カテゴリ:樹と花/植物誌( 11 )   

高岡駅前の桜馬場のサクラ   

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 一昨年の記事「桜馬場のサクラ事情」(2010.04.03)に勝さんからコメントをいただいて、寒の戻り?(葉桜寒という言葉もあるよし)のなか、高岡の桜馬場に、コシノヒガンが散った後に今満開に近い八重桜を見に行ってきました。
(高岡のサクラに関する旧記事は、この記事下の「高岡」というtagをクリックしていただくと見ることができます。)

 写真を撮っていますと通りがかった老婦人(おばあちゃん)が、「ほんまにきれいやね。あっちの桜散ったら、ちゃーんとこっちのが咲くがやちゃね。」と声を掛けてくださいました。「この桜、なんちゅう名かね?」と聞いてみましたが、案の定「なーん、知らんわえ。」とのこと。

 この八重のサクラ(里桜)が、カンザン(関山)なのかフゲンゾウ(普賢象)なのか、じゅうぶんな知識のない私にはわかりません、それほど花色が濃くないところを見るとフゲンゾウのようにも思えるのですがいくつかの特徴はカンザンのそれのようにも見えます。
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 どななかこの二種の里桜の決定的な差異、その見分けけ方をご存じでしたら、教えてくださるとうれしいのですが。
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by kaguragawa | 2013-04-20 20:23 | 樹と花/植物誌 | Trackback | Comments(0)

かたかごの花   

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e0178600_21562225.jpg宇奈月の道路わき
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by kaguragawa | 2013-04-16 20:51 | 樹と花/植物誌 | Trackback | Comments(0)

明日はまた雪が舞うというが・・・   

 春分。
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 わずかに見つけたありふれた春のきざし。
 花のあいさつに、なにかくすくすっと笑いたくなるような気持ちになります。

 春の七草の一つ、はこべ〔コハコベ/Stellaria media〕。
 この写真ではよく見えないが、学名の星につながる10枚に見える花びらは5弁の花びらが2裂したもの。
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by kaguragawa | 2012-03-20 20:03 | 樹と花/植物誌 | Trackback | Comments(2)

ねじ花、たなばた   

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 数日前にひと筋のネジバナを見つけたのですが、きょうはここにもあそこにもスクっと立ちスパイラルに花づくな可憐な赤紫がありました。

 こうした小宇宙をみているとここ数日のバカげた人間模様への不審と怒りが静まってくる。

 今日は、七夕。

〔追記〕
 上掲の写真は、どなたかのブログのものを数年前に保存しておいたものを使わせていただきました。撮影者の方の諒解を得られないままの掲示になっています。
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by kaguragawa | 2011-07-07 23:03 | 樹と花/植物誌 | Trackback(1) | Comments(2)

「今年竹」に   

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今年はタケノコのもらいものが多くて、たけのこ料理を堪能しました。きょうも、掘り出したばっかりとおぼしきタケノコを届けてもらいました。
 で、若竹を詠んだ一句。 良寛の句です。


  涼しさを忘れまいぞや今年竹





*この写真をお借りしたブログのアドレスをメモしておくのを忘れて、了解をいただかないままの掲載になっています。万が一ご本人さまが見られましたら、ご諒解とお申し出を。
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by kaguragawa | 2010-05-13 23:54 | 樹と花/植物誌 | Trackback | Comments(0)

ホウチャクソウ(宝鐸草)   

 連休二日目は庭の草とり。

 驚いたことに、我が家の庭の一角にホウチャクソウ(宝鐸草)が群落に近いかたちで花をつけています。
 そういえば昨年も確かにここに咲いていたがこんなに多くはなかった・・・。

 花弁の先がうすい緑色なのも不思議な感じがします。
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by kaguragawa | 2010-05-02 19:06 | 樹と花/植物誌 | Trackback | Comments(0)

俳誌「辛夷」の《4月17日》 (2)   

 きのうは八尾の角間に大コブシの樹を訪ねることになった経緯を、池内たけし(いけのうち・たけし/高濱虚子のおい)が「ホトトギス」に書いた文章や前田普羅が「辛夷」に書いた文章を中坪さんの本から紹介してつづりました。4月17日という日に不思議な「えにし」を感じたからです。
 実は数年前、新聞で俳誌『辛夷』の由来となったコブシが八尾にあるという記事は読んだことがあり、たしかその記事のコピーもとったように思うのですが、そうしたエピソードの存在も記憶の中から消えてしまっていたところに、中坪さんの本に接して、しかも《4月17日》というまさにその本を読んだ偶然で、その辛夷(コブシ)を見たいという思いにとらわれてしまったのでした。

