.06.07〕〕   

一 廿日 朝霧降ル。辰中尅、晴。下尅、湯本ヲ立。ウルシ塚迄三里余。半途ニ小や村有。ウルシ塚ヨリ芦野ヘ二里余。湯本ヨリ総テ山道ニテ能不知シテ難通。
一 芦野より白坂ヘ三里八丁。芦野町ハヅレ、木戸ノ外、茶や松本市兵衛前より左ノ方ヘ切レ(十町程過テ左ノ方ニ鏡山有)、八幡ノ大門通リ之内、左ノ方ニ遊行柳有、其西ノ四、五丁之内愛岩〔宕〕有。其社ノ東ノ方、畑岸ニ玄仍ノ松トテ有。玄仍ノ庵跡ナルノ由。其辺ニ三ツ葉芦沼有。見渡ス内也。八幡ハ所之ウブスナ也(市兵衛案内也。すグニ奥州ノ方、町ハヅレ橋ノキハヘ出ル)。
一 芦野より一里半余過テ、ヨリ居村有。是よりハタ〔旗〕村ヘ行バ、町ハヅレより右ヘ切ル也。
一 関明神、関東ノ方ニ一社、奥州ノ方ニ一社、間廿間計有。両方ノ門前ニ茶や。小坂也。これより白坂ヘ十町程有。古関を尋て白坂ノ町ノ入口より右ヘ切レテ籏宿ヘ行。廿日之晩泊ル。暮前より小雨降ル。(籏ノ宿ノハヅレニ庄司モドシト云テ、畑ノ中桜木有。判官ヲ送リテ、是ヨリモドリシ酒盛ノ跡也。土中古土器有。寄妙ニ拝。)

http://d.hatena.ne.jp/kaguragawa/20040607

〔補記〕
 ・23日目(23/156)
 ・この日は、芦野の「遊行柳」を見た深い感動で終わりかと思いきや、白河の関〔関明神(境の明神)〕を越え、磐城の国で泊っています。

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《おくのほそ道》

 又清水流るゝの柳ハ、芦野の里にありて、田の畔に残る。此所の郡守戸部某の、此柳見せばやなど、折々にの給ひきこえ給ふを、いづくのほどにやと、思ひしを、けふこの柳のかげにこそ立寄侍つれ。

     田一枚植て立ち去ル柳かな

 心もとなき日かず重るまゝに、白河の関にかゝりて、旅心定りぬ。
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by kaguragawa | 2008-06-07 06:45 | Trackback | Comments(0)

06/06/2008:奥の細道――元禄二年四月十九日〔1689.06.06〕   

《曾良随行日記》
一 一九日 快晴。予、鉢ニ出ル。朝飯後、図書家来角左衛門ヲ黒羽ヘ戻ス。午ノ上尅、温泉ヘ参詣。神主越中出合、宝物ヲ拝。与一扇ノ的躬〔射〕残ノカブラ壱本・征矢十本・蟇目ノカブラ壱本・檜扇子壱本、金ノ絵也。正一位ノ宣旨・縁起等拝ム。夫より殺生石ヲ見ル。宿五左衛門案内。以上湯数六ヶ所。上ハ出ル事不定。次ハ冷。ソノ次ハ温冷兼、御橋ノ下也。ソノ次ハ不出。ソノ次温湯アツシ。ソノ次、温也ノ由、所ノ云也。

 温泉大明神ノ相殿ニ八幡宮ヲ移シ奉テ、両神一所方ニ拝レサセ玉フヲ、

   湯をむすぶ誓も同じ石清水  翁

     殺生石                  

   石の香や夏草赤く露あつし

 正一位ノ神位被加ノ事、貞享四年黒羽ノ舘主信濃守増榮被寄進之由。祭礼九月廿九日。

http://d.hatena.ne.jp/kaguragawa/20040606

〔補記〕
 ・22日目(22/156)
 ・きのうの朝は地震で、今朝は托鉢!、――この二つはもちろんまったく関係がありませんが――曾良さんの日記には驚くような記述が続いています。托鉢といってもそんなに多くの湯治客がいたのでしょうか。そもそもなぜこの地で突然、托鉢にでたのでしょうか。疑問だらけです。この日は、温泉神社→殺生石→いで湯の順で湯本を巡ったようです。曾良はなぜか、温泉神社の那須与一遺物についても、6か所の温泉の噴出の状態についても正確な記録を残しています。
 なおリンク先にも紹介してある越中の俳人・麻父についてはまったく調べが進んでいません。
 ・この日も、湯本泊まり。

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《おくのほそ道》

殺生石は、温泉の出ル山陰にあり。石の毒気いまだほろびず、蜂、蝶のたぐひ、真砂の色の見えぬほど、かさなり死ス。
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by kaguragawa | 2008-06-06 06:43 | Trackback | Comments(0)