 きのう私にゆるされていた時間は2時間たらず。家から自動車で往復する時間だけで2時間と目途をたてていた私は大急ぎで――が、ナビのついてない我が家の車のこと、八尾の街の裏にあたる角間の位置はだいたいわかっていたのですが八幡社の位置はわからず、多少の不安をもちつつ、――ある程度は勝手知ったる八尾の街に車を走らせたのでした。
 案の定、八幡社の位置はよくわからず少しうろうろした挙句、e0178600_158133.jpg未耕の田圃の中、丘陵地へとせりあがっていく坂に沿った鳥居と参道があるのを見つけました。目印になるかなと思っていたコブシの白い花はどこにも見えなかのですが、植物観察にきていた親子の車が停まっていてわかったのです。

 前置きが長くなってしまいました。案内板がありくだんの「辛夷」の樹は特定できたのですが、とても残念なことにコブシは咲いていなかったのです。冷たい雨が落ちてくる暗い空で、見上げた枝の仔細も見分けづらかったのですが、樹そのものは枯死したわけではなく芽吹きもありましたが、かなり弱っているのか、今年の気候不順の影響で足踏みをしているのでしょうか・・・。e0178600_110214.jpg
 参道脇に群生するカタクリ(かたかご)やショウジョウバカマの花を楽しみましたが、老コブシの花と出逢えなかったさびしさを抱えつつ帰路につきました。機会があれば、時間のあるときに再訪するつもりでいますが・・・。
 案内板の記述はあらためて説明したいと思います。


〔追記〕 
 上は携帯で撮ったカタクリの群落。みにくい写真でもうしわけありません。

〔追記:4/20〕
 『角川日本地名大辞典 富山県』の八尾町「角間」の項に、角間八幡社にふれた記述がありましたので紹介しておきます。
 “当地532番地の八幡社は雨乞いの神として有名。境内のコブシの老樹は満開時の花の多少によって豊凶を占う。池内たけしはこの老樹を愛し、俳誌「辛夷」の誌名とした。”
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by kaguragawa | 2010-04-18 10:56 | 樹と花/植物誌 | Trackback | Comments(0)

八尾の山のカタカゴの花   

 norikoさんのブログ「田舎暮らし」に八尾の山のカタクリの報告がありました。

 それを読みながら八尾のカタクリ(カタカゴ)について、忘れようにも忘れられない思い出があり、25年ほど前の記憶がまたよみがえってきました。以下、思いつくままに・・・。

 当時、八尾町関係のしごとをしていて、ある方から八尾の山にカタカゴの大群落があるというお話しを聞きました。しかもその大群落が山ごと無くなるというのです。詳しく話を聞いてみると、その山の土を婦中町のカドミウム汚染田復元の客土として使うというのです。
 その時点で、私が「かたかご」と「カタクリ」のことをどれほど知っていたものか、思い出せないのですが、さっそく教えてもらった場所に駆けつけました。はっきり言えることはそのときが私と実物のカタカゴとの最初の出会いだったことです。まさに大群落というほかに言葉のないありさまで山一面の起伏のままにカタカゴが絨緞のように林下に咲いていたのです。

 その当時「万葉集」には今ほど親しんではいませんでしたが、「カタカゴ」のやさしい音の響きには魅せられるものがあり、私にとってこの花は「カタクリ」ではなく「カタカゴ」だったのですが、花の魅力よりも「賢治がカタクリの葉のもように文字を読みとっていたことの方が記憶にあって、まず「葉」を実際に見てみたいという気持ちの方が、強かったことも覚えています。しかし、この花一つ一つの、そして群落をなすこの花の生態の、魅力がともにいっときにおそってきていつまでもその場を立ち去れなかったことを今も覚えているのです。

 カドミウムによる汚染田と全山カタカゴにうづめ尽くされた里山・・・。このカタカゴの地が土壌の復元に役立つならどうか春のような平安をもたらすそんな田や町に生まれ変わってほしい。そんな思いをいだいて後ろ髪を引かれるような思いで八尾の山を去ったことでした。
 そう言えば、そのとき同行したKさんもMさんもこの世におられない。どういう思いで今の世を見ておられることだろうか。
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by kaguragawa | 2010-04-07 21:01 | 樹と花/植物誌 | Trackback | Comments(0)

ソメイヨシノとコシノヒガンザクラ   

 ソメイヨシノ(染井吉野)とコシノヒガンザクラ(越の彼岸桜)を見分けるのはとても簡単であることがわかりました。あるポイントに注目すれば!。
 その注目点とは、〔萼筒(ガクトウ)〕です。花の裏にある萼(がく)――花びらと同様5弁ある萼――が筒状に合わさっているのですが、この萼筒といわれる部分の形状が、サクラの種によって微妙に、あるいは明確に、違うのです。コシノヒガンザクラの萼筒は球状にふくらんでいるのに対し、ソメイヨシノの萼筒には明白なふくらみはなく全体に長い釣り鐘状なのです。
 *参照 「このはなさくや図鑑」の「コシノヒガン」「ソメイヨシノ」 
 萼筒の写真に注目

 帰路、さっそくソメイヨシノの花を解剖学的に?ながめてみました。「萼筒」はすぐ確認できました。そこには、写真で事前に見ていたとおりの萼筒があったのです。この部分――「萼筒」――に注目すれば、ソメイヨシノとコシノヒガンザクラの見分けはいとも簡単なのです。これで、高岡駅前の桜馬場のサクラがコシノヒガンなのかどうかは確認できそうです。で、これは今度の土曜日の大きな楽しみにとっておくことになりました。

 これも続く帰路、じつは昨年からちょっと気になっているサクラがあって、余勢をかって?その花をのぞいて見ることにしました。全体の雰囲気はソメイヨシノと似ているのですが、花が白っぽいこと。花数よりは少ないものの葉が同生していること。どうしてもソメイヨシノとは思えないのです。
 素人植物学者の鑑定!によれば、それはほぼ「オオシマザクラ」と断定しても良いようでした。

 どういうわけかタイミングが良すぎるのですが、探していた富山県中央植物園の大原隆明さんの『サクラハンドブック』が富山駅の書店にありました。いたれり尽くせりの図鑑。60種余りのサクラが種毎に、花の正面写真、萼片の写真、萼筒・小花柄の写真、最下の苞の写真に説明を付して掲載されています。
 「萼筒」について、こう書かれています。“それぞれの種類の特徴がよく表れる、種類を調べる上で最も重要な部分”。やはり、見分けのポイントは〔萼筒〕のようです。
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by kaguragawa | 2010-04-05 22:46 | 樹と花/植物誌 | Trackback | Comments(0)

「越の彼岸桜」ちらほらと   

 朝早く特急に乗り込む家人を高岡駅まで送っていったので、ついでに高岡古城公園の北口である小竹藪に車を停め公園を散策しました。早くから散策やジョギングの人のいるものだなと驚いていると、シジュウカラ(四十雀)がツツピー、ツツピーとあいさつを送ってくれました。小竹藪にある筏井竹の門・嘉一の句碑と歌碑を見ることも目当ての一つだったのですが、コシノヒガンザクラの碑というかその説明書きを読みたかったのです。

 以前、高岡駅前の「桜馬場の名称の由来」を紹介したとき、次のような説明がありました。“明治35年(1902)市はこれ〔=桜馬場〕を公園に指定。戦後、増加する自動車の往来に樹勢が衰え、同30年(1955)公園を廃して、残った越の彼岸桜を古城公園に移植した。”
 要は、江戸時代初めに桜馬場に植えられた「越の彼岸桜」は、戦後、古城公園に移植された――ということなのです。その「越の彼岸桜」をどうしても見たかったのです。そしてもう一つ確認しておきたかったのは、この小竹藪のコシノヒガンザクラのなかにさらにその異種で新たに“タカオカコシノヒガンザクラ”と命名されたサクラがあるという昨年聞いた話題についてでした。
 驚いたことに、コシノヒガンザクラはソメイヨシノより早咲きらしく、まだつぼみの固いソメイヨシノの奥にコシノヒガンザクラはちらほらと幾本も開き始めているのです。そしてそのコシノヒガンザクラの中に緑色の識別札をつけられた「タカオカコシノヒガンザクラ」が確かにあったのです。

 富山県中央植物園の説明によれば「コシノヒガンザクラは、エドヒガンとキンキマメザクラの雑種。花は美しい淡紅色で、葉より先に開くのが特徴。「タカオカコシノヒガン」は普及タイプに比べ、花はやや小型ながら数が多く、枝に雪が降り積もるように咲く。花の裏側にある萼筒の膨らみが小型であることも特徴だ。また、葉縁の鋸歯が細かいという特徴も見られる。小竹薮には、幹の直径が15cm以上の古木の「タカオカコシノヒガン」が数十本ある。目印が付けられているので、花見のときに観察してみたい。」ということになるのです。

 最後に、「越の彼岸桜の碑」裏面の解説を書き写しておきます。
 ――越の彼岸桜は、慶長15年(1610年)、砺波郡太田村の宗右衛門(現在の金子家)が高岡城の馬場に献納したものと伝えられています。爾来桜馬場と呼ばれて、北陸随一の桜の名所となりました。この桜は、昭和4年、植物学者の小泉源一博士がコシノヒガンの中間種として、学会に紹介された当地方特有の品種であります。ここに開町360年市制80年の年にあたり市の花木に指定し、広く後世に伝えるものであります。
    昭和44年5月 高岡市長 掘健治


〔追記〕
上記の「小泉源一博士がコシノヒガンの中間種として」の部分は意味がよくわからないのですが、「コヒガンザクラとエドヒガンザクラとの中間種として」とあったのを私が写し間違えたのかと思います。
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by kaguragawa | 2010-03-28 23:55 | 樹と花/植物誌 | Trackback(1) | Comments(1